23歳が当たり前の感情をようやく理解できるようになった
心を何にたとえよう 一人道ゆくこの心 ひとりぼっちの寂しさを
テルーの唄。
萩原朔太郎の詞に影響を受けた宮崎吾朗監督が作詞したんだそうで。
ソースは萩原朔太郎のWiki。
『月に吠えらんねえ』から影響を受け、今はつっかえつつも『月に吠える』を読んでいます。
私はうつ病だ。生きていくのが億劫で、周囲の人に害なす自分がおぞましくて消えてしまいたいと願いたくなる。
僕の存在を消して欲しい。
と言っていたのは『隠の王』の宵風(ヨイテ)だった。
初めて読んだのが確か中学生のときで、それからずっと私の特別な漫画枠の上位に居続けている。
死にたいのと存在から消えてしまいたいことの違いをここで知ったのだった。
死にたいのは一種の復讐でもある。周囲を悲しみという感情に巻き込みたい。助けてくれなかったと死んでから周囲に見せつける。
存在から消えたい、記憶からも、誰の記憶にも残らないように、迷惑にならないように、消えてしまいたい、そんな優しい願いは知らなかった。
私も消えてしまいたいと願いたい。でも忘れられるのは悲しいと感じる。
そして周囲には生きろと言ってくれる仲間がいる。
ルフィに助けて、と言えたナミは強い。ずっと一人で堪えて踏ん張って頑張り続けて、でも敵は予想以上にずるく強く、ナミ一人では勝てなかった。
あんたには関係ない、あっちいけ!
そう強がるナミだったが、何も言わず近くに居てくれるルフィに涙を流しながら伝えるのだ。
ルフィ、助けて
当たり前だ!!
最近、私が死んだら悲しいかと聞き回っていたが、いつも返答は「当たり前」だった。
当たり前が分からず、どういう感情だろうと悩んでいた。
理解できるようで、できない。
でもストンと落ちた。
私の大切な友人を、傷つける輩がいると聞いた。
涙が止まらないとともに、怒りと悔しさで気が狂いそうになった。
助けたい。当たり前だ。大切な友人なんだ。傷つけないで。
一番大事な人だから、どうか何物にも傷つけられないで。
この悔しさ、当たり前という感情。
もしかしたら私の振る舞いが周囲に与えていた悲しみ、苦しみだったかもしれない、そう思うと恥ずかしくて申し訳ない。ごめんなさい。本当にごめんなさい。
強くなりたい。私が周囲を守れるくらい強くなりたい。
心の病とのんびり向き合っている時間はなくなった。
強くなる。
私は強くなります。
まずは1食ちゃんと完食すること。
3食食べれるようになること。
ちょっとずつ運動もして、社会復帰に前向きに向かうこと。
私なんてどうでもいいとはもう思わない。
同じ船に乗ったからには、簡単には降りられない。
仲間は絶対に守る。
絶対に守る。
当たり前だ。
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