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その壁の向こう側に

 三度目のトーゴ訪問の際、事前に現地の友人Passiにリクエストしたのは壁の向こう側を覗かせてもらうこと、すなわち個人宅の敷地内に踏み込ませてもらうことだった。
‘”OK, no problem.”いつものようにアッサリとした承諾の返事がWhatsAppのメッセージに届く。大きな身体にほのかな笑みを浮かべ、柔らかい目でなんでもなさそうに頷く彼の姿が脳裏に浮かぶ。
 プライベートでわざわざ三度も訪れた国は、西アフリカのトーゴの他にはない。穏やかな空気、カラフルな人々、どっしりとした体幹、風と共に耳に届く民族の言葉、踏みしめる赤砂に隆々とした植物たち。心惹かれるもの、心安らぐものが無数にあるが、なんといっても支えてくれるPassiの存在は大きい。

  日本から飛行機で24時間、約1万3000キロの距離のこの国の首都・ロメはギニア湾に面しており、いつも私が滞在する町Avepozoはコンクリートの車道から一本入れば砂の道が海岸まで続く。

 通りには煮込みの香りが漂う食堂、オープンテラスのバー、軒先にドレスを連ねる仕立屋、つやつやの果物を売るフルーツショップ、色とりどりの生活雑貨を扱う店、朝と夕ににぎわうコーヒースタンド、きらきらした瞳の子供たちが通う学校、リズミカルなミサが流れる教会、重たげなココナッツの実をつけたヤシの木たちが並ぶ。

色鮮やかな布でくるんだ赤ちゃんを腰骨の上にぺたりと巻き付け背負う若い母親たちや、陽気な声で乗らないかと声をかけてくるバイクの男たち、わやわやとおしゃべりしながら掃き掃除をするマダムたち、そして首輪を付けず我が物顔で歩く子ヤギに子豚にニワトリに、虹色の巨大なトカゲともすれ違う。

サラサラ、シャリシャリ、足先を少しばかり砂に取られながら歩くその道の両側は、そうは言っても半分以上は私の頭上の高さのコンクリートやレンガの壁に覆われていた。中は、どうなっているんだろう。初めて訪れたときは外の通りへの興奮でほとんど目に入っていなかったその壁たちが、訪問を重ねるごとに気になっていった。

ホテルにバイクで迎えに来たPassiが連れて行ってくれたのは、彼の友人コムラの家だった。はいどうぞとPassiが我が家のように開けた、コンクリート壁の間にちょこんと挟まった木のドアをドキドキしながらくぐって踏み込む。

 たしかに敷地の中に入ったはずのに、また外の続きのように錯覚した。真ん中に大きな広場があり、どっしりとしたヤシの木が幾本も立ち、長いロープにつるされた洗濯物がのびのびと泳いでいる。道と同じ砂が一面に広がり、井戸が静かにたたずむ。ひと隅には石の炊事場が設置され、マダムたちが炭火にうちわで風を送り鍋をのぞき込んでいる。四角く囲まれたコンクリートとレンガの壁沿いに、同じくコンクリートや土壁にトタンでできた小さな家がいくつか建っている。部屋の出入り口には布が吊るされ、窓から顔を覗かせる子どもや赤ちゃんをあやす母親の姿も見える。

ひときわ枝ぶりのよい木の下で、輪になり木陰で寛ぐ人々が目に入る。小さな木製の椅子やベンチの座面にたくましい骨盤がのしかかっている。現地のエウェ語での話し声と笑い声に、丸い葉が風に揺れるさわさわとしたざわめきが一緒くたになって耳に届く。

彼らから少し離れた木陰に、Passiとコムラが慣れた手つきでゴザを敷いて寝転がる。二人は幼少期からの付き合いで、大学時代には一緒にビジネスを立ち上げていたという。パソコンやスマホの使い方を教える商売でなかなか儲かったけど、今は全く需要がなくなっちゃったねぇ、と笑いあっている。

コムラとPassi

「壁のこっち側は、こんな風にまたひとつ集合住宅の区画になってるんだね」
とゴザに腰を下ろしながら言うと、
「いやいや、ここはひとつの家だよ」
とコムラが笑って言った。
「えっ、ひとつの家?じゃあここにいる人たちは?」
「みんなこの家の家族だよ。兄弟ごとの家族とかで部屋は分かれているけど。それに、今日は祝日だからふだんは離れて住んでいる親戚も集まってるけどね」
「ここは大きい家なの?」
「小さくはないけど、このくらいの広さの家はたくさんあるよ」

家。
というのはほとんど建物を指すものだとばかり思っていた。もちろん日本にも広大な庭を持つ住宅はあるけれども、ここまでの規模は都心で生まれ育った私にはなじみがない。そしてこの”家”には、いわゆる室内にあたるスペースがかなり少ない。私の感覚では”庭”に当たるものが、彼らにとっては共有のリビングでありダイニングであり、暑さで眠れぬ夜のベッドルームでもあると教わる。
「星空にすーっと吸い込まれるようで、海からの涼しい風が当たって、とっても気持ちがいいんだ」
目を細めてコムラが言う。
「蚊帳は絶対に忘れちゃいけないけどね」
とPassiが笑って付け加える。

私が知らなかった、壁の向こう側。
こんな空間が、ひろがっていたのか。
こんな時間が、流れていたのか。




ポカンと広がる砂の上で、根と葉を伸ばした木の下で、気心知れた者同士のんびり座って寝そべって、煮炊きして一緒に食べて、海から届く風と音を感じて、子どもをあやして、ゆったりと語り合ったりして、いたのか。
通りを歩く旅行者の私からはちっとも見えやしなかった、一枚壁のこちら側で。

「We TALK, TALK, TALK, TALK….we talk too much.」
Passiがニッと笑う。当たり前のようにこの家のドアを開けていた彼も、もちろん家族の一員なのだろう。

まだまだちっとも、知っちゃいないんだな、私は。
Avepozoも、ロメも、トーゴも、ましてやアフリカのこと、そしてPassiのことだって。
そりゃそうか。

少し真剣なまなざしで政府のガイド事業の介入について議論を始める二人の声を聴きながら、柔らかき木漏れ日とサラリとそよぐ風にうっとりし、ほのかな悔しさと抑えきれないニヤつきをないまぜにして、「ちくしょう」とつぶやきながら目を閉じた。


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