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人がいやいやながらいる処は、彼にとっては牢獄である。

私が高校生の時に『陰キャ』と『陽キャ』という言葉が流行った。

それぞれ『陰キャラ』と『陽キャラ』の略である。


陰キャというのは、人と群れるのが嫌いだったり、一人でいても平気だったり、もしくはコミュニケーションが苦手だったりという人。

一方で人といるのが好きで、たくさん人がいれば楽しいと思うのが陽キャだ。


私はどっち側だったのかと言うと、完全に陰キャだった

別にクラスに友達はいたけど、休憩時間に友達と特段話すことがなければ、本を読む方を選んでた。


でも世間的や、親としてはどっちの方が安心するかって言ったら、やはり友達がたくさんいたほうが安心だろう。

子供の頃から教育で、『ともだち100人できるかな』なんていう歌もあるくらい、友達はたくさんいればいるほどいいという教育が、昔からされている。


だから世間的には『陽キャの方がいい』という固定観念がある

ちなみに、先ほどから「世間的に」と書いているが、世間から陽キャでいることを押し付けられたりしたことはほとんどない。

いじめられたりしたこともない。

直接的な危害が及ぶことはほとんどないが、「陽キャでいた方がいいのかな」と思う自分の心こそが『世間』であり、『固定観念』と言われるものだ。

書いてみたものの文章の根幹ではないので、無視してくれて構わない。


だが私は知っていた。
友達が沢山いることのしんどさを。

一時期、皆と友達になろうと頑張った時期があった。
クラスメイトや学年全員とに仲良くしようしたが、段々しんどくなった。

どこに行っても話しかけられたり、どこに行っても見られてる感じがする。


LINE の友達が 40 人を超えたあたりからしんどくなって、
最終的に 60 人ぐらいまで行ったが、その時には通知に耐えられなくなっていた。

「自分には友達がたくさんいたり、どこにでも友達がいるという状況が合っていない」と感じた。


だから「誰でもいいから友達になろう」という観念を私は捨てた。
そうじゃなく、ちゃんと分かり合える人、話し合える人。
そういう人たちとのみ、交流を続けることにした。


そうしてから、すごく心が軽くなった。


私には陰キャとしての生活の方が向いていて、一人でいる時間が大切。
そう思えた。


このように、なんとなく私たちの頭の中に固定観念があることを知る。
そしてその上で、自分がどうしたいのかを考える。

世間に流されて、自分の心に逆らうからしんどくなってしまう。
だから、自分で考えようということだ。



友達の話以外にも、お金ではどうだろう?

世間的には「お金持ちの方がいい」、という風に考えられている。

だが、お金を得るためにはたくさん努力しないといけない。
あなたはそうしてまでお金持ちになりたいのか?

それとも、「欲しいものもそんなにないし、お金もそんなにいらないから楽に生きていきたい」のか、どっちなんだろう?

「結婚しなきゃいけない」ではなくて、自分が結婚したいかどうか。

「子供を持たなきゃいけない」じゃなくて、自分が子供を持ちたいかどうか。



以前、『私が子供を持たない選択をする理由』という記事を書いたが、


「もしも子供が生まれた場合は、きちんと育てたい。」という風に書いた。

それは、「子供はきちんと育てなきゃいけない」という固定観念ではなく、

もし子供が生まれたとして、適当に、愛情なく育てるより、
きちんと愛情を注いで成長させてあげた方が私の気が楽だからだ。


私がそうしたいと思ったから、そうするという風に書いた。


古代ギリシアのストア派の哲学者、エピクテトスはこう述べた。

人がいやいやながらいる処(ところ)は、彼にとっては牢獄である。

『人生談義』

私たちは、「世間」という名の固定観念に晒され続けている。

その固定観念に気付き、手放し、そして正直に考え、行動するべきだ。




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