見出し画像

億るまでの話をしようか -IPOに携わったOLが得たもの-

■はじめに

こんにちは。みなみです。
当noteにご興味をもっていただき、誠にありがとうございます。

私は20代で新規上場に携わり、ストックオプションで9桁の資産を得るというなかなか稀有で幸運な経験をしました。

ただ、そこに行きつくまでの道のりは決して平坦なものではなく。
私自身はストレスで円形脱毛症になったり。
途中で辞めていく先輩、後輩もたくさんいました。
有り体に言えば、労働環境は良くなかったです。
(上場した今では随分改善されましたが)

何が正解かは分かりません。
辞めていった同僚にとっては、仮に残っていれば後に上場達成して億り人になれていたとしても、転職した判断を全く後悔していないかもしれません。

私も、早々に見切りをつけて転職していれば、こんなに苦労せずとも幸せな人生が待っていたかも…

とは全く思いません。

人様のことはさておき、私は途中で辞めていたら絶対後悔していたと思うし、最後までやり抜いて上場日に東証の鐘を鳴らせたことは、これまでの人生で一番の思い出となっています。

結局のところ、過去の自分を評価するのは「今」の自分です。
辛かった経験も、全てに意味がありました。


上場して数年が経った今、改めて思うことは
何のスキルもなかった私を採用してくれた会社への感謝と
少しばかりの自分への労い
そして何より、上場を達成した経験こそが一番の財産になったということです。

お読みいただいた後に、少しでも皆さまの心に残るものがあれば幸いです。
それではどうぞ。


=====

【第1章】転職初日編


私はみなみ。
北関東の田舎町に生まれ、好きでなったわけでもないのに「ゆとり世代」や「さとり世代」のレッテルを貼られて生きてきた。
趣味はカラオケとボウリング(とちょっとパチンコ)。
本当に平成生まれかと疑われそうだけど、田舎は娯楽が少ないので割とこれが普通なのである。

そんな私は、幼い頃から。
実家が役所のすぐ近所だったこともあり、安定志向の母による
「あの、おっきくてかっこいい建物が、みなみが将来お仕事する場所だよ~」
なんて、笑顔での公務員至上主義的な洗脳を受け、

士業として、小さいながらも一つの会社を経営していた父からは
「みなみが本当にやりたいこと思ったことを仕事にしなさい」
と言われてきた。

しかし私は情けないことに、地元の大学を卒業するまでに「自分が本当にやりたいこと」を見つけることができず、
それなら公務員として地域に貢献したいかも…
なんて月並みな志望動機で挑戦した公務員試験に、運よく合格。

母念願の、地元の役所での採用が決まった日、
母は「これで一生安泰だわ~!」と、とても喜んでいた。

基本的に、公務員の離職率というのは民間と比べるとずっと低いものだが
(特に田舎では、役所勤めといえばそこそこのエリートに分類されてしまうのである)
まさかその3年後に、
これまでずっと実家で、親の脛を齧って暮らしていた娘が突然
「東京で働くもん!」
と、食いはぐれのない公務員の身分を捨て、名前も知らないITベンチャーに飛び込んでいくことになるとは夢にも思わなかっただろう。
(なぜ東京のITベンチャーで働くことになったかということについては、また別の機会で触れたい。)

東京での新生活への期待に胸を膨らませ、新幹線から東京駅のホームに降り立った私は……

どこからどう見てもお上りさんだった。

=====

ついにやってきた初出社日。
私が今日から入社する「株式会社アメイジングテクノ」は、港区六本木にオフィスを構える新進気鋭のITベンチャーである。
ITベンチャーというと若手社長がイメージされがちではあるが、アメイジングテクノを設立した山本社長はなんと、50代半ばの重厚感ある男性。
会社の設立こそ半年前ではあるが、山本社長は前職の大手IT企業勤務時代から、副業として独自に開発したITサービスで相当稼いでいたらしい。
そこで、個人的に付き合いのあった証券会社から勧められ(唆され?)、上場という一世一代の大仕事の達成を目標に独立したそうだ。
経済的にはもう十分豊かであるはずだが…山本社長を突き動かす情熱は、もっと別のところにあるのだろう。

アメイジングテクノのオフィスは、立地こそ良いが、年季の入った小ぢんまりとしたビルの3階にあった。内装には全くこだわらず、そこにコストはかけませんというポリシーが伝わってくるような至ってシンプルな造りで、六本木のITベンチャーから抱くイメージとはちょっと違っていた。
入社した当時の社員は、私を含めて7人だけだったこともあり、社長も含めた全員がワンフロアで仕事をしていた。

さて、少し脱線してしまったが。
緊張の中、オフィスのドアを開けると、私の面接をしてくれた人事労務・広報担当の佐藤課長が温かく迎えてくれた。
「みなみさん!面接のときはありがとう。よく来てくれたわね。今日から一緒に頑張りましょう!」

「はい、佐藤課長!この度はアメイジングテクノの一員となれましたことを大変嬉しく思っています。至らないところも多々あるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします」

