たしかに秘術が使えたら「僕の記憶を消して欲しい」。死にたい感情と悲しませたくない感情の置き所について

名作『隠の王』で、宵風が願う「自分に関する記憶の消去」。

初めて読んだ学生当時は、宵風の最後に声をあげて泣きつつも、宵風が願う「消去」について理解できてはいなかった。

殺すだけではだめなのか?


殺すだけではだめなのだ。

死んだ後、自分のことを覚えていて、死んでしまったことが悲しくて、壬晴が生きられないなら、「僕の記憶を消して欲しい」のだ。

自分に関する記憶の消去は、自分に優しくしてくれな人たちへの、宵風からの最大のギフト。

大切な人が死んだ時、それを受け入れることは簡単じゃない。

受け入れられるのかもわからない。私はまだ、実感がない。

人の死を、身内の死を、友達の死を、体験してきた人の強さは、ここにあるのかーと斜め上から自分が見てる。


正直、自分が死んだ後の世界なんて、知ったこっちゃない。今死にたいと思う、早く離れたいこの世界に気遣う意味なんてあるのか?と思う。

私は「死んだら何もなくなる」「魂とか死後の世界とかあんまり現実的じゃない」と思っているので、自分自身はすっかり消えて何も残らないと思う。

でも、私と関わってきた人たちの生活は続いていく。


『ロミオとジュリエット』は、ハッピーエンドか?

私はずっと、ハッピーエンドなのだと思ってた。愛し合う二人が、死ぬことで、他を寄せ付けない二人だけの世界を完成させる。悲しいけれど、愛に生きる二人には、一つのハッピーエンドだと思う。

そんなロミジュリを、半年ほど前、久しぶりに見た。

そして、ロミジュリの新しい見方として、残された家族や友人たちの悲しみと今後の生活について考えさせられた。新しい気づきだった。

(宝塚歌劇団 星組 『ロミオとジュリエット』)

ジュリエットは、乳母に育てられた。乳母はミュージカル的には歌唱力のあるパワー系のキャラクターで、ロミオとジュリエットを取り持つ好感度の高い人。

ロミオは神父さまを頼り、ジュリエットは乳母を頼る。神父さまと乳母が、相容れない二つの家を結ぶことになる若い二人の愛を成就させるために力を尽くす。

しかしそれも虚しく、ロミオは死に、ジュリエットはその後を追う。残された家族は、両家の憎しみ合いを恥じて、和解する。大きすぎる代償と、愛の偉大さを描いて物語は終わる。

作中乳母は、ジュリエットへ多大な理解を示し、ジュリエットが恋した相手が誰と知ろうと応援し、愛の力を信じて、力を尽くす。

乳母はジュリエットを育て上げ、ジュリエットが恋をして自分の手元を離れていくことを、心から喜んで、少し寂しいと感じつつ、涙を流しながら「もう私は必要ない」と歌を披露する。

そうして愛する娘同然のジュリエットが死んでしまった。乳母は果たして、「ジュリエットの記憶があるまま生きていけるのか?」

作中の乳母は、優しくて物事の本質を見る、愛情深い人。そこには真っ直ぐでいる強さも見える。

ジュリエットが死んだ後も、ジュリエットを想いながら生きていくんじゃないかと想像できる。

そしてそれは乳母の強さそのもの。「死は逃げ場ではない!(『エリザベート』)」

じゃあ、壬晴は?

宵風が死んだ後、壬晴は生きられなかった。それだけの強さがなかった。そんな強さを持ってる10代なんて、いない。否、そんな強さは持たなくていい。

そして壬晴に至っては、選択することができた。秘術を持ってた壬晴には、宵風を生かすことだってできた。『鋼の錬金術師』みたいに、人を生き返らせることを願う、その領域。(秘術にもそれはできない。)ファンタジーだから!

壬晴は、宵風を生かしたかった。だけどそれは宵風の願いとは全く違っていた。宵風を生かすことは禁術だったし、それをすることで壬晴も宵風も幸せになれないことを、壬晴もわかっていたし、誰より宵風がわかっていた。だから、「僕は死ぬけれど、君は生きて」なのだ。

記憶の消去をすることで、幸せになれるのは、残された方だった。

覚えていては、つらすぎて生きていけないから。

人の死は、それだけの影響をもたらす。

健康で明朗快活な人も、身近な人の死によってすべてが一変する恐れがある。


死にたがる私を、形式上止めるしかないのはわかっていた。だけど、そんなこと言わないでと泣かれることには、不思議に思っていた。

でもそれは、私が何もわかっていなかったのだ。

身近な人が死んだら、些細ながらも変化が訪れる。そして人の死を悲しみ続けるのはすごく疲れる。だけど意識的にそれを止めることもできない。

死んだ後、戦わないといけないのは残された方。

だから「死にたい」と思う時、少しでも残される側のことを想ってしまったら、現実がどんなに厳しくて「生きていたくない」と思っても、自分のほんの少しの優しさが邪魔をして死ねないのだ。幸せになりたいから、死にたいのだけど、それを悲しむ人がいるとはっきりわかっていたら、結局幸せにはなれないから。

(死後の世界を信じないなら、死んでしまえば感情も消えることだし、後悔も懺悔も無くなるだろうけど)

『はちみつとクローバー』で、森田さんのお兄さんは「自分を粗末にすることもできずにいる」と言われていた。これも、物事が分かってるが故に、自分を適当に扱うことすらできないんだなと分かった。


「強さ」について考えがまとまっていくのと同時に、自分に欠けているものもはっきりしてくる。

私には身近な人を一生苦しめる覚悟もなければ、自分が今苦しいと感じる日常に耐えて生きる覚悟もない。

だけど恥ずかしいことに少しだけ周囲を悲しませたくないっていう理性があって、また、今のままの自分でいては自分を幸せにもできないって知るだけの知識がある。それに悩むだけの体力もある。

持て余してる力を、今どう使うことが正しいのか。頭痛が治まって、少しでも考える余力がある時、考えて、少しずつ自分を押し上げていきたい。

世界を変えることはできない。世界が自分に都合よく変わることは、絶対にない。周囲の人間を変えようなんて思うことは愚か。

何かを変えたい時、変えなきゃいけないのは自分自身。

変えなきゃいけないのは、自分自身だから。



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