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紅蓮華と素読


まだ「はじめてのおつかい」の話を続けるけれど。
番組を見ていると、小さな女の子がおつかい中にLiSAの「紅蓮華」を口ずさんでいた。
そういやうちの姪も小1ぐらいの時に歌詞を覚えて歌ってたなぁと思い出した。
「紅蓮華」の歌詞は大人でも難しい日本語がいっぱいだ。
その時、よくこんなん覚えれるよなぁと思ってたけど、他にも同じような子がいるのを見て、子どもって覚えるもんなんだなぁと改めて感心した。

江戸、明治の漢文の素読(意味を理解するんじゃなくて、分からなくてもただ音読するやつ。あの時代劇とかで出てくる、みんなで机並べてやってるやつ)は良い教育法だった、みたいな話を時々聞く。
子どもが大人の歌を覚えるのは現代版素読みたいな感じがするから、何かしら教育的効果がありそうな気がする。
文章のリズムとか語彙の選び方とか、なんて言うか、言語感覚みたいなものに何かしらの効果が。
自分にどういう影響があったのかは謎だけども、自分も子どもの頃は、テレビで聞いた歌を同じように意味も分からず歌ってたいたものだ。
そう考えると、どんな歌が流行るかは、その世代の後の言語感覚に影響があるのかもしれない。
「紅蓮華」育ちの姪たち世代はどうなっていくのだろう。

あと、昨日もなんとなくテレビを見ていたら『約束のネバーランド』という映画(全然知らんかったけど、週刊少年ジャンプの連載漫画が原作らしい)がやっていた。
主人公グループのうちの一人を演じていた子がめっちゃ棒読みだなぁと思ってネットの反応を見てみると、自分と同じような感想が多かった。
その中に、「この子、台本丸暗記して言葉の意味考えずに喋ってるだろ」と言っている人がいて、膝を打った。
なるほど、素読だけだと限界があるらしい。
次のステップは言葉の意味か・・・。

かくして、何も考えずにお正月の特番を見ているだけで、僕の言語論は深まっていった。

でも、大人になっても、「愛の意味も知らずに〜」みたいなことも言うしな・・・。
全ての意味を理解した上で物を言うのは不可能だ・・・。
どうすれば良いのか。

分からないので、とりあえず「紅蓮華」を聞いて、テレビでも見ながら何かの瞬間を待つことにする。
その内なんかあることだろう・・・。

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