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私が子供を持たない選択をする理由

この記事は、すでに子どもをお持ちの方、妊娠している方など、一部の方にとって不快な記事であるかもしれません。
十分注意したうえで、ご覧ください。


『男女は恋愛をすべき』
『男性は働くべき』
『女性は家事をきちんとこなすべき』

、、、など、「人を苦しめる固定観念」というのはたくさんあり、

それをテーマにした作品もたくさん。


今回は、『おとなは結婚して子供を産むべき』という観念について、私の意見を書きたい。



今回、『地球星人』という作品から、考える機会をもらった。

地球では「恋愛」がどんなに素晴らしいか、若い女はセックスをしてその末に人間を生産することがどんなに素敵なことか、力をこめて宣伝している。地球星人が繁殖するためにこの仕組みを作りあげたのだろう。

『地球星人』より

『結婚して子供を産むべき』という考えを押し付ける家族に違和感を覚え、上手くなじめない主人公たちの心情を描いた作品だ。

小説の感想を書くのは苦手なのでここでは書かないけれど、私もこの固定観念については常々違和感を覚えてきた。




結論から言うと、私は子供を持つつもりはない

理由としては、「私と子供が不幸になるかもしれない」からである。


人生には大きな決断をしなければいけない時がある。

初めて就職するとき、結婚するとき、など。

出産もその一つ。

でも、他のものと出産には大きな違いがある。

それは「取り返しがつかない」ことだ。


就職しても「自分に合わない」と思えば退職できる。
結婚しても離婚できる。

だが、出産してしまえば、その子供を居なくすることはできない。
やり直しはできないのだ。


そして、子供の成長には運の要素が大きすぎる

「子供の成長への親の影響は15%ほどで、ほとんどが親以外の環境で決まる」という話もある。

「じゃあ、できるだけいい環境に入れよう」と思っていい学校に入れても、
その学校が合っているか、良い友達ができるかは分からない。

悪い友達に囲まれるかもしれないし、いじめにあうかもしれない。

それ以外にも、両親が健康だったとしても障害をもって生まれてくるかもしれない。
障害が悪いわけではないけど、子どもに不便な思いをさせてしまうだろう。


病気、事故、子どもが生きている間に戦争が起こる可能性、、
そういったことを考えると、子どもが幸せになる可能性は100%にはなりえないのだ。


子供時代だけではない。
いい感じに育ったとしても、
巣立っていった後に不幸になる可能性は拭えない。

子どもが死ぬときに、「生まれてきて良かった」と思えるような、
絶対の保証はない
のだ。



親としても同じこと。
子育てというのは大変なエネルギーと、お金が必要。

0歳~22歳までの子育てには、3,000万円以上かかると言う。

良い教育を受けさせようと思ったら、これ以上かかるだろう。


これだけの負担があるにもかかわらず、上に書いたように「子どもが幸せになれるかは分からない」。

言わば、掛け金が大きすぎるギャンブルなのだ。

だが、現代でもほとんどの人が疑うことなくこのギャンブルに乗り続けている。


私は、産んでくれたことに対して、今のところ感謝している。
でも、そのギャンブルを自分も続けることはできない。

そんなことを言っているから、日本の少子高齢化が進むんじゃないの?」という考えもあるだろう。


でも、少子高齢化が進むのは、その少子高齢化を騒ぐ人たちの時代があったからだ。


その責任を私たちやその子供の世代に押し付けるのはおかしいと思う。


また、現在の世界の人口は80億人ほどいるが、
100年前はどのくらいだったか知っているだろうか?


答えは約16億人だ。

増えすぎではないだろうか?


だから、私と同じような考えかたの人が増えて、ヒトが減ったとしても、
心配することは何もないのではないだろうか。



もちろん、もし子どもが生まれたとしたら、親がしてくれたように、
精一杯の愛情と、よい環境を与えたいと思う。

(これは読んでくれるであろう親を感動させるために書いた)


でも、「私と子供が不幸になるかもしれない」から、

私は子どもを持つつもりはない。



読んでくれた方と、今いるフォロワーに「ありがとう」を。

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