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組織における”敗者復活戦”という仕組み ~早稲田ラグビー部の考え方~

以下の記事(早稲田の入山教授と元ラグビー部監督の中竹氏対談)を読んで学んだこと、考えたことを書こうと思います。

自分が出ていない試合の勝利に100%喜べないのは当たり前

この記事の中にFCバルセロナのグアルディオラ監督の言葉が取り上げられていました。それは、

「ゴールを決めた瞬間、控えの選手が本気で喜んでいるかを見れば、そのチームの組織力が分かる」

というもの。

自分も学生時代、体育会のアメリカンフットボール部に所属し、がっつりチームスポーツをやっていたので、自分自身が怪我で試合に出れていない時は「本気では喜べない」「素直には喜べない」経験をしているので、この言葉の意味が痛く刺さりますw

確かに多くのメンバーが自分が試合に出ていなくてもチームの得点を本気で喜んでいたら、さぞかし結束力の強い組織だろうな、と思います。

一方で、中竹元監督は「素直に喜べないのが、選手の普通の感情」「それ自体が問題なのではない」と話しています。

大事なのは

「切り替えられる仕組み、風土、土壌、文化があることだ」

とおっしゃっています。

自利的欲求を生む”ガソリン”の補充

切り替えて次の試合やビジネスでいえば仕事に向かうには、エネルギーの再充填が必要です。

個人的に人間は

短距離走を走る為の”ガソリン”」と「長距離走を走る為の”酸素”

の2種類のエネルギーが必要だと考えています。

前者は”有限”で”爆発的な力をもたらすものであり、
後者は”限りなく無限に近く”、”強くはないけど継続的な力をもたらす”もの

というイメージです。

中竹氏はこのガソリンが充填される仕組みが必要とおっしゃっており、例えば、

・次の試合ではレギュラーは0ベースで選定されるという「仕組み」
・以前の試合までの結果とチーム内の序列は関係ないという「風土」
・あくまで自分個人の結果を追い求めるのではなく組織として勝つことが美学とされている「文化」

があることで、「よっしゃ、次の試合ではやってやろう」となるし、そのガソリンがないと、練習や鍛錬にドライブがかからないのは当然で、組織がそのガソリンを注ぐ様になっているかどうかが組織力である、ということをおっしゃっているのだと捉えました。

象徴的な「利他的欲求」の”注ぎ先”

ラグビー部が選手権優勝時にだけ歌える歌「荒ぶる」は有名ですが、組織として勝つことが組織の最大の目的であり、その勝った直後にあるものが「荒ぶる」を歌うことであり、どの選手の頭の中にも想起しやすい「象徴」である、というのがシンプルながらよくできているな、とおもいます。

会社の理念もそうですが、目指す先が高ければ高いほどその頂きをイメージすることは難しくなりますし、イメージしたとしても「薄い」もので終わってしまい、そこに執着する力を強く持てなくなってしまうというのは、想像に難くないことだと思います。

そんな組織として目指す先をイメージするための象徴があるということは、「チームの勝利の為に頑張りたい」という利他的欲求を生み出しやすくしているという意味ではよくできている、と思うのです。

企業における「荒ぶる」

企業においてもこの「荒ぶる」に該当する様なものがあると、理念への凝集性を高めることができるのではないか、と思います。

理念自体が示すことを”映像として”イメージすることを補完する様なものです。自動車メーカーのだす「コンセプトカー」もそれに近いかもしれませんね。

いずれにしろ、そういった目指す頂きを身近なレベルで描写してくれる象徴というのがあれば、組織を一つにまとめやすくなりますね。

自社の場合は「理想とする社会像の実現」となるので、映像がいいのかな。。。未来を象徴するって中々難しい。。。SF映画みたいなものかもしれません。でもその様なコンセプトムービーを設けている会社も多いと思うので、今回のテーマにある様なことを考えた上で創ったのでしょう。

なんだか中途半端な記事ですが、今日はこれでおわりです。





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