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【本の紹介】私たちはアジアの一国を、どれだけ知っているのか

僕は以前、このような記事を書きました。

「いま、君たちに一番伝えたいこと(池上彰:著)」では、カンボジアのポルポト政権について、触れられていました。

独裁者だって人に育てられるし、独裁政治の始まりは人々からの支持が集まったからであると僕は考えています。

カンボジアはアジアの一つの国であるにもかかわらず、僕たちはカンボジアについて知る機会がありません。

僕は池上彰さんの本を読んで、最近までカンボジア国内で残酷な内戦が起きているとは知りませんでした。

なので、この記事では僕が本を読んで学んだ、カンボジアの歴史の一部を皆さんに紹介しようと思います。


▼今回読んだ本▼



●気付いたこと

〇フランス統治下のカンボジア

※カンボジアの政治への興味が読書のきっかけなので、近代の歴史から入ります

黒船来航とともに尊王攘夷で日本がほぼ2つに分かれていた、幕末といわれる時代。

同時代にカンボジアは、ほぼフランスのものになっていました。

なぜなら、カンボジアは隣のタイとベトナムから政治的圧力をかけられ、当時のカンボジア王が、フランスに助けを求めたからです。

すでにカンボジアの土地を視察していたフランスは、カンボジアを経由して、中国へのビジネスチャンスを狙っていました。

守ってもらいたい、マーケットを広げたいという双方の思いが結び、カンボジアへフランス人が流れていきました。

自分の国に異国人がやってきて、自分の国のような態度でいる。

肩身の狭い思いを感じたカンボジア人は怒ります。

しかし、フランスはカンボジアの保護を名目に支配を進めるために、
①フランス寄りの考え方の王様に政治をさせる
②反乱するものは公開処刑(港に止まっているフランスの船の蒸気で罪人を殺すなど)
③カンボジア各地にフランス人の管理者を置く

このようにして支配を強めていきました。

そう考えると、幕末の日本の知識人が、日米修好通商条約や外国からの干渉をどうにかしないとと焦るのは分かります。

一度入国を許してしまったら、日本がなくなってしまう恐れがありますからね。

また、陸がつながっている国は大変なんだなと感じました。


〇カンボジアの独立、そして悪夢へ

時がたち、第二次世界大戦が始まりました。

ナチスドイツに負けて力を弱めたフランスは、日本によってカンボジア独立が果たされます。

当時の日本は、カンボジアの資源に目をつけていたため、独立の援助をすることで、友好国として良い待遇を得ようとしていたのではないかと考えられます。

しかし、日本がアメリカに負けると、またフランスによって管理されるようになりました。

それでも独立したいカンボジアは、王の運動により、カンボジアの独立を果たします。

それから冷戦が終わるまでに、カンボジアは4回も国の名前が変わってしまいます。

なぜでしょうか。

原因は、政治の腐敗が原因とされています

フランスからの独立後のカンボジアは、王を中心とする政治で国を治めていきました。

しかし、仲良しの人を優先的に出世させるような縁故主義が広がり、政治が腐敗していきます。

見かねたアメリカ寄りのカンボジア国内勢力が国王政権を倒しますが、また政治が腐敗。

そして、ポル・ポト率いる政治団体”クメールルージュ”が政権を倒しました。

これが、新しい国「民主カンボジア」による恐怖政治の始まりです。

民主カンボジアは、徹底的に国民を管理しました。

都市部の住民を農村部へ移動させ、全員農家にする。

髪型を指定し、結婚は集団で行う。

知識人は処刑。

反逆者は拷問がまっていました。

なぜここまで、極端な管理をしたのでしょうか?

僕は、国民に余計なことを考えさせたくなかったんだと考えます。

悪知恵が働くから政治が腐敗し、市場があるから外国人に占領され、個性があるから反乱が起きると考えたのではないでしょうか。

恐怖政治の始まりは、ポル・ポト自身が感じていた恐れが原因だったのかもしれません。

だからといって、人を我が物にするようなスタンスをとっていいよいう理由にはなりません。


〇カンボジアの再出発

ポル・ポトによって国が統一されていたものの、次々と人を殺してしまった為、国の力は弱くなっていました。

そして、国力の低下をきっかけに、これを好機とみてポル・ポトの元幹部が、ベトナムで新政府を作ったのです。

ポル・ポトはタイへ逃げたため、新政府がカンボジアを支配しました。

しかし、今度は新しい国に対して、王政派・アメリカ派・ポルポト派の団体が集まり、国際社会が3団体を支持したことで、新政府と3派連合の2者が争い、カンボジア内戦が始まってしまうのです。

その後、戦争は国際社会の援助によって終わり、王をトップとして2人の首相による連立内閣によって、パワーバランスを保ちながら政治が進められるようになりました。

それからしばらくは、連立政権が続きました。

しかし、2つの政府が国を管理しているため、話がこじれることがよくあったようです。

そのため、「選挙によっての議席の過半数以上なければ連立政権とする」という法律に変更して、1つの政権が勝ち残りやすく、国がまとまるような仕組みに変更しました。

2003年の総選挙では、与党と複数の野党によって国が運営されることになったのです。

日本にいる我々は、政治が出来上がる流れを、教科書の中でしか教わってきません。

実際、国をまとめるというのは、我々が考えるよりとっても難しいんだと思います。

国がまとまっている時代に生まれた我々は、とても幸せなんですね。


●疑問

〇なぜフランスが再統治?

近代のカンボジア史の中では、フランスによって事実上の支配を受けていた過去があります。

しかし、日本軍の占領とともに、フランスからの支配の歴史を一度終わります。

日本が戦争で負けた後は、またフランスはカンボジアを支配することになりました。

それはなぜなのでしょうか?

僕は、フランスが連合国の一員だからだと思います。

日本は、連合軍に負けたため、占領国が手放された。

そのため、カンボジアをもともと支配していたという実績のあるフランスの手に渡ったのだと思います。

皆さんは、どのように考えますか?


〇なぜポル・ポトは、パリで共産主義に出会ったのか?

僕は本を読んで、なぜポルポトが共産主義に染まって言ったのかが気になりました。

ポル・ポトは、イギリスへ留学し共産主義に出会います。

イギリスといえば、産業革命でも知られているように、資本主義が主流だと僕は考えていました。

しかし、ポル・ポトは留学中に共産主義に出会います。

では、共産主義思想に影響されるようなきっかけは何だったのでしょうか?

もし、共産主義に出会っていなかったら、悪夢のカンボジア史は生まれなかったのでしょうか。

今後の僕自身の勉強の課題になりそうです。


〇政治は腐敗してしまうものなのか?

ポル・ポト率いる団体、「クメールルージュ」のカンボジア支配のきっかけは、政治の腐敗と考えられます。

フランスからの独立を果たした後の、政治腐敗が革命によって壊され、それでもなお政治は腐敗し、新たに革命が起きて、カンボジアの悪夢は起きたのです。

現在でも、国を動かす人の汚職に関連するニュースを目にすることがあります。

政治に限らず、組織を動かす人・集団は、同じ人で固められているといずれ腐敗してしまうものなのでしょうか?

人はそういうものなのか?という視点から、心理学や歴史を学んでみようと思いました。

今回は、これで以上でございます。

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それでは、また次のお話で。

▼今回読んだ本▼

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