自己紹介

「体育会→スタートアップ」な自分の”読み物的”自己紹介

昔、あるメディアに掲載された自分へのインタビュー記事を引用して自己紹介としたいと思います。

自分が所属していた一橋大学の就職活動系メディアからの取材だったので、そっちにちょっと内容がよっています。


体育会王道の就活と異なる就活を選んだその理由とは

「体育会」と聞くと、多くの人が商社や銀行、証券会社、大手メーカーに就職するというイメージを持つ人も少なくないかもしれません。そのような中で、今回は、大学生活を全て体育会に注ぎながらも、大企業ではなくベンチャー企業に就職し、その後、当時社員数が4人のスタートアップに転職されたkenkenさんを取材しました。


Q:「学生時代は体育会一筋だったと伺っているのですが、そもそも何故一橋大学に入学されたのでしょうか?」

kenken「かなり遡ると、僕が生まれたのが国立病院で、小さい頃から親と一緒に一橋大学周辺をよく散歩していたんですよね。それもあってか、一橋に入ったら親を喜ばせられるのではないかな、と本当に薄っすらではありますが思っていました。もちろん、そのようなことを中学生、高校生のときにずっと思っていたわけではないのですが、いざ志望大学を決める際に一橋大学がすっと入ってきた感じです。」

Q:「過去のルーツが面白いところで影響しているものなのですね。大学時代を体育会での活動に費やそうと思ったのは、どういった経緯なのでしょうか?」


kenken「そもそも生き方として、文武両道で生きたいと考えていました。特に明確なロジックがあったわけではないのですが、勉強もしくはスポーツのどちらかに偏った人間になりたくなかったのです。単純に“器の小さい”人間になってしまうのではないかという、感覚的なものです。文武両道の文の部分は、今考えると非常に浅はかですが、一橋大学に現役で入学できたところである程度満たされたのではないかと思い(笑)、次は武の部分を満たそうと思いました。元からストイックにやることが好きだったこともあり、新歓では、『一橋で一番キツい体育会はどこですか?』と聞きまわっていましたね(笑)。その結果、ラクロス、ボート、アメフトの3つが特にキツいことが分かってきたので、その3つの体育会のコンパに行き、最終的にはアメフトを選びました。」

Q:「なぜアメフトを選ばれたのでしょうか?元々高校時代にやってらっしゃったのですか?」


kenken「いや、高校のときは、スポーツは全くと言っていいほどやっていなかったです。アメフトのことも何も知りませんでした。ただアメフト部は、コンパの際に、先輩から覚悟感のようなものがひしひしと伝わってきたのです。4年生は皆坊主というか、スキンヘッドでしたから(笑)だからアメフトを選んだんですよ。」

Q:「入学時にそのようなキツい体育会に入部する一橋生は一定数いますが、多くの人が途中でやめていくと思います。kenkenさんが最後まで続けられたのはなぜなのでしょうか?」

kenken「特に1、2年生の時は正直な所、毎日のようにやめたいと思っていました。当時は国立から小平に練習に向かう途中で「車に轢かれないだろうか。練習の痛みよりも、交通事故の痛みの方が痛くないのではないか」と思ってました(笑)。それでも続けられたのは、「一度やりはじめたことを途中でやめるのは格好悪い」というと聞こえはいいですが、もう意地ですよね(笑)。

一方で、練習はキツかったものの、組織の風土やカルチャーが良かったんです。大学生活のプライベートを全てかなぐり捨てて、アメフトだけを真剣に取り組み、全員で勝ちに行く姿勢。そのような勝ちを第一に考える、首尾一貫した雰囲気が好きでした。

最後に、ジャイアントキリングのような境遇であったことでワクワクできました。当時のアメフト部は関東2部に所属していて、1部との入れ替え戦で負け続けていました。1部に昇格するということが、先輩たちの積年の思いとなっており、皆が1部に昇格するために尋常ではないほどのコミットメントでした。例えば、汚い話になってしまいますが、先輩は走り込みしながら嘔吐してました。合間合間に吐くのではなく、ほんとに走行中に吐いてました(笑)。『下克上してやる』という空気が組織を覆っていました。そしてついに、僕たちが1年生のときに1部に昇格したのです。

