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本当に大事だったのは、何をするかより誰といるかだった

「若いうちに遊んでおいた方がいいよ」
職場の良くしてもらっている先輩からそう言われたことがあった。

休日の過ごし方みたいな話で、最近は人と会う機会も減って、ギターばかりやっていることを話したら、そのように言われたのだった。そんな先輩も休日はディズニープラスで『スターウォーズ』とyoutubeで『ポケモン』を観ているとのことで、休みの日の過ごし方にはそんな大差ないように思えた。

まあ、その先輩はすでに結婚されており、旦那がのこのこ外で遊んでばかりいたら、それはそれで問題なのだろう。(知らなけど…)

おそらく、「若いうちにできることをやっておきなさい」、「歳相応の楽しみ方をしなさい」という意味だと思う。友達と旅行に行ったり、恋愛をしたり、羽目を外したり、歳を取ることや家族ができると、そういうことがだんだんとやりづらくなってくる。

働き始めてから、急に誰かと会う敷居が高くなった気がする。学生の頃はサークルやらバイトやらで常に予定がいっぱいで、寂しさを感じる瞬間はあまりなかったし、僅かな空白も意外と誰かと約束してどこかに遊びに行っていた。なんというか、土日というものが学生の時は、なんら特別なものではなかったのだ。

それが働き始めると、休みの日が何か特別なように感じる。仕事をしている時間と休みの時間区切りが、明確になってしまったと言えばいいのだろうか。学校はある種憩いの場でもあり、休みの日も何らかの活動をしていた頃とは変わって、働くことと休むことの線引きが強くなってしまった。

そうすると、休みの時間をいかに有効活用できるかを考えてしまう。

同期の話を聞くと、休日に友人や恋人といろんなところに行ってきた話をしてくれる。友人が少なく恋人と呼べるような人もいない自分としては、みんな大変羨ましい生活を送っている。自分にもそんなキラキラした日常がいつか訪れるのかを待ち遠しく感じる。

結局、休みの日は一日家で過ごして終わってしまったり、いつも行く町に出かけて買い物して終わってしまうのが常になってしまった。淡々とした日々にうんざりしてしまう瞬間もある。だから、今まではあまり自分から誘う方ではなかったけど、最近は自分から誰かと会うようにしている。

一人でどこかに出かけるのがあまり得意ではなく、社会人になって一人で都内を散策したり、博物館などに行ってきたが、あまり心は躍らなかったし、人混みに一人でいくと心臓がバクバクしてしまって、結局外に出ることが苦手になった。

別に特別な体験なんていらない。ただ、心許せる人とご飯を食べるだけで、自分というものは満たされる存在だった。それに気づいただけ。

***

学生時代にやっておくべきだったと後悔していることは、もっと落ち着いて生活すればよかったと思う。ここで言う「落ち着く」とは何か活動を控えることではなく、気持ち的に慌てることなく過ごせばよかったという意味。

コロナが蔓延してから半強制的に自宅で過ごさなくてはならなくなった。それは3年生に上がる前の春のことだった。家にこもる間も、学生の期限は終わりに近づいていく。常に何かをしなくてはいけないという焦燥感に襲われていた。

その正体は将来への不安だった。

就職できなかった自分の姿が幾度も頭を過った。なぜだか怖く怖くてたまらなかったのだ。その不安を打ち消すために、常に就活に勤しみ企業説明やインターンに明け暮れる日々を過ごしていた。

本当はすごく会いたい人がいた。付き合っていた彼女のことだ。だけど、会おうとしなかった。「今」も大事だけど、自分の「未来」を犠牲にしたくなかった。あの頃より少し大人になって、愚かな選択だったと気づく。会いたいなら、ただ会いたいと素直に伝えればよかったのだ。

周りの人たちがどのように過ごしているかとても気になった。授業が少しずつリアルで行われるようになって、いろいろ聞いてみたりしても掴みどころのある回答は一人からも得られなかった。

みんな別にずっと家でダラダラしてただけとか、ゲームに明け暮れていたという話ばかりだった。ニュースで流れるような深刻な事態に陥っている人は見受けられなかったのだ。また、卒業後の進路についても深く考えている人は周りにいなかった。

「就活って4年生になってからするものでしょ」

ゼミでも誰一人として企業説明会やインターンに参加している人はいなかったし、そんな言葉が出てきて随分気が滅入ったことを今でも覚えている。

なんで自分だけこんなに焦っていて、周りの人たちは悠々としているのだろうと。今ってすごく不景気で自分たちが就職するタイミングは、今までの先輩たちとは状況が違って厳しくなると誰も思わないのだろうか。当時はそんなことを考えていた。

日々悶々とし、吸い込まれるようにインターンに参加し続けて、気づいたら心はボロボロ。

もうこれ以上続けられない。でも、就職できないのは絶対に嫌だ。
そんな相反する二つの感情が常に自分の中で渦巻いていた。

大学のキャリアセンターで職員に、就活で必要とするエントリーシートや自己PRの添削、自己分析やライフチャートを作るということをやっていた。だけど、なかなか思うようにいかなかったり、その時はいいと思ったものが時間が経つにつれて、もっといいものが書けるのではと思ったりして、軸というものが定まらなかった。

そんなこんなで秋ごろ、職員から公務員試験を受けてみたらどうだという提案があった。最初はお役所仕事というものに魅力を感じず、また付き合っていた彼女が公務員志望だったので、何となく目指す進路が被ることが憚られる気がしていたが、3年生の10月から今まで積み上げたものを全部捨てて試験勉強に打ち込むようになった。

今思えば、随分思い切った決断をしたものだ。そして、そんな勇気が自分にあったことを誇りに思う。

でも、公務員試験は簡単なことではない。法学部でもなく、大学の偏差値が大してよくない自分には、とてもリスクのあることだと思った。就職浪人してまでなりたい人がいるくらいだから、倍率も厳しいものだった。

そうなると、勉強に励むためにより誰かと会わなくなった。
また、自分の気持ちを蔑ろにした。

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最終的には、自分の希望していたところから内定をもらい、現在そこに勤めているわけだ。

めでたしめでたし。

***

コンビニで買ったポトフに大きめのウインナーが入っていた。久しく食べてないみたいな話を同期の子と話していたら、クリスマスマーケットとかに売っているよねと教えてもらった。

そんなオシャレなところに行ったことがなかった。連れて行ってあげたかったなと、閉まっていた記憶が呼び起こされた。

あの時の自分は、自分の気持ちを捨ててしまった。
本当に大事だったのに、今更思い出す。

あの頃の自分は迷ってばかりで、自分のこともよくわからなかった。
今もよくわからないし、これからも迷い続けると思う。でも、このままでもいいのかもしれない。

いや、今ならこのままでもいいからと少し思える。

ただ、一つの物語が終わったに過ぎない。また新しい物語を始めればいい。全部を読み終わったあとは、また前を向いて歩き出そう。

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