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残酷は愛を育む

今日は成人式。
スーツを纏った男性と晴れ着姿の女性に新しい年を感じます。
今日を迎えられた成人の方、親御さん、おめでとうございます。

一方で未だ、新年を迎えられぬ状況にある方々には心を痛めます。
ご無事とご回復をお祈りいたします。

複雑な一年の始まりに、
私は、今ここにいることを大切にしようと思います。

私は、今年米寿を迎える父と食べることと花を愛でることが好きな母と
和やかなお正月を過ごすことができました。

それはいつも通りの、例年通りのお正月でした。

「去年のお雑煮の方が美味しくできたわ」とか
「はすは見通しが良くなるの」とか

お取り寄せしたおせち料理と母のお手製の筑前煮や煮豚を味わいながら、
スポーツを観戦して、頭を使わない他愛のない話をしました。

ありがたいことです。
そのことがありがたいことだと感じます。

コロナを経て、親との関係が変わったと感じます。
変えようと思ったというよりも、
行動をした結果変わっていったということだと思います。

それまでは、気が向いた時に、実家に帰っていましたが、
2020年2月以降は、
月に1度は会いにいこうと思って実家に帰るようになりました。

会うたびに、
確実に時の流れを感じさせる2人の姿の変化に少しの寂しさを感じます。
その少しの寂しさは消えることなく僕の中で積もっていきます。
その寂しさの中に僕は命の有限を見ます。

実家を後にするときは、毎回「これが最後かもしれないな」と思います。
今までたくさんの楽しいことや喜びを分かち合う経験もしてきましたが、
常に円満で理想的な家族だったとは決して言えません。

今でも話していれば、苛立つことや理解してもらえない拒絶感などの
ネガティブな感情を経験することがあります。

それは理想を描くことや完全な理解を求めようとする裏返しで
僕の未熟な精神性の表れとも言えるでしょう。

ネガティブな感情を経験したときに、関わらないことを選択することは簡単です。
今まではそのような選択をすることもありました。
それが、このコロナ禍を通じて大きく変わったところなのだと思います。

親との関係において、もしかしたら、
想像したくないような未来がやってくるかもしれません。
そのような想像は僕を縛り付け、現実逃避への道に誘います。

そうではなく、今、一緒にいれること。
そのことを経験すること。
そのことが今の僕にとっても将来の僕にとっても大切だということ。

そういうことを踏まえて、親との関係性を見つめ直したときに
僕の行動は変わっていきました。

植木の入れ替えをするとか、庭の縁台の木材が必要だとか
年末の食糧が足りないとか。

実家からは定期的に、THE日常の依頼事項が届きます。
その度に自分が頼りにされていることを確認している僕がいます。
以前なら、無関心にやり過ごしていたこともあるかもしれません。

当たり前のようにできていたことが段々とできなくなっていく。
抗えぬ時間の流れは残酷です。

それと共に親と子の関係は変わっていくものなのですね。
残酷はただ残酷なだけではなく、愛を感じる時間にもなるのですね。

ラジオでは、パーソナリティーが成人にメッセージをしています。
「大人とは子供ではないこと」と言っています。

僕は父の子であり、母の子でよかったと思う。
僕はいつまでも彼らの子でありたいと思う。

子供ではないことが大人であると言うならば、
私は、大人にはなれないなと思いました。

今年はあと何回会うことができるだろうか。
本年もどうぞよろしくお願いします。

みのる

〜心でつながる社会を実現する〜
マインドフルネスプロジェクト



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