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とんねるずと松本人志は、コマンドーとダイ・ハードぐらい違う

面白くないことが「一周して面白い」


日本人は、お笑い芸人が何度も同じギャグを繰り返したり、すべりすぎると「一周しておもしろい」と笑う。

欧米人はスプラッター映画を観ると、「やりすぎだろう」と笑う文化がある。

松本人志関連のことで思い出したことです。
欧米人は一線を越えた作り物っぽい暴力表現を、笑うものだという作法にのっとって楽しむ。
惨殺で笑うガイジンは狂ってるのかと引いていたけど、日本人も「そういうルール」だと学んだ。
スプラッタで笑う人は異常ではないし、ああいったB級作品にも魂を込めたものがあり、救われてきた人がいるのを知った。

日本人は、芸人がすべり続けると笑ってしまうことがある。それはだいたい松本人志の「教育の成果」と思っている。
ギャグをしても沈黙が続く中で、山崎邦正さんとかがあせる。
その表情を見てワイプで爆笑しているダウンタウン。

「松本人志学校」に通っていない外国人は、つまらなすぎる人はつまらないし、同じギャグを繰り返したら拒絶する。
一周まわっておもしろい、の2周めに入らないらしい。

今でもコウメ太夫さんとかは、
「あんな低クオリティのものをずっと続ける行為は、一周まわって面白がるべきだ」という暗黙の了解の上で愛されている。

一周まわるのは当たり前で、Amazonプライムの「ドキュメンタル」は、二周三周したらどうなるのか、笑わせることが通じない空間ではみんながどんな行動に出るのかを実験する番組になった。純粋なお笑い番組ですらない。

 ぼくも、松本学校に休まず通った覚えはないのに、芸人が必死でギャグをやって、すべり続けて、哀愁が出ちゃってると笑ってしまう。
「面白くない、帰れ」とは言えない。
「もうええって!諦めーや!」と笑いながら言う。

松本人志がテレビに出なくなっても、日本人の一部に松本人志は残る。
会話の中にもギャグ漫画にも、避けようがないくらい染みこんでいる。

ビートルズに興味がないから知らないって言ってる人が聞く音楽が、じつはビートルズに影響を受けたバンドに影響を受けたバンドに影響を受けている・・・みたいに、大げさだけど、松本人志は日本語をちょっと作った。

だから松本人志がいなくなるとしたら、
「たまに暴力振るってたけど自分の血肉になっている家族が消える」
みたいな感じ。うまく受け止められないのだ。

何十年単位でジャニーズが心の支えだった人や、少年期からスターウォーズが好きだった人が心のよりどころを無くしているのが他人ごとだったけど、ちょっとわかったよ。

とんねるずの笑いに対抗してダウンタウン、のイメージだったのに

ダウンタウンを、とんねるずや田村淳やネプチューンと同列にあげて、あれはいじめ的な笑いだ、内輪のりの笑いである、と語っている奴がいたけど、リアルタイムで見た自分からいうと、とんねるずとダウンタウンを同じようなものと扱っているのが驚愕だ。

コマンドーに対するダイ・ハード。
観たことないひとからは一緒にされがちで、部分的には似てるけど、根本的な思想から違うやつ。

ネプチューンやロンドンブーツが、女の子にゲームに挑戦してもらって失敗したら服を脱いでもらう企画をやっていたけど、ダウンタウンはそういうのから一歩引いてた。

とんねるずは後輩に命令して罰を与えるだけの「理不尽な運動部のボス」だったけど、
「利き○○」や「笑ってはいけない」のように、ダウンタウンの企画は、間違えたら自分たちも罰を受けるルールで続けていた。
それだけでも感覚としてはぜんぜん違う。

ワイドナショーで田村淳がコメントしていたのに驚いた。
あの人が90年代過激バラエティの代表みたいな認識だったのに。
カップルに声かけて、女の子と知らない爺さんがディープキスできたら賞金もらえる番組やってたころから、少しづつ髪色を変えて、現代のムードにアジャストしていったらしい。

朝のニュース番組を担当している元極楽とんぼ加藤。あだなは「狂犬」荒くれで有名だったし、ネプチューンは番組観覧に来ていた女の子のスカートを無理やりめくる人たちだった。
ぼく個人的には、女性芸能人のYOUさんが中川家のお兄ちゃんのパニック障害を馬鹿にしたのを、わざわざ苦情は出さないけど、忘れてもいない。

(みんなあるんだろうなあ、わざわざ投書しないけど覚えているよ、って温度の被害)

芸能人だけじゃなくて、たとえばぼくが何かの事件起こして有名になっても、完全に忘れてた人から
「お前は覚えているか!小学生のとき私の胸を刺した一言を!」
と、下の名前も思い出せない人から突っ込まれるかもしれない。

政治家もミュージシャンも、有名になった時点でプロフィールに
「現時点で身に覚えのある罪はこれとこれとこれですが、今では反省しています」
とか書いたほうがいいだろうか。

松本人志の暴力と、もうひとつ、伊集院光の女性嫌悪。
このふたつは、表舞台では明らかに見なくなった。
それも、世間の風潮に従って「しぶしぶ」じゃなくて、奥さんや幅広い人と知り合うことで自然に変わっていったように見えて、それがかっこいいと思っていた。

読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。