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海は見ていた

今年の5月に西表島に行った際、祖内のまるまぼんさんの前で歌った。


まるい小さな島がまるまぼんさん

17年前に西表島に住んでいた。

西表島に行く前の私は、「何をやってもダメだ…」と自分に失望して引きこもっていた。生きてるけど死んでるように過ごしていた。何か妖怪みたいだった。ずっと布団から出たくなくて目も覚ましたくなかった。夜に目を閉じる時は「このままもう目を覚まさずに楽に死ねたらいいのに」と思っていた。一日中誰とも話さないから声も出ない。携帯の電源も切っていることが多かった。

ある日何気なく携帯の電源を開くと、以前働いていた職場の同僚ふたりからお世話になっていた先輩が突然死してお通夜とお葬式があるというメールが届いていた。運良く前日送信のメールだったのでお通夜にも間に合う。誰とも会いたくなくて部屋から出なかったので、引きこもる前に比べたら10kgくらい太っていたし人に会いたくなかった。でも、人に会いたくなくても、あの先輩の最期に挨拶に行かないのは不義理が過ぎると思って、手持ちの黒いセーターと黒いスカートに黒いタイツと黒い靴でメールで知らされた会場へバスに乗って出向いた。

先輩は綺麗な顔をしていた。健康診断で心臓に異常が見られるから再検査を…という通知があったらしいが無視していたらしく、ある日就業中に異変を感じて早退し、家で眠るように亡くなっていたらしい。目の前の先輩の死に直面して、私は生きてるのに何で死んだように過ごしてるんだと感じた。フツフツと再起する気持ちが湧き上がってきた中、叔母が「若いのにそんな風に過ごしてるなら、沖縄の離島にでも行ってのんびり働いて来い!」と尻を叩いてくれたことで西表島に行くことを決めた。

そこから合宿の自動車教習所に行き自動車免許をとり、民宿に住み込みで働くことになった。沖縄にさえ行ったことがなかった私のファースト沖縄がいきなりの西表島だった。民宿は前の浜という海岸が目の前にあり、節祭という無形文化財の祭がある浜でもあった。

干立の御嶽
今年の5月に行った際の前の浜

民宿の朝は早く6時30分から民宿の朝食の用意と仕出し弁当の用意をしてスーパーへ配達。そこからマリンスポーツをするお客さん向けのお弁当の用意に、チェックアウトした部屋の掃除、リネンの洗濯、大浴場の掃除などをしてから賄いを食べて休憩。16時から夕食の用意等をして22時に終業。離島でのんびり働くどころか、むしろむちゃくちゃ働いた。

それまでの私は社会保険完備で有給もしっかりとれて残業も少なめなところを選んで働いていた。それが労働基準法って何? と言わんばかりの中で、自分で休みをチェックし忘れた為に17日連続勤務も体験した。17日目の仕事が終わった時は与えられたプレハブ小屋の床でそのまま寝てた。

あんなに引きこもっていたのに何でそんなことができたのか? 待遇は良い訳では無かった。頭で考えてばかりで動けない私はみんなから怒られてばかりだった。違ったのは陰険さがなかったこと。みんな怒った気持ちをそのまま出したら割とケロっとしていて、次の瞬間には笑ってるような感じだった。感情を出せなかった私がある日言われっぱなしなことにキレて言い返した。すると、それを「何だそうなん?」みたいにふつうに受け止められて逆に驚いた。

何でそんな風にできたのか? を考えると、理由は単に目の前に海があり、夜は降るように美しい星が見えたからな気がする。

感情が出せるまでは本当にしんどかった。周りに友達と呼べる人はいなかったし、誰かに電話をかけるのはお金がかかる。やるせない時は休憩時間に海に入って大きな声で好きな歌をうたっていた。出せない感情も、好きな歌を大きな声で歌えば元気が出た。


前の浜への里帰りのようでした

西表島に何ヶ月か住むと、少し親しい人ができてお隣りの祖内という集落にある「まるまぼんさん」という丸くて小さな島が眺められる浜に連れて行ってもらった。前泊の浜という、やはり節祭が行われる浜だった。夕刻にはその浜の水平線ギリギリに南十字星が見えると言われて見に行ったこともある。民宿で働いている時は休憩時間に自転車でその浜に行ったし、民宿から別の仕事に変わっても仕事終わりにスーパーでオリオンビールを買ってはまるまぼんさんと夕日を眺めて歌ったりしていた。

その頃の私はまだギターを手にしてはいなかった。でも好きな歌はたくさんあった。また自分の気持ちや想いを口に出して言葉にしたり行動に移すのはなかなか出来なくて、そのどうにもならない気持ちは好きな歌を口ずさむということで自分なりに解消していたんだと思う。

そんな私を海はずっと見ていた。

そんな私の歌を海はずっと聴いていた。

言葉として消化できない想いは海は受け止めていてくれる。

よくわからないけど、そんな安心感があった。

少しずつ素の自分が顔を出しつつも、まだまだ自分を信じられずに卑屈だった私が島を出る前、ずっとやりたかったことをした。その姿を海に見てもらった。

引きこもっている時にたまたま深夜のテレビでYUKIの「喜びの種」という曲のMVを見た。

恐らくロケ地は沖縄だと思う。沖縄の浜辺や森で妖精のようにくるくる踊り歌うYUKIが最後に仮面を外すシーンが印象的で目が釘付けになった。憧れの気持ちが湧いたけど、すぐに「私なんて…」と萎んでいた。

西表島の海を見ながらよく口づさんでいた歌のひとつがこの「歓びの種」だった。それを口ずさむだけでなく、島を出る前にこの西表島の浜辺でテレビで見たYUKIみたいに歌い踊ろう! と決行した。

YUKIみたいに軽やかではない。YUKIみたいに可愛くはない。YUKIみたいに高らかには歌えない。それでも憧れに近づこうとやってみた。

人から見たら気が狂ったのかと思われる感じだったかも知れないけど私は満足した。帰ろうとした時に、その様子を見ていた知り合いのオバァから「何か歌ってたね」と言われて少し恥ずかしかった。

そんな思い出のある浜で、海を見ながら歌った。あの頃、無力だと思っていた私は、この日初めて会った島に住む友人の友達の誕生日を祝う為に歌った。


何をやってもダメなんかじゃなくて、実はもうその頃から知っていたんだと思う。

私は歌が歌えるし、歌いたいんだと。

お金と結びつけて考えるからわからなくなってたんだと思う。お金になるとかならないとかはどうでもよくて、何にもできないんじゃなくて私は歌えるし歌いたい。その想いを口にしなくても、浜辺で歌っていた歌や自分の意識まで登ってきていなかった想いは、波が返すように私の元へ届いていた。

私にとって海とはいったい何なんだろう。わからないけど海がある場所で暮らしていたいと思う。海があれば素直になれるから。

#わたしと海


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