「そんなに気張らなくても大丈夫。私のことは『佐藤さん』で十分よ。分からないことがあったら何でも訊いてね。社長とCFOの鬼塚さんにもご挨拶したいところだけど、あいにく今外出中なの…。帰ってきたらしましょうね。
 あ、こちらが経理の新田課長よ」

そのときオフィスにいたのは、佐藤課長と新田課長の二人だけだった。

「はじめまして。本日からお世話になります、みなみと申します。どうぞよろしくお願いいたします」

「経理の新田です。仲間が増えて嬉しいわ。今日からよろしくね」

「じゃあみなみさん、早速だけど入社時必要書類については持ってきてくれたかしら?みんなが帰ってくるまで、個人PCの設定や社内ツールなど教えるわね」

佐藤さんはとても優しい人だった。

正直、役所をやめて民間に転職するときは、周りの人から「役所と違って民間は大変だぞ~」と、何の根拠もなく言われてムッとしたものだ。
役所だってそんなに楽な仕事ばかりではないし、入庁の動機こそ弱いものだったかもしれないが、入ってからは自分の仕事にプライドをもって業務にあたってきたと自負している。
しかし、大学時代は公務員一本で考えてきたため、特に民間での就活というものを全く経験してこなかった私は、些か不安を抱いていたのも確か。
素敵な先輩がいて良かった…と安心した。

佐藤課長からの一通りの研修を終えた頃。

「四菱銀行、ほんまにナメとるなぁ。こんなふざけた条件で提案してきよって」
「ええ、社長。ご不快な思いをさせてしまい大変申し訳ございません。担当者とは後ほどしっかり交渉させていただきますので」
「よろしく頼むで」
「あ、そうそう久保田くん。今日の議事録、簡単でいいから起こしといてね。あと前に行ってた契約書対応まだ?今日〆の振り込みもあるんだから。テキパキ動かないと帰れないよ?」
「はい、鬼塚さん。かしこまりました」

こんな話をしながら山本社長、鬼塚CFO、久保田課長が帰ってきた。

なかなかの迫力だったので呆気にとられていたが、私はご挨拶!と思い出し、社長の元へ向かう。

「山本社長、先日ご面接いただいたみなみです。この度は貴重なご縁をいただき誠にありがとうございます。一日も早く、当社に貢献できるよう頑張ってまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします!」

新卒からは早いものでもう丸三年が経っていたが、精一杯のフレッシュさを演出しつつ、地元銘菓の「みやびの梅」を手渡す。

「ああ、みなみさん。本日からやったね。わざわざ手土産までおおきに。あとでみんなで食べよか。
 あ、それとみなみさん。
 内定の時は経理担当って伝えてたけど、ちょっと事情が変わって久保田くんの下で財務とか法務とかやってもらうことになったわ。
 詳しいことは鬼塚くんから聞いてな」

「…!!??
 あ、はい。かしこまりました。よろしくお願いいたします!」

正直、頭が追い付いていなかった。
先日もらった雇用契約書には「経理担当」と確かに記載してあったはず。
大学時代に簿記二級は取得していたものの、経理実務は初めてだったため、この一か月は自分なりに民間企業の経理業務について勉強してきたのだった。
それが、当日になって財務とか法務とかの担当になる??
何そのふわっとした感じ???
財務も法務も全く経験したことないんですけど…!!??
三秒くらい間、呆然。

我に返り、鬼塚CFOと久保田課長のところへも行き挨拶を交わす。
どうやら、私の直属の上司は経理担当の新田課長ではなく、財務・法務・総務担当の久保田課長になるようだ。そしてその上が鬼塚CFOという体制。
(それにしても、財務・法務・総務担当って…
 久保田課長の所管業務の広さ、ちょっとおかしくない?)

そんな久保田課長は物腰柔らかな男性で、私とそれほど歳が違わない。
鬼塚CFOは正直ちょっと怖そうだけど…久保田課長の下でなら、なんとかやっていけそうかも。

そんなことを考えていると、鬼塚CFOから早速の初仕事がきた。

「みなみさん。うちの会社、上場を目指しているのは知っているよね?」

「はい。もうすぐ上場だと面接の際に伺いました!」

「うんうん。上場するためにはね、いろいろと社内の内部統制を整えないといけないの。それで、みなみさんの初仕事はコレ」

分厚い資料とCDを渡される。表紙に書いてあったのは
『中小企業向け社内規程フルセット ~これだけあれば大丈夫!~』

「これで、社内の規程一式作ってくれるかな?目安は一週間くらいで。再来週には証券会社に提出しなきゃいけないから。
 みなみさん、法学部卒でしょ?大丈夫、余裕余裕」
笑いながら軽い感じで言っている。

社内規程なんて、これまで見たこともないぞ…
不安になりながら、CDからデータをインストールしてみると、
・組織関係規程
・人事関係規程
・経理関係規程
・システム関係規程
・・・(以下略)
の各々のフォルダの中に、「取締役会規程」や「稟議規程」などの細かな規程が十数個入っている。
全部で100近くはありそうだ。