1部には高校生のときからずっとアメフトをやっていた強豪校がたくさんいました。でもそのような環境下で、高校生のときはずっと勉強していて、大学からアメフトを始めたような人間が挑むという『逆境』が面白かったのです。僕が2年生のときは1部で1度も勝てなかったのですが、3年生のときに日本体育大学に勝利し、史上初めての1部勝利を手にしました。あのときはめちゃくちゃ気持ちよかったですよ!」

Q:「部活漬けの大学生活だったようですが、就職活動はどうされたのですか?」

kenken「4年のときは幹部だったこともあり、就職活動をすることでアメフトを中途半端にしたくなく、5年目は自分で学費を払うと親を説得して、5年目に就職活動を行いました。最初は体育会特有の就職活動のやり方でした。練習終わりの時間に、『飯でも行くか』ってスーツ姿のOBの方が小平グラウンドにまで来てくれるんですね。そこで、働くとは何かとか、就職活動に関して教えてくれたり、セミナーの予約をしてくれたりと、就職活動に関する支援をしてくれました。ま、今考えるとただのリクルーティングですが(笑)先輩が来てくれて、尚且つ、来てくれる会社も名立たる大企業ばかりだったので、自分たちから外に出ていく必要性を余り感じていませんでした。徐々に学内企業説明会に行ったり、外部のセミナーに行ったり行動範囲を広げていきました。そうする中で、限られた企業のみを見ていて、自分の中で世界がすごく狭くなる感覚を持ちました。そこで原点に帰って自分のキャリアに関して再考したのです。」

Q:「その結果、どうなったのですか?」

kenken「将来教育に携わる為にはどのようなキャリアを歩むべきか?ということを起点に考え始めましたね。元々、母親が塾を経営しており、そこで採点などのバイトをしていました。その経験を通じて、小さい子供に教えるということは面白いしやりがいがあるなと感じていたのです。大手企業を見る傍ら、教務課に行き、教職課程の申込書類もらって来る程、真剣に考えていました。民間の企業に就職するのか?教職をとって教師になるのか?どちらにしようか、解が出ませんでした。そこで20年以上教育に関わってきた母親に相談したのです。今までの人生の中で、母親に将来のことを相談するのは初めてだったかもしれません。

母親が言っていたのは『20年以上、ずっと不安に思っていることがある。それは受験のためだけの支援をしている“だけ”の存在になっていないか?』ということでした。それを聞いて、「大学を出て直ぐに教員になるのは違うな」と。多くの子供たちが、将来学校を卒業した後はビジネスに携わります。であれば教育の使命はビジネスの世界で活躍できる人材を輩出することであり、自分が最初から教員になってしまうと、英語、国語、数学などの科目を教えるだけの教員になってしまい、自分の考える教育の使命を達成できないと考えたのです。だから教育はビジネスのことを知っている人間がやるべきだと思いました。

そこから思考を深めていく中で、自分自身がビジネスのことを0から100まで知っている人間でなければ、教育に携わる資格がないのでは?と考える様になり、ベンチャー企業を見始めました。ベンチャー企業なら、経営に近い立場でビジネスを俯瞰でき、実際に起きる生々しい会社の中の動きなどを見ながら学んでいけると。そこで当時200人程度、コンサルティング会社というよりは“成長ベンチャー”と捉えられていた会社に新卒で入社することに決めました。アメフト部の同期は『何そのうさんくさい会社』という感じでしたね(笑)」

Q:「その会社ではどのようなお仕事をされていたのでしょうか?」

kenken:「3年間在籍した中で、前半1年で新規開拓営業、後半2年でクライアントに対するコンサルティングを経験させていただきました。

新規開拓営業では、多い日で1日200件ほどテレアポを行い、アポイントメントをとれた企業に自社サービスを提案する業務を担当していました。当時の役員に同行してもらったり、社内で営業のロールプレイングに付き合ってもらうなど経営者の側で色々と経験できる非常に贅沢な環境でした。

後半2年に関しても、コンサルティングを通じて企業を俯瞰的に捉え、『このようなビジネスモデルだということは、このような課題があるのではないだろうか。』と、仮説を立てながら、クライアント個別のプランを立案しながら提案していました。これにより、問題解決能力も鍛えられたと思います。3年で、ビジネスパーソンとしての下地を鍛えて頂いたことに関して、とても感謝しています。」

