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時を経てなお重みを増す母との対話

私は母とは子どもの頃からすごくたくさん話をしました
コミュニケーションの多い母子だったと思います

母は色んな話をしてくれて
それを聞くのがすごく楽しかった
私の親の世代は戦争を経験しているので
その話もまたすごく興味深かったです

とはいえすごく厳しい母でした
お行儀とかお箸の持ち方だとかにはうるさかったですね

たくさんの対話をしながら
母は私を見守ってくれたり
ときには見逃してくれたり
そして私が成長するにつれて
私を客観的に見てくれるようになったり
いろいろなことがありました

うちの母はすごく読書が好きな人で
聞けば子どもの頃から文学少女だったそうです
だから、たくさん言葉を知っていたんですよ

そんな母からよく言われて覚えているのは

「なせば成る なさねば成らぬ 何事も
 成らぬは人のなさぬなりけり

最後の「成らぬは人のなさぬなりけり」を強調して言うんです
「できないのは、あなたがやってないからだよ」ということですよね
だからできなくて当たり前でしょうと、よく言われてました

私は言われるたびに「また出た」って思ってました
でも、そのうちに「でもこれは母が作った言葉じゃないよな」と
思い始めたんです

これはみなさんご存知の上杉鷹山の言葉ですね
上杉鷹山はかのケネディ大統領がもっとも尊敬する政治家として
名を挙げたことでも有名な江戸時代の米沢藩9代目藩主です

それを知ったとき
そんなすごい人が言うことならば重みがあるよねと
思ったものです

また、他にも母によく言われたのは
「知っていても行わなければ知らないとの同じです」と
私が「知ってます、わかってます」みたいなことを言うと
ピシャリと言われました

めんどくさいなぁと正直思っていましたよ(笑)

すごく厳しい言葉ですけど
でもそれで私が傷つくことなく素直に受け止められたのは
母がきちんと説明をしてくれたからだと思うんです

私があまりわかってないような顔をしていると
母はちゃんと説明してくれました

でも逆に説明してくれないこともあったんです

先に話した上杉鷹山の言葉は
すごくリズムがあるじゃないですか
なんだかすごく難しい言葉のように感じたけど
でもそのリズムで印象にも残る

それで自らその言葉について調べたりしたんです

母は知っているはずなのに
「これは誰々の言葉で」みたいなことは
私には言わなかったんですよね
そこには母なりの暗黙の教育があったのかもしれないと今は思います

今でもこうしてすぐ思い出せるくらい
私の中に絶対的に残っている言葉で
それを指針に生きている感じもあります

そんな母のすごく大きな愛情を感じたエピソードがあります
それは私が赤ちゃんの頃、1歳になるかならないかで
やっと立って歩き始めるかどうかという頃と言ってました

ある日私は仁王立ちになって体中に力を入れて
真っ赤になるぐらい怒っていたんですって
まだ言葉はしゃべれないけどとにかく怒っていたと
どこか痛いのかと思ったけど違う
母があやしたりなだめたりしても全然収まらない
それこそ水かけようがなにしようが怒り続けたんだそうです

もちろん私は覚えていません

結局、怒っていた理由は母が最期のときまでわからなかった
後にも先にもそんなことはそのとき1回だけと母は言ってました

でも母は亡くなるまでそのことを覚えていて
「なんであなたがあんなにあのとき怒っていたのか、それだけが心残り」
と言ったんです

その言葉がもうすごく私の心に刺さっていて

「なにかすごく怒ってたね」で終わらせていないところが
すごいでしょう?
他愛ないことでもきちんと覚えていて
それを私に伝えてくれた母
こんな深い愛情ってとてもとてもありがたいと思いました

つまるところやっぱり重要なのは対話です
コミュニケーションです

親子の場合はとくに
受け止めるのに時間がかかることもあるかもしれないけれど
自分はそれを受け止められると思っていれば
必ず理解できますし
大きくとりこぼしたりはしないはずです

時間が経ってなお
鮮明に浮かび上がってくる景色もあるのですから

2021.4.30
下向峰子

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