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修士論文を書き終えて。

先日、修士論文の公聴会が終わり、修士課程を終えた。

この2年間「修士論文」という大きな目標に向かって日々進んできたから、嬉しくもあり、それが突然終わってしまって、なんだか寂しくもある。それだけやり切れたということでもあると思う。

この2年間、誰よりも「エフタスコーレ」と向き合ってきた。エフタスコーレとは、デンマークのオルタナティブな学校で、10代後半の若者が共同生活を通して自分を見つめ直す。

4年前の留学の時にエフタスコーレと出会って、当時日本のシステムの中で「生きづらさ」を感じる若者の一人であった私は、この学校を直感的に「おもしろい」と思った。むしろ私も10代でこんな学校に出会えていたら….という憧れのようなものに近かったのかもしれない。

日本に戻ってからそれまでのテーマを変えて、エフタスコーレに関する卒業論文を書いた。そして導かれるように、大学院に入り、研究を続けることになった。


今までは外国語学部で、周りもデンマークのことを知っていたから、エフタスコーレのことを話しても、すっと理解してもらえた。一方、人間科学部に移ってからは、「デンマーク?」「エフタスコーレ???」という感じで、理解してもらうのに苦労した。

最初の頃「なんでエフタスコーレが良いと思うの?」と聞かれて、これだけ良いと思っているのに、うまく言葉にできず、もどかしい気持ちになった。

それを2年間かけて、常に「なぜか」を考えながら、現地へ行ってインタビューして、分析して、また考えて….それを繰り返すうちに、やっとほんの少し言葉にできるようになったと思う。自分がなぜエフタスコーレに惹かれ、何を伝えたかったのか。

先日ご指導してくださっている先生が「何かに対して、なぜ自分が良いと思うかは、いっぱい考えるなかでやっと見えてくるもの。その良いと思う直感がとても大切」と話していた。

ああ、自分のやってきたことは間違ってなかったんだと、胸が熱くなった。


私がエフタスコーレを通して伝えたかったことは、教育を含めた子ども・若者世代への「人生前半の社会保障」に投資することの意義。日本では、家庭・学校・会社が、若者の”自立"に大きな役割を担ってきたため、社会保障が発達してこなかった。その結果、若者の「生きづらさ」が多様化する中でも、若者に対する眼差しは依然として冷たく、自己責任に帰されやすい。

一方のデンマークでは、この「人生前半の社会保障」が充実している。子ども・若者を大切な社会の資源とみなし、"社会で育てる"意識が根底にある。

エフタスコーレには、将来やりたいことがまだはっきりと決まっていない者、家を離れて生活してみたい者、勉強に疲れた者、何か新しいことに挑戦したい者….多様なニーズをもつ若者がやってくる。なので、例えば「不登校」のように属性に限定した学校ではなく、一人ひとりがさまざまな目的をもって、それを1年かけてゆっくりと消化していく。

学びの形も非常に自由で、勉強だけではなく、アートやスポーツなど、自身の興味のあることを思いっきり学ぶ。また、共同生活を通して、同年代の友人や、親以外の信頼できる大人との関係性を築いていく。いわば「人間形成」の場である。

そして、ここに公的な認可と助成金がおりている。つまり、こうした選択肢を社会として「保障」しているのである。

エフタスコーレでの学びの成果は、数字で表せるものではない。効率を目指すものではないから。そうではなく、一人ひとりの「人間形成」その子のより良い育ちに投資することに価値が置かれている。

これはデンマーク社会全体に言えること。その人がその人らしく生きられることが大切で、そのために必要な選択肢を社会として保障している。それを体現するほんの1つの事例がエフタスコーレだったのではないかと思う。だから、私はエフタスコーレに惹かれたんじゃないだろうか。

日本とデンマークでは歴史も社会背景も何もかも違うから。だからできるんでしょ。そう言われることもあるが、そんな価値観をもつ社会があると伝えることは、決して無駄ではないと思う。少なくとも私は、それを知ることで救われたのだから。


修士論文を提出できただけではなく、このテーマと向き合い、書くことを通して、こうした自身の問題意識、今後のテーマが言語化できたことは、今後の研究生活にもつながる、大きな財産となった。

そして何より、論文を書くプロセスの中で、今後の自身の人生においても指針となるような、たくさんの学びがあった。

ーーもうだめだと思ったときにどう考えるのか。

ーーそれでも自分を奮い立たせるものは何なのか。

そしてそんな時、私を支えてくれるたくさんの素敵な人に出会った。

どんな時も辛抱強く、全力で向き合い、優しく寄り添ってくれる先生。議論し、励ましあい、一歩一歩共に歩んできた同期の友人。自身の研究を差し置いてアドバイスをくれた先輩。海外から来た拙いデンマーク語に耳を傾け、真剣にインタビューに答えてくれた生徒のみんな。初めての海外調査で不安な中、温かく受け入れてくれたデンマークのみなさま。そして、いつも心から応援し、温かく見守ってくれる家族。

そんな一人ひとりに支えられて、論文を書き上げることができた。

大学院入学時に先生が言っていた「研究は一人でできるものではなく、必ず誰かの協力があって、はじめてできるもの」という言葉。当時はあまりピンとこなかったけど、今は実感を伴って心からそう思う。その人たちの存在が、その人たちへの感謝が、私を突き動かす原動力となってくれた。

やっぱり研究の道は向いてないかもな。もうやめようかな。色々と思うこともあったが、論文を書くことに伴う学びや達成感は何にも耐え難く、改めてこれが私の成長する道なのだと確信した。今はまだ未熟かもしれない。私よりも才能のある人もたくさんいる。それでも、未来の成長する自分を信じて、支えてくれる人たちへの感謝を込めて、これからも一歩一歩ひたすら歩み続けよう。そう心に決めた。

この場を借りて。2年前に私が進むべき道に迷っていた時、背中を押してくれたみなさまに、2年間で出会ったすべてのみなさまに、改めて心から感謝を伝えたい。本当にありがとうございました!Tusind tak ☺︎

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