Q:「そのような中でなぜ転職をされたのですか?」

kenken:「組織の観点からコンサルティングを行う中で、ビジネスに関して0から100までを知るためにも、組織だけではなく『事業』にどっぷり漬かる必要性を感じ始めていました。クライアントの組織を客観的な立場から見るだけではなく、自らが会社、事業を創っていくことへの欲求が高まっていきました。新卒で入った会社は人材のレベルが高く、色々なことを吸収させていただきましたし、将来どのような業界に行くにしても通用するようなポータブルなスキルが身につく環境でした。しかし、組織だけでなく、ビジネスを0から100まで理解するためには何が必要か?と考えていた時に、当時の直属の上司が起業した現職であるスタートアップ企業から声をかけてもらいました。時代に必要な事業/組織を生み出し続ける、ということをMissionに掲げ、その先に『日本社会への貢献』をVisionとして描く現職は、自分がやりたいこと(会社、事業を創っていく)と問題意識(かねてから持っていた日本の教育への問題意識)とが自分の芯を食うようにマッチし、飛び込むことを決意しました。」

Q:「転職された先ではどのようなお仕事をされていたのですか?」


kenken:「入社した際のオフィスは、古いビルの6畳1間で、社員は4人しかいませんでした。ですので、もう出来ることは何でもやっていたという感じですね。新規開拓の営業から、営業企画、既存顧客への営業、コンサルティング、経理、人材育成、採用、広報、事業統括、資金調達プロジェクトとあげればキリがありません。今現在は人事をメインでやりながらも、タスクフォース的にはプロジェクトは色々と持っているという状態です。

これまでは、会社の中で人が足りない部門に入り込んで何とか動かしていく期間でした。これがやりたい!というキャリアを積んできたわけではないですが、会社のMission達成に繋がっているのであれば仕事は何でもやりがいがありました。」

Q:「これほど色々なことを経験されると、ビジネスに関して0から100まで理解できた感覚を持てるのでしょうか?」

kenken:「いえ、全然足りてません。当初の4人という小さな規模から今では200人程の規模になっています。前の会社は退職する際に、数百人ぐらいの規模になっていました。ただ、僕はまだ1000人、1万人・・・という規模の大きさの企業を経験できていません。だからまだ0から100の全てを経験できたとはとても言えないですね。」


Q:「今後挑戦したいことはなんですか?」

kenken:「小さい頃からの教育への想いのお話をしましたが、学校を作りたいですね。この会社でやるのか、また違う会社でやるのか、それとも自分でやるのか。方法は問いません。今の日本の教育は正解探し教育の色合いが強く、金太郎飴のような同質の人材を生み出す教育だと思っています。日本と異なり、欧米では初等教育から自分で考える力を身につけるような教育が行われています。前編でも話しましたが、僕は、ビジネスの世界で活躍できる人材を輩出するための教育を行いたいと思っており、ビジネスの世界で活躍するためには正解探し教育ではなく、欧米のような自分の頭で考える力を養う教育が重要だと考えています。愛知県に海陽学園というビジネスリーダーを生み出すために作られた学校があるのですが、そのような学校を全国47都道府県に作りたいです。

Q:「最後に学生へのメッセージをお願いします!」

kenken:「時代が変化していることを感じ取り、行動し、自分が少ない情報量のもと狭い枠組みで思考していないかを常に疑ってほしいです。1800年代に産業革命、その後にIT革命、昨今ではビッグデータやAIなどのデータ革命が起きています。100年、200年単位で起こるような非常に大きな変化が現在進行形で起きているのです。

その中で、大学内だけで漂っている情報はガラパゴス化していると思った方がいいですよ。大きな変化が起きているので、ガラパゴス化していることに気づかないリスクは5年前や10年前より大きくなっています。産業革命以前には、重い荷物を素早く運べる人が市場から評価されていたのに対し、産業革命後には機械を作れたり、機械を操作したりできる人間の方が高く評価されるようになりました。それと同じで、今の仕事が人工知能に奪われる可能性もあります。これは遠い世界の話ではなく、大学生がダイレクトに影響を受ける身近な話なのです。

そのような時代の中で、どのようなスキルを身につければ人工知能に代替されないのか、など情報を自分で取得しにいく必要があります。しかし、インターネットやスマホの普及などにより、情報を取得する難易度は劇的に下がっているので、情報強者・弱者を分けるのは、自分から行動するか否かだけなのです。だから大学の中だけを見て狭い枠組みで思考するのではなく、もっと自分から外に情報を取りにいき、より広い枠組みで思考してほしいですね。」


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