「芸能」と「宗教」と「会社の組織創り」の関係
最近は組織の勉強の一環で宗教についてインプットしています。今は「落語に花咲く仏教」という本を読んでいます。今日はそのアウトプットを出来ればと思います。
宗教と神道の構造の違い
前提、勉強初心者の人間の理解なので大きく間違っている可能性はありますが、ご了承下さい。。。
大きな違いは、
信仰対象が複数いるか?いないか?
だと思っています。
宗教はブッダをスタートにして、ブッダの悟りを広め、それによって世を救済しようとするもの。なので信仰対象は一つであり、教えの源流は一つに集約される様な構造だと思います。
一方神道は、アニミズムなど、自然の至る所に神が宿ると考えるものですね。なのでファイナルファンタジーなどで「イフリート」とか「シヴァ」とか出て来ますが、あれは神道が由来になってると思います。
こういうやつとか、
こういうやつですね。
で、宗教は最初はえらい人々の救済をするものだった所から、より多くの民衆の生きる上での苦悩や不安を和らげるものとして世に広まる様になっていきます。
神道はどちらかというと、ただ万物に宿る神ということなので、神の方からなにかするということはありません。(だからファイナルファンタジーとかではあくまで召喚しないとこないものであって、意思を持って主人公とかに働きかけるわけではない)
ここから宗教を深ぼっていきます。
宗教はお上が世の中を統治しやすくする為に、広める力学をかけていったという側面がありますが、教えを受ける側に、受け入れられるものでないと広がっていかないわけです。
要は受ける側の理解度や、興味を引けるか?が教えが民衆に浸透していくには大事だったということになります。
ここから宗教"芸能"というものが生まれていったということです。
つまり、その教えが「分かりやすい」ものであり、「面白い」ものでないと、広まっていかない、ということです。
これに近いのは学校の授業が近いと思います。同じ科目でも、生徒に理解させるのが上手い先生とそうでない先生がいたと思います。これも結局教えというものが、「分かりやすく」て、「面白い」から聞き手に浸透したということです。
鎌倉時代や安土桃山時代、江戸時代など、噺家や、噺が上手い僧は位が高かった様です。つまり教えが広く広まることに対する成果を評価していたということになります。
この時代で言えば伝道師ですし、別の宗教で言えば宣教師です。今の時代で言えばエバンジェリストです。
で、昔の風習を残しながら、現代に残るのが「落語家」です。
仏教における教えを民衆に浸透させていく方法は様々な進化を遂げたようです。
能や、浄瑠璃もその一つです。
落語はその中でも民衆の生活に寄り添い、分かりやすい世界観の中で、教えをそこに忍ばせて人に聞かせ、その話が面白いから一人歩きしてどんどん民衆の中を伝っていく。目に見えない、それでいてとても秀逸なシステムだと思います。
会社経営に置き換えれば、一つの思想哲学を浸透させ、文化を形成する際には「分かりやすく」「面白い」共有方法が、浸透スピードに影響するということになると思います。
引き続き宗教と組織創りを紐付けながらインプットを続け、このようにアウトプットしていきたいと思います。
今日は以上です。
拙い文章で、甘えるな、と言われるかもしれませんが、もし少しでも面白いと思っていただけたら、スキを押していただけると励みになります!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?