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ウィトゲンシュタインの存在『〈実存哲学〉の系譜』の紹介⑤

1889年、ウィトゲンシュタインはウイーンの裕福な家庭に生まれました。「論考」期の彼の生の思考は、彼の生い立ちにみることができるといいます。

彼の哲学にはその背後に彼の生の思考、自分自身の生き方をめぐる思考がいつも伴っていました。それは、彼が誠実さを志向する人間だったという現れであり、言い換えると、壮大な宮殿のような哲学理論を構築しながら、自分は、その隣の小屋に住んでいられるような人間ではなかったといえます。

論考」という壮大な宮殿を建てたとき、彼はやはり壮大な宮殿に生きていたのです。

これはどういうことなのでしょうか。


1916年6月4日から9月20日にかけてのブルシーロフ攻撃と呼ばれる戦局で、ウィトゲンシュタインが所属していた部隊は敵軍の攻撃の矢面に立たされ、膨大な死傷者を出したようである。そのさなかにあって、彼は、生の思考をノートに書き込むようになる。

〈実存哲学〉の系譜


「この生の思考は、誰から影響を受けたものか、わかる者はいるか」

「はい!」青年たちの中から一人、手があがりました。
トルストイです。1916年にノートに書いてある通りです」

「そのとお~り!」

「そこを読んでみてくれたまえ」

人間が自分の意志をはたかせられず、それでいてこの世のあらゆる苦難をこうむらなければならないと仮定して、いったい何が人間を幸福にしうるのだろうか?
この世の苦難をはねつけることができないというのに、そもそもどうやって人間は幸福でありうるのだろうか?
まさに認識の生によって。
良心とは認識の生が与えてくれる幸福である。
認識の生とは、世界の苦難をものとしない幸福の生である。
世界の心地よさを断念することができる生だけが幸福である。
この生にとっては世界の心地よさは運命の過多の恩恵にすぎない。

〈実存哲学〉の系譜

*『〈実存哲学〉の系譜』(著)鈴木祐丞(Suzuki Yusuke)


「ありがとう。第Ⅲ部に書かれているが、自分が入りやすい場所から入ることも必要だということだ」

この本の表紙には、こうある。

キェルケゴールをつなぐ者たち
キェルケゴールがいなければ、ウィトゲンシュタインは『哲学探究』を書けなかった!

「このことが何を意味しているのか、考えてみることが大事なんだ」

そこに聞こえてきたのは

「桃はいらんかね~」桃の箱を持ったカメバ―さんです。

「みんな、若いからお腹が空いてるだろうと思ってね。ほら、桃を持ってきたよ~まぁ~みんな、いい顔しているね~」
桃色の笑顔で青年たちを見渡しています。

「そのとお~り♪」
青年たちの返事が返ってきました。


(終わり)