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79年目の「終戦の日」に


1945年8月15日

 人という存在は常に顧慮自省こりょじせいと点検を求められる。それらを欠く未来というのはあり得ない。くなる意味にて「歴史」なる学問は顧慮自省の精神に成り立つ。加うるに、歴史を省みるに当たり客観的・科学的かつ冷静な姿勢をも求められよう。そう規定するなら、特定の思想信条にゆがめられたる史観というのは排撃せるを枢要すうようとすべきではあるまいか。例えば自虐史観や進歩史観。おのが都合の良いように解釈するがゆえに「牽強付会けんきょうふかい」へと陥りやすき最たるそれである。彼ら彼女らは大抵、瞽滅法めくらめっぽうに戦前を悪と非難論難する。しかしである。さて斯様かようなる姿勢には果たして客観的・科学的かつ冷静なる視点がどれほど担保されているのであろうか。少なくとも35年の二度に亘る「国体明徴声明こくたいめいちょうせいめい」そしてその間に軍部を震撼しんかんせしむ永田鉄山暗殺以前について(否、より遡り二月以降世間を混乱へと陥れる所謂いわゆる「天皇機関説事件」以前について)、仮に手放しで「悪」とめ付けるのであれば、そこには最早「冷静なる視点」も客観視も科学的究明の努力すらをも見い出せやしまい。他方、皇国史観やその亜流は情緒的神話的に過ぎ、また同じく科学的視座を蔑ろにする。永田暗殺かつうは二度目の国体明徴声明以降をして批判的姿勢すら投げ打ちて挙句に毛筋ほどではあれど賛美する保守が存在すると仮定するなら、それは似非えせ保守であり実態は「国民社会主義(国家社会主義)」信奉者=変態的左派ポピュリズムに毒されし者たる証左である。
 それらを踏まえた上で、では何故「日支戦争」「大東亜戦争」へと到るよりなかったのか⋯⋯翻ってその時点より「善悪」なる倫理価値基準を排除せる「科学的」態度にて探究する在り方の模索こそ、およそ戦後八十年になんなんとする今日我々に課され託されし命題である。
※如何なる思想信条であれ、個人的に「反戦」を誓うは寧ろ自然なる発露が一つであり認めるべきである。また散華さんげせられ給う、あるいは失われたる三百数十万柱が英霊、民間人犠牲者へ敬意を抱きまた哀悼の意を表すは、思想信条以前に人たるとて当然である。

 さて──。
「終戦の日」に当たり、往時を象徴せしむる音楽を幾つか披瀝しよう。一つは准国歌と認定されることとなる信時潔「海行かば」であり、一方で時代の「空気」を如実に伝える諸井三郎「交響曲第二番」「交響曲第三番」より夫々第一楽章、フィナーレをお送りしたい。
「海行かば」を巡っては、ある意味にて「君が代」以上の拒絶反応を示される向きもあろう。「君」が「御上おかみ」を示す人称代名詞であると同時に、単なる「二人称がそれ」と置換し得るのに対し、家持やかもちが詠みたるは「大君おおきみ」でありつまり「御上」そのものである。されど「長歌=古歌」であり、古代軍事氏族が後裔血脈こうえいけつみゃくを誇る家持が詠みし歌なれば、それこそ自然なる発露が結果であろう。また斯くなるコンテクストになる国歌あるいは愛国歌を持つ国・圏域は欧米始め数多あまたであり、そのような意味からするに、家持でなくとも懐胎し得る原初的表現でさえある。つまるところ「大君」を譬えて故郷や家族、伴侶などへと読み換えるなら、寧ろ斯く情動を欠如したる者たるや最早「人非人」であるとさえ断じて過言とはすまい。


