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「みんなが私を知れば私の孤独は埋まると思ってました」

女性芸人たちの対談集「女芸人の壁」を読みました。

20年ほど前、お笑いをやりたいのは圧倒的に男性多数。
女性はアナウンサー志望だったりネタをほとんど作ってなくても「たまたま」有名番組に出れるようなことがあった。
プロの技術を極めなくてもうっかり全国に飛び出せた時代。それによって大変な思いをしたり、一生モノの貴重な思い出になったり。
「テレビが最強だった時代」の証言として、性別関係なくおもしろかった。

中島知子はほとんどネタも作ってない新人同様で、大御所の堺正章を本番で、間違えて「コサカイさん」と呼んでしまう。
「モリマン」のモリ夫はダウンタウンの番組に出て、今の月亭方正とごぼうで殴りあう仕事をしている。このころの松本人志はバラエティで食べ物を捨てるとクレームを言う素人を挑発するように、あえて食べ物を粗末にしていたので、モリ夫はネタもほとんど作ったことのないのに大観衆のもとで熱いあんかけをかけあう、わけのわからない世界まで連れていかれる。

女性芸人たちからは、そろって
「なにもわからなかった」
「私は自己肯定力が低い」
何度も同じフレーズが出てくる。

ずっと可愛いと言われて育った山田邦子は、テレビの人になったとたん、共演者からブスと言われ続け、外に出ればおばちゃんたちに「結婚しないの」「子供産まないの」と、みんなに同じことを聞かれ、結婚したら「ブスなのに結婚したから嫌い」と言われる。

ひどい時代だと思うけど、令和もたくさんの視聴者が山田邦子が水曜日のダウンタウンに出演したとき、「あの消えた人が!?」って反応していた。自分も共犯の素人だ。

「みんなが私を知れば私の孤独は埋まると思ってました。それは関係ないんだって有名になってから気づいた。でも、その時点ではもう降りられなかった」

強烈なキレ芸で、何言っても傷つかなそうだった青木さやかのこの言葉!
今、時代を獲ったような顔をしているインフルエンサーたちが、のちに同じ意味のことを語るかもしれない。

女性芸人の「あがり」という言葉が本のなかには何度も出てくる。
女性芸能人が可愛い感じで出てきて、結婚したらしっかりしたキャラを求められ、出産したらママとしての意見を求められて、テレビから見かけなくなる。
男性芸人がお笑いから一歩引いてMCになり、映画や本を出して落ち着くパターンはあるが、女性芸人の「あがり」はどこにあるのか、誰をモデルにすればいいのか、対談の中で探したあと、最後に、ここが「あがり」じゃ!とばかりに登場する上沼恵美子の圧倒的なボス感が痛快。

みんながテレビの裏側に置いてきた繊細な一面を明かしたあとに、上沼だけが少女時代の苦労も孤独も意地悪も、全部エピソードトークの材料にしてしまう。
インタビュアーがなんとか上沼の内側をさぐろうとしても、話が途切れなくて入る間もない。
若手が自分の悪口を言ったことを、「ネットのことはよく知らない」と言っていたはずだけど、たぶんなにもかも知っている。そのうえで若手の子らを困らせないように「最新のことはよく知らないおばちゃん」になってくれている。最後に出てくるえみちゃんの剛腕で全部もっていかれる。

追記。
納言の阿部くんが「童貞を悪く言われるのは意味がわからない」と主張して一蹴されるくだりが引っ掛かる。
バキバキ童貞チャンネルや、フワちゃんのラジオでも最近やたら童貞いじりを聞く。大昔の男性社会の汚点だぞ。

一人で趣味に没頭しても、生涯に奥さん一人しか愛さなくても「女を多く抱いたやつが勝ち、はいはい負け犬の遠吠え」
その理論に苦しんで、多くの男性が強引に女性に迫って、なんとかゼロは逃れようと女性経験を点数のように奪い合い、凄惨な事件にまで発展しているのに、本書では「処女は重いけど童貞いじりはポップだからいい」で済ませている。
ブスと言っとけば勝ちみたいな時代があったというが、今もなお童貞と言っとけば勝ち、みたいな時代は続いている。反論すれば「お前もそうだからムキになってんだろ」的な。
フェミニズムは互いの立場を想像し、女性も男性も解放するものだと聞いた。から、そこは話し合いが必要だ。

読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。