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内澤旬子「着せる女」の装丁がすごい!

知り合いの男性作家、写真家、編集者を一流の店舗につれて行き、カリスマフィッターとともにスーツを着せるエッセイ。
バラエティ番組でもこういうのある。「CMのあと、ダサかったお父さんが大変身!」みたいなやつ。
見る目のある女性は、服に無頓着な男に普段からイライラを溜めているのでしょうか。自分の良さを殺している、もさっとした姿で見られることに何の抵抗もない人たちに。
男性から見た、言葉遣いが汚い女を見たときのガッカリ感に近いでしょうか?

登場する男性作家たちは、「クレイジージャーニー」出演者でアヘンを吸ったりゲリラに襲撃されていた高野秀行、会社勤めをやめて旅行記を書いている宮田珠己ら。
日本の会社文化を嫌い、ネクタイをしないことを誇りにしている人たち。

彼らがこのままの価値観で出版社のパーティーなんかに出て「どの場所でも俺のスタイルを貫くぜ」と、謎の柄シャツとサンダルで登場したら、目も当てられないことになる。
そんな事態を避けるため、あと作者のスーツ姿フェチの愉しみのため、オーダースーツをあしらえる。

そこから、政治家や大統領のスーツの話、バブル時代の流行、女性用スーツを選んでいて感じる生きづらさなど、スーツを起点にいろんな方向に話がころがる。


登場する男の中でも、カメラマンの森清さんはこの企画と相性が良かった。
見た目からしてワイルドで藤岡弘、が山道を歩いているときみたいなジーンズと太いベルトをしている。
「ネクタイをしたくないからカメラマンになった」
とまで言い放つ、スーツアレルギー男。
俺はネクタイはできない、第一ボタンは外させてくれ、と主張する彼に専門店のアドバイザーが、第一ボタンを外して着る用のシャツを提案する。

あるんだってさ!そういうの!
素材が良くて、第二ボタンまでの間隔が開いてて、首元がセクシーに見える、ネクタイ禁止シャツが!
手首のボタンの付け方も何種類もあって、デスクワークの人は手首を曲げるから1センチ長くとるとか、腕時計と手首の見せ方をきれいに飾るとか、
「足が長く見える」じゃなくて「長くなる」としか言いようのないパンツとか、あるんだってさ!

話をするうち、カウンセリングのように参加者がスーツ文化に別れを告げたきっかけが語られる。
会社生活、つまらない大人、退屈な生き方の象徴。スーツを着ないでいい生活のために頑張ってきた。

だけど、スーツの歴史を知って、自分を引き立ててくれる粋なスーツがあれば、着る。

スーツは欧米人の体型に合わせてつくられた。日本人の体だと、着物のほうが腹の出ているのを隠してくれると聞くけど、イタリアでは腹が出ていてもスーツをかっこよく着こなす人がいる。
なぜ日本では肩があってないスーツを着た人を見かけるのか。
この本では理由のひとつに「制服」をあげている。

思春期に、来年再来年に合わせてブカブカの服を選んで、人前に出ても正しいとされる環境に入れられてしまう。それで、自分に合う服を選ぶ発想が遅れるのではないか。

だったら、ネクタイをしめて通勤電車で揺られるのも、合わないスーツに肩を泳がせてパーティーに出てしまうのも、同じ日本的社会に染まったまま生きていることになるのか。
フィッター、本人、着ていく場所。3つの要素から、着地点を探っていく。

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ところで、この本、装丁が、もう2020年ベストなんじゃないかと思うぐらい最高。
内澤旬子作品は、部屋の片づけや屠畜といった内容を、表紙のセンスでポップにまとめているが、今回はさらに上に到達した。

実物は1:1に近いちょっと面白いサイズ感。上品だけどキチッとした色使い。ちょっと厚みのあるカバーのさわり心地がいい。

表紙の姿が、本文で語られるスーツ感を現しているように見えるのだ。
中身を偽ることなく、かちっとしたようで、実は中央の英文に見えるのは日本語をローマ字で書いてるだけ。

作中でもネクタイを、ある程度流行に左右されず、大胆な柄を入れたり立体的な結び方などで遊べる、「装丁でいえば帯」と表現している。
この本も、落ち着きを見せて中央の英文と帯で軽くふざける余裕がある。

スーツの素材の違いを説明する場面では、ハリのある馬のしっぽや、光沢のある羊を使った良いものが紹介される。
カメラに映らない、実物を見ればわかる人にはわかる「いい素材感」があると次々に紹介する。
聞いているだけでは実感がわかない。
でも、カバーの紙質がちょっといいので、
「コストはかかるんだろうけど、なんかいい質感」が存在することが、本を支える指先から説得力になって伝わってくる。
本も、スーツを着ている。

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読んでくれてありがとうございます。 これを書いている2020年6月13日の南光裕からお礼を言います。