テクストあるいは音楽に「罪はあるのか?」


 いずれ家持の詠みし歌であれ、信時がしたためたるノートであれ当然「罪はない」。所謂「日の丸・君が代」問題と同様であり、拒絶反応を示し罵倒するは「問題の歪曲化わいきょくか=スケープゴート化」にてお茶を濁す「歴史に対する不誠実」なる姿勢を曝け出す如何にも滑稽なる態をや恥じて知るべきであろう。古歌は古歌、音楽は音楽として厳然と存在し継承をされしがゆえに、文献史学上にても財産として伝えられ、今日的記録媒体=ディスクメディアとしてあるいは演奏会などにても取り上げられる現実をこそ直視すべきである。
 では一体、何がそう惹起じゃっきさせる「悪=根本」であるかをしかと見定める行為こそ「歴史をたずね知り」新たなる未来へと繋げる営為ではあるまいか。斯く意味にて「象徴=シンボル」を「スケープゴート」とする歪曲化ほど児戯に等しき愚かなる振る舞いはなかろう。エリザベイジアン──ジャコビアンが賢王ジェームズ一世(スコットランド王としてはジェームズ六世)は、嫌悪すべき対象を巡り学者がごとく研究をしたる一風変わったキングであり、結果たるとて「タバコ排撃論」を初めとする論文を幾つかものしているが、倣うべきはその「姿勢」であろう。研究してみ給え。家持にも信時にも罪なき事実のみが山のように積み上がるだけである。排撃すべき「対象」を見誤るなかれ。
 とまれ「今日的価値観」を「無批判的」にスライドしつつ「歴史を語る(かたる)者」は碌でなしと肝に銘ずべきであると断言しよう。


ルポルタージュとしての諸井作品


 諸井の交響曲であるが、この数年来「三番」がやおら注目を浴びるは、クラシカル・ミュージックがファンであれば「ああ。そうね」と呟くほどに膾炙されているに違いない。
 44年という、とうに国家臣民でさえ「絶望」を仰ぎ見始める時代が産物であり、斯くなる厭世観えんせいかんが表出せる名作ではあれど、音楽的密度や構造としての「作品」あるいは「時代の空気」をより確固たる形で稠密ちょうみつに描くは、斯く三番ならず寧ろ37─38年になる「二番」であろうか。好みの問題とも関わりはすれど、アナリーゼを施せば明らかながら、完成度においては二番がやや高い(とは言え絶望と厭世が帰結たる内省的「三番」も当然傑作である)。
 非機能和声を多用しかつ、綿密なる対位法的書式により設計をされるソナタ形式になる二番第一楽章は極めて堅牢な音楽であり、ドイツ留学以前(スルヤの会にて中原中也と交わりし頃)の諸井なぞ存在しなかったやにさえ響くかの、中期が彼を代表せしむる作品と捉えてくはない。剰え近年はアマチュアをも含め取り上げられる機会も増えつつあるにも拘らず、音源たるや未だ70年代になる山岡重信&読売日本交響楽団によるそれ以外にはなく極めて残念ではある。一昨年の暮れにシンフォニア・ニッポニカが演奏会にて取り上げているが、果たしてリリースをされるであろうか(同団のディスクは、概ね特定の作曲家へと焦点を当てる「個展」シリーズが核であり、斯く思うなればディスク化はされぬやもしれぬと半ば諦め消沈をする筆者ではある)。

撃墜される特攻隊戦闘機と大伴家持が長歌「海行かば」

 概して戦中の諸井は、例えば山田耕筰がごとくに積極的なる恰好で政府当局と関わるでもなく、然りとて反体制というのでもなく、着かず離れずにて職をも得てはいるが、その「一個が作曲家」たる姿勢は、まさに「市井が人々」と大差はない。ゆえなればこその二番たるや「不安の時代が交響曲」である一方、三番は国家的威信をも汲み、オルガンをさえ編成へと加える「記念碑的」大規模作品として仕上げられてはいるものの、その音楽が胚胎をする暗さは「確信的なるシャスタコーヴィチが八番」とは極北なれど同じく悲劇を見据え、国策的圧力を換骨奪胎かんこつだったいしつつ、ある種の「レクイエム」たるフィナーレをして回答たるとて提示したる「妥協と良心が産物」ではある。二番のフィナーレ同様、独立せる楽章と呼ぶべき暗鬱にして惑いつ希望を求めるかの長い序奏の後は、まさにレクイエムであり、平和をこいねがう魂が叫びと静かなる祈りの交差である。斯く意味にて、オルガンは二重のそれとてモニュメンタルにして欠くべからざる「要素」であり、曰く「カウンター的」なる心理が投射になる象徴やもしれない。


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