つまらなくても穏やかに
「行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたかは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」
鴨長明『方丈記』の冒頭に出る有名な一文だ。
日本三大随筆の一つで、
東北の震災やコロナを契機に”災害文学”として少し話題となった。
人生を達観してとらえている人の文章かと思いきや、
人はどこまでいっても”安らぎ”を手に入れることが難しいと説き、自身もまたそのうちの一人であると評している。
どんなに裕福になっても、
いつ奪われるのではないかと不安になり、災害が起きれば等しく財産を失う。
貧しいと隣人が裕福ということで、
いつも恥ずかしい思いをしなくてはならない。
都会のような人が密集するところでは、火事が起きやすく、
また疫病も多発する。
飢餓や災害により人がたくさん死にゆき、その死骸は供養されないで局所に集められる。
そんな光景をまざまざと見てきた鴨長明は、都会から離れた草庵で一人暮らすことにする。
それは孤独で寂しい生活のように思われたが、
本人の心の中はもしかしたら豊かだったかもしれない。
多くのものは求めず、自分にとって必要最低限のもので生活を営む。
人との交流が全くなかったわけでもない様子だ。
結局は気分の問題で、どんなに素敵な住まいや多くの財産を持ち合わせていたとしても、それらが自分の心の在り方を決めるのではない。
何もなくても、心晴れやかな日もあれば悲しい時もあり、その時は掻き暗す(悲しみに暮れる)しかない。
災害のような人智ではどうしようもできないことについて、どうしても憂いてしまうけれど、それはやはり人だから仕方がない。
自分たちでコントロールできないことにヤキモキしてしまうけれど、だからといってできることがあるわけではない。
簡単には受け入れることのできない現実が、ただそこにあるに過ぎない。
1000年近く前の人でも同じように悩んで苦しんでいた。
悲しい時は、十分に悲しみ切るしかない。
そうしているうちにいつか季節が廻り、また少し元気が出てくる。
冒頭の一文も、人も住処も川の流れに例えて、絶えず変化していくものであると謳っている。
つまらなくたっていい。
ただ、穏やかでいればそれでいいのだと思う。
たまに光が差すこともあるから。
今はわからなくても、振り返ったときにその意味がきっとわかるのだろう。
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