発達障害ネキと偏見の話

 先日、ヘルパーさんからこう言われた。
「岑守さんってちゃんと学校行けてた?」

 そして私はこう返した。
「小中高皆勤でしたよ」

 ヘルパーさんは「そうなの?!」と驚いていた。
 正直私はなんとなく嫌な気持ちになっていたが、その時はその気持ちがなんなのか判別つかなかった。私はいつも自分の気持ちを理解するのに時間がかかるのだ。
 それで思った。多分これは過去の私まで懐疑的な目で見られたから嫌だったのだと。

 私は発達障害持ちで現在鬱である。ヘルパーが来ているという話からもわかるだろうが自分で自分の世話をする事がままなっていない。
 でも最初からそうだったか?と言われるとそれは違うと答えられる。大学生の頃も一人暮らしをしており、掃除こそ苦手ではあったが毎食自炊をして毎日風呂に入りごみ収集の日にごみを捨てられたくらいにはまともな生活をしていたのだ。
 どうして今それができないのか。ぶっちゃけ仕事とそれが原因の鬱のせいである。
 仕事を始めてから一年くらいはちゃんと自炊もしていた。けれど段々毎食コンビニ弁当かスーパーの惣菜で済ませるようになったし、ゴミも捨てられなくなった。放置していた皿に虫が湧いたりカビが生えた事は数知れない。慢性的な不眠で全く眠れない夜も多くあった。
 その仕事を辞める事になって無職になると、実家に帰ったので家事はやらなくてもよくなったしよく眠れるようになった。軽快したのだ。
 けれど次の仕事が始まり、一人暮らしが始まればまた家事が追いかけてくる。
 私の家は荒れた。正直なかなかの惨状だった。
 その仕事も鬱で辞め、また無職になった頃にはもう本当に生きる事だけで精一杯になっていた。家事は生活を整えるには必須であるがいきるのには必要ではないのだ。だから家事は切り捨てた。
 家事ができない人間の完成である。

 まあつらつらと書いたが、言いたい事は単純だ。
 私は鬱で“できない”人になってしまったが、元々“できていた”方の人間だったのだ。
 それをさも「最初からできていなかったんだろうな」という目で見られたから冒頭のヘルパーさんの言葉が嫌だったのだ。そういう風に思われたら、あの時頑張って”できていた“自分が否定されてしまったように感じてしまうから。

 鬱は元々“できていた”人間も“できない”人間に変えてしまう病気だ。そしてこれは誰でもかかる可能性がある。「鬱にかかる人間はメンタルが弱いから」とか「最初から落伍者だったんだろう」なんて考えは間違いなのだ。もしそんな考えを持ってる人がいたら、それはせめて口に出さないでほしい。その言葉はいま苦しんでいる人の過去や性質を否定するし、何より貴方が運悪く鬱になった時に自分の偏見で苦しむ事になるから。

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