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基本の構造は土台・柱・屋根

わたしが今まで経験してきたことは、このことを教えてくれました。

*驚き***予期せぬ誤りに出くわした際に自然な反応

誤った解釈に気付いたとき、最初の感情として驚きが生じることがあります。

*反省***将来の誤りを回避するための学び

誤りを認識すると、その原因や背後にある要因を考えることがあります。

*不安***他人に誤った情報を提供した場合の信頼関係の損失

誤りによって信頼性が損なわれる場合、不安が生じることがあります。

これらがプラスの方向へ働くと、

*嬉しさ***成就感との結びつき

誤りを発見して修正できる場合、嬉しさや満足感が感じられることがあります。

ところが…マイナスの方向へ働くと

*挫折感:*

誤りが重要で、修正が難しい場合、挫折感が生じることがあります。特に誤りが重大な影響を及ぼす場合、挫折感は強くなることがあります。

日本社会をおおう雲は「教育への挫折感」といってもよいのでしょうか。

わたしが子育てをしながら感じていたのは、他人の干渉が大きくなっていく空気でした。社会全体が経済的競争をしていたのでしょう。専業主婦をしていた人達もまた、経済的競争の真っ只中でした。生命の根本的な因縁は、この経済的競争という舞台で足の引っ張り合いをしていたように思います。

狭い視野で自分が見てきたことだけを語っている社会から、視野を開くことが必要だと気づいている人達は、本との出合いを求めて旅をしていました。

良書との語らいについて、先生がこのように話されていました。

「読書の喜び」を知っている人と知らない人とでは、人生の深さ、大きさがまるっきり違ってしまうということです。多くの偉人は必ずと言っていいくらい若い時の人生の座右の書を持っていた。それは自分を励まし、リードするとともに、自分の親友であり、師匠といえる。


家庭や社会の運営に携わっている大人が本を読んでこなかったことで、子ども達の判断は、SNS世界の知らない他人に依存せざるを得なくなるという状況をつくり出してしまったのかもしれません。その状況をつくり出したのは、物への好奇心へと移っていったこととも関係しているかもしれません。

それは自分自身のことでもあり、親としての自分のことでもあります。選択の繰り返しの中で、どれだけ誤った選択をしてきたのだろうか…と思い続けてきましたが、本を読み、勉強している人としてない人の話題がかみ合わないというのは、どんな世界にもあることなのです。

進路について、先生はこのように述べられていました。

全部、自由です。自分の人生です。出た学校によって自分の一生がすべて決まるわけではない。むしろ、自分が「どのように生きるのか」という強さ、深さが大事です。その深さの分だけ、満足と充実の人生を生きていけるものです。要するに「自分への挑戦」に勝った人が勝利者であり、幸福になれるのです。これが根本です。


挑戦する心が、挑戦する人間をつくる。

it was hard work from me from little boy a big sacrifice and Iam proud of myseif.

Hauserの話


とても考えさせられました。「日本社会は…」ではなく、「自分は…」という軸を育ててこなかったことを、です。親や兄弟が優先であり、夫と子どもが優先であり、一番後ろに自分が行くという生き方で「人は幸福な人生になるのだろうか?」という実験を今、日本はしているのかもしれませんね。

ファーブルはこのように語っています。

歩きつづけさえすれば、行きつくところに行けるのだ。そして、たえず歩きさえすれば、力が自然とわいてくるものなのだ。

日本の少子化は、一番後ろについて貧乏になって行く大人達を見て、「自分はこの人みたいになりたくない」という人達が増えたからなのではないだろうか…と捉えることができます。アメリカの小説『怒りの葡萄』の物語のようですね。