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短編小説『半透明な熱帯魚たち』 Ⅲ.陽花(Haruka)(1)

Ⅲ. 陽花(Haruka)
(1)

「さあ、今日も午後4時になりましたー! Harukaの部屋へ、今日も皆、おかえり!」
 陽花は、「SMILE」の配信開始ボタンを押してから、スマートフォンのマイクに向かって話し始めた。
 
「SMILE」は、誰でも個人でラジオチャンネルを作ることのできるアプリケーションソフトだ。パーソナリティ「Haruka」としてラジオ番組を始めて半年、平日月曜日から金曜日の午後4時から一時間の間、欠かさずに番組を放送している。
 
「今日は、この7人ね」
 初めに心の中でリスナーを確認した。
 番組を放送している間は、リスナー名と彼らのコメントがリアルタイムで表示され、パーソナリティからの一方的な放送というよりは、リスナーとコミュニケーションを取りながら番組を進めることができる。
リスナーリストに挙がったおなじみのメンバーに、陽花の目元と頬は緩んだ。
 
 中でも、HizukiとSeinaは特に常連だ。ラジオ番組を始めてすぐに出会った彼女たちは、いつも番組開始と同時に聴きに来て、この半年の間に色々な話をした。その中で二人が陽花と同じX県に住んでいる高校2年生だということ、そして、「言葉を話す」ということに臆病になっていることが分かった。
 
 昨日、番組で「お悩み相談」企画をした時、Seinaはこうコメントした。
 
「Harukaちゃんは、毎日こうやってラジオ配信していて怖くなったことはない? 私は話そうとすると怖くなって、どんなことを思っていても笑顔を浮かべることしかできないんだ。今のところ大した問題はないけど、苦しくなることがある」
 
 そして、その後にHizukiもコメントを続けた。
 
「Seinaの気持ち、ちょっとだけ分かる。私も自分の言葉が嘘ばっかみたいで、話すのが嫌い。大人達なんて、誰かが何十年も前に言った良くない言葉を今になって掘り返して、すっごい非難し始めるじゃん? 時間が経てば、思想や考え方なんて変わってるかもしれないのに、自分でも覚えてるか分かんないようなそんな昔のこと持ち出されるなんて、恐怖しかない」
 
 二人がどんな表情をしているのかは見えないが、気持ちは痛いほど分かった。
 ラジオ番組が始まれば、「いつも明るくノー天気!」。それがラジオパーソナリティのHarukaだが、SNSには時々、見知らぬ誰かが馬鹿にする言葉や卑猥な言葉を勝手に投げ置いて、その度に心は傷ついている。「そんな悪意の言葉は気にしなくていい」と頭では分かってはいても、「自分が何かしてしまったのか。誰かの楽しい時間にしたいはずの自分の番組で、気付かないうちに傷つけてしまったのか」と自責の念が自然と湧いてしまう。
 それでも、陽花がラジオ配信を止めずにいられたのは、HizukiやSeinaのように番組を聴きに来て、そして応援をしてくれる人たちがいるからだ。
 
 実は、陽花自身、元々話すことが得意だったわけではない。幼い頃から、母親から顔をしかめながら「女の子のくせに字が汚いわね」とか「声を聞いてると頭が痛くなる」と言われ続け、自分がとても惨めなものだと思っていた。
 しかし、小学二年生の時、音楽教師でもあったクラス担任の田村先生は、陽花の歌声を「とてもきれい」と褒めた。「あなたの声が私は好きよ」と言ってくれた。クラスメイトの視線に怯えてどんなに小さな声で国語の教科書を音読しても、田村先生だけは決してけなさずに「また次もあなたの声を聞かせてほしい」と言ってくれた。
 後に田村先生の担当する「小さなこどもの合唱クラブ」に入り、歌うことが好きな友達ができると、段々と声を出すことや歌うことが怖くなくなった。人と違う声が悪いことでなく、それは「自分にしかない大切な個性」なのだと田村先生は教えてくれた。
 
 Harukaにとって、応援をしてくれる人達は田村先生のような存在だ。そっと背中に手を当てて、「あなたはそのままでいいんだよ」と失敗や欠点のある自分を認めてくれるような安心した気持ちになる。
 
 言葉は、時として人と人との関係を断ち切る刃にも斧にもなる。
 言葉は、薄い硝子のようにとても繊細で、壊れやすく割れやすく、いつも危険と隣り合わせだ。
 
 けれど、きっとそれだけではないはずなのだ。傷つけられたのが言葉であっても、それを癒してくれたのも言葉だった。言葉の持つ文字の形や言い回しでなく、そこに込められた心が言葉を通じて壊れた何かを越える勇気をくれた。
 
 Hizuki とSeinaにも、「言葉を話す」という恐怖からどうか解放されてほしいと心から思う。誰とも本心で話せない状態が続くなんて、身体にも心にとっても良いはずがない。今は大丈夫であっても、心に溜まったよどみはいつか心を崩壊させてしまうかもしれない。誰かと話をしたり、誰かに話すことで楽になることってあると思うのだ。
 
 番組放送が始まり、リスナーに一通り挨拶を終えたところでHarukaはある覚悟を決めて、話を切り出した。

(Ⅲ.Haruka(2)へ、つづく)

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お待たせしました!
本日より、「半透明な熱帯魚たち」の連載再開です。
少女たちの心の物語を、少しでも感じていただけたら嬉しいです🐠🐟


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