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僕の小規模な退職 その5

急に不安な気持ちが襲ってきた。

退職を決めてからというものの張り詰めていたものが切れたというか背負っていた荷物を降ろせたというか、なんというか晴れ晴れとした気持ちでいたのだが。

急に不安な気持ちが全身を蝕むのである。


この先、職を失ったままになるんじゃない。
何の仕事もなく年老いていくのじゃないか。
社会復帰できないのではないか。
自分には何も無いんじゃないか。
何もかも失ってしまうんじゃないか。
結局自分は何も成し遂げられない人間だったんじゃないか。


などなどネガティブな事ばかりが頭によぎる。

企業に属したくない等と偉そうな事を考え再就職に二の足を踏んでいるが、そもそも採用してもらえるのかどうかもわからない。


採用されたところで次の会社に馴染むことができるのだろうか。
自分は社交性が低い人間だ。
ましてや既存のコミュニティーに入っていくのは苦手だ。
馴染むまでにも時間がかかる。
新しい職場で新しいルールや慣習を察するだけで気疲れしてしまう。
話題を合わせる事も苦手だ。
そもそも話題を合わせる努力をすることが出来ない。
興味の無いものに興味を持つことができない。
そうコミュニケーションが不得手なのだ。
コミュ障だ。


こんな中年おじさん。
取り扱いが難しいはずである。
フレッシュさも無い。
それなのに変に経験を積んだプライドだけはある。
そればかりか従順ですら無い。
だからといって専門知識が高いわけでも無い。
平均以下。
期待はずれ。
無知。無能。
雇用する側からすれば後先短く取り扱いにくい中年よりも未知数の可能性を秘めた若者の方が望ましいはずだ。

では自分のような中年クソジジイはどうすればいい。

フリーランスになればいいじゃないか。
いやいや簡単に言うな。
あてのある仕事も無いのに。
どうやって食べていくというんだ。
営業力も無いのにどうやって仕事を貰うというんだ。
簡単にいうな。
お前のような凡人以下に務まることじゃない。
凡人以下なら再就職だって無理だ。
そうだ。お前はこのまま何もできずに何もかも失って朽ちていくんだ。

そんな事が頭の中でグルグルグルグル回り続ける。
グルグルグルグル回るのはグルコサミンだけで良い。
世田谷育ちのグルコサミンだけで良いのだ。

「何やってもうまくいかないんだ。」

そんな言葉で頭がいっぱいだ。

コーヒーの粉を床にぶち撒けたり、炊飯ジャーの予約ボタン押し忘れたり。
何か失敗するたびに「何やってもうまくいかないんだ」と言っていたら妻に『何やってもうまくいかないマン』と似顔絵を描かれたことがある。

そのフレーズが妙に可笑しくて気に入っていたが、やはり何やってもうまくいかないのは辛い。辛すぎる。

というか「何やってもうまくいかない」と口癖のように発言するから『何やってもうまくいかない神(しん)』が舞い降りるのかもしれない。

これからは「何やってもうまくいく」と言っていく。
前向きに考えると物事が良い方向に向かっていく。

なんて話にしていきたいところだが、簡単なことじゃない。
長年染み込んだ悲観的、否定的なネガティブシンキングな考えは、一朝一夕では変えられるものではない。

このままウジウジと考え込み不安に押しつぶされそうになりながら生きていくしか無い。
そんな気持ちを今は噛み締める時期なのかもしれない。
こうやって文章に起こす程度には元気なのだから。

44歳。推定無職。何をやってうまくいかないマン。



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