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令和の新卒部下に好かれたいならこうあるべきだ!!

変わりゆく理想の上司像

あと8ヵ月で就職か。。。まだまだ学生を続けたい人、早く社会人になりたい人、あなたはどちらだろうか?私は後者である。要するに早く会社で働きたいのだ。会社で働くのが楽しみで仕方がない。

会社で働くのが楽しみというのはおそらく少数派だろう。多くの学生が社会に出たくないと考える中で、私が早く会社で働きたいと思える理由は何だろう?少し考えてみて1つ思い当たったのは、理想の上司に出会えたことである。

私は21卒であり、コロナの影響で就活に苦労している友人も多い。幸いにも私は内定をいただくことができ、現在は週に2回ほどインターンという形で会社で勉強させてもらっている。社員の方とも交流がある。

そうした中で私にとって会社が居心地の良い空間だと感じる理由の1つは上司との人間関係にある。飲み会の席では、10歳以上年下の社員が社長に対して冗談を言ったりすることもあるくらい上下関係はゆるい。仕事の中でも、社長や先輩に対して「もっとこうした方がいいのではないか?」と誰でも意見できる雰囲気である。

おそらく多くの若者が、ガチガチに縛られた厳しい会社よりも、ある程度自由がきく会社にあこがれるだろう。こうした傾向は私たちが受けてきた教育が大きく影響している。

ゆとり世代

「ゆとり世代」という言葉があることからも分かるように、教育の在り方というのは時代とともに変化している。私たちの世代がゆとりと呼ばれる理由は学習指導要領の変更により、学習する量が減ったことにある。私は土曜授業なんてものは受けたことがない。

「ゆとり」という言葉はどちらかというと悪い意味で使われている。40代、50代の方から「これだからゆとりは」「最近の若者は」などという言葉をよく聞く。これは学習する量が減ったからこのように言われているのだろうか?実はそうではない。ゆとりの本質は勉強の量ではなく、教師の立場が弱くなったことにある。

私の親世代は、教師が生徒に手を上げることもあったらしい。たしかに暴力は良くない。しかし、今の教師の立場は弱くなりすぎているようにも思う。どちらがいいのかという議論はここではしないが、ここで重要なのは教師の立場が弱くなっているという「事実」である。こういった環境の中で育ってきた若者は「厳しい」「不自由」「我慢する」こういったことに昔よりも耐性がなくなっている。

かつて厳しい教育を受けてきた世代の方々からすればこんなのタダの甘えだと感じるだろう。確かに甘えなのかもしれないが、これから自由を求める若者は増えていくことは間違いない。単独の世代だけで会社を回していくのであれば、従来の上下関係でもいいかもしれないがそういうわけにはいかない。時代とともに上下関係も変化させていかないといけない。もちろん、ガチガチにしばりつけた関係では得られないメリットも数多くある。

対等の関係

こうした比較的自由な環境で育ってきた若者は社会に出ても自由を求める。厳しい環境に身を置いていれば、いずれ慣れるのかもしれないが、20年以上に渡って培われてきた考え方は1年や2年で簡単に変わることはなく、厳しい環境に慣れる前に自分の中の「自由」が勝って会社を辞めてしまうのだ。

そんなゆとり世代が理想とする上司との関係は「対等な関係」である。もちろん、敬語を使うなどの基本的なマナーは必要であるが、「指示されたことをひたすらこなす」「上司の言うことは絶対」「間違いを間違いと言えない」という環境ではゆとり世代は力を発揮できない。

以前は終身雇用が定着しており、一度就職すればあとは会社に従ってさえいれば安心だった。しかし今はそうではない。誰もが知っている有名な会社でも倒産の可能性は十分にあり、本当の安定を手に入れるためには個人のスキルを身につけることが必要になってきている。副業が解禁されたことも追い風になっているだろう。

これからゆとり世代がどんどん社会に出ていくわけだが、そんな令和の時代で人の上に立つ人に求められる能力はこれまでとは変わる。これまでは、部下に対して、正しい呼吸の仕方、正しい歩き方、正しいペースを教えて目標まで到達させるという上司だった。しかしこれから求められるのは、「ある程度の方向性は示して泳がせてみる」能力である。

自由度がある以上、全く違った方向に行ってしまうかもしれないし、ゴールにたどり着くまでに時間もかかるかもしれない。しかし、うまくやれば部下が勝手に歩いて行ってくれるので上司は手がかからず、自分が歩いていく中でいろいろなモノを吸収し、期待以上の成果を出す可能性もある。

若者に求められること

こうした自由が与えられた若者に必要なのは「自主的に考えて行動する能力」である。手取り足取り教えてもらえなくなった以上、自分で考えて行動しないと成長することはできない。自由と責任はセットである。しかし、学校では「自主的に考えて行動する能力」は教えてもらえない。

グライダーが音もなく優雅に滑空しているさまは、飛行機よりもむしろ美しいくらいだ。ただ、悲しいかな、自力で飛ぶことができない。学校はグライダー人間の養成所である。飛行機人間はつくらない。(中略)学校では、ひっぱられるままに、どこへでもついて行く従順さが尊重される。

これは外山滋比古さんの思考の整理学という本の一部である。1986年に出版された本であるが、35年たった今読んでも本当に学びの多い本である。ゆとり世代の若者にはぜひ一度読んでもらいたい。

ゆとり世代の学生が自由を求め、自由を手にしている。しかし、「自主的に考えて行動する能力」は手にしていない。これではただのわがまま人間が生まれるだけだ。

残念ながら、「自主的に考えて行動する能力」は学校で教えてもらうことはできない。自主的とはそういうものである。

時間にゆとりのある学生、特に大学生、何か1つでいい、自分から行動してみてほしい。

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