「分からないことがあったら、久保田くんに訊いてね」

そう鬼塚CFOは言っていたが、分からないことがあったらというより、分かることが一つもない。
今日来た会社の社内規程を、内部体制も全く分からない私が作るなんて無謀にも程がある。

久保田課長に助けを求めようと横目で見ると、彼は彼で自分の業務に追われており、とても質問できるような雰囲気ではない。

恥ずかしながら、先ほどまでは、
今日は初日だから会社説明や研修が中心かな?
夜は歓迎会とか開いてくれるのかな?
なんて能天気なことを考えていた。

どうしよう…
大変なところに来てしまったかもしれない…
その不安が的中するまでに、それほど時間はかからなかった。


=====

【第2章】転職2か月後編


入社初日から、社内規程一式の作成というヘヴィー級の案件を仰せつかった私は、途方に暮れていた。

とはいえ、自ら調べもせずに上司に訊くのも芸がないと思い、今日の献立のレシピを調べるがごとく「社内規程 作り方」とGoogleの検索窓に打ち込む。

ふんふん、なるほど。
上場(を目指す)企業では内部統制がきちんと遵守されていることが必須条件であり、それは何かというと、まずは社内規程が整備されていること。次に、その規程に従って業務にあたっているか、つまりが自社の規程が適切に運用されているかが問われるらしい。

初日に渡された分厚い資料も参考にしながら、なんとか最初の「組織関係規程」に分類されていた
・取締役会規程
・経営会議規程
・役員規程
・・・
ほか、全部で十個の規程について当社向けにアレンジしたものを1日半かけて完成させた。

その日も久保田課長はすごく忙しそうにしており、なかなか話しかけられる雰囲気ではなかった。しかしこの辺で一度、成果物を確認してもらわなければ、手戻りが大きくなるリスクが高い。私はこの業務をあと3日ちょっとで仕上げなければならないのだ。

意を決して久保田課長の席に行き、
「久保田さん。大変お忙しい中、恐れ入ります。昨日鬼塚さんから指示のありました社内規程について、まだ一部ですが作成しましたので、ご確認いただきたいのですが…」

「ああ、申し訳ないです。今、僕の業務もすごく立て込んでて、あまり構ってあげられてなくて。ちょっと待ってくださいね、見ますから」

久保田課長は私の作った規程をすごい速さでチェックしていく。きっと久保田課長も相当デキる人なんだろう。
でも、鬼塚CFOがいるときは四六時中、激詰めされているな…。
私だったから絶対精神的に病みそう、と心配してしまう。

そんなことを思いながら待っていると、一通りの確認をし終えた久保田課長はやや複雑な表情で
「見ました。僕はよくできていると思います。…ただ、ちょっと細かすぎるかもしれませんね。まあ、一旦これで鬼塚さんに見てもらいましょう」

若干含みのあるコメントだったが、概ねOKだったってことかな?と、初めての業務に対して及第点をもらえたことに私は喜んだ。
そろそろ次の「人事関係規程」にも手を付け始めないと、納期までに絶対に終わらない。この調子で頑張ろう。

=====

夕方になって、鬼塚CFOがオフィスに戻ってきた。
彼は銀行や証券会社など外部との打ち合わせが多く、日中はほとんどオフィスにいない。
私はこのタイミングを逃すまじと、早速鬼塚CFOのところへ成果物を持って行った。

「みなみさん。期限は一週間って言ってたけど、本当は昨日中にできたところまでを一度持ってきてほしかったなー。もうちょっと仕事の進め方を考えて、スピードも上げていこうね」

「…………! はい。大変申し訳ございませんでした。以後気を付けます」

私は、自分なりに精一杯努力して、初日から残業までして作成したものを、見る前からこんな風に言われるなんてちっとも思っていなかった。むしろ褒められるとさえ思っていた甘ちゃん過ぎる自分を恥じた。

鬼塚CFOは、久保田課長よりも数倍速いスピードで確認していく。
それを不安な気持ちで待つ私。

時間にして、5分もかからない程だっただろうか。
鬼塚CFOからのコメントは案の定、辛辣なものだった。

「みさみさんってさぁ、あんまり頭良くないのかな?こーんな厳しい規程作っちゃって、今のうちの体制で守れるわけないじゃん。規程っていうのは、今のうちくらいのフェーズだともっとざっくり、最低限マストの内容でOK。一度規程として作っちゃったら、基本的に取締役会でないと変更できなくなるからね。もっと細かいルールについては、各部決裁の『基準』や『方針』に落とし込めばいいんだから。そういう実務的なところまで調べた?みなみさんは新卒じゃないんだからさ。もっとよく調べて、考えようね」

「…………大変申し訳ございませんでした。すぐに修正します…」

「鬼塚さん、申し訳ございません。私のチェックが甘かったです。私の業務も急ぎの案件は一旦落ち着きましたので、今から一緒に作成進めていきます。つきましては、具体的に修正すべき箇所をご教示いただきたいのですが…」

久保田課長がフォローに入ってくれて、鬼塚CFOと具体的にどこをどう修正すべきか、ということを話し合ってくれている。
しかしそのときの私は、不甲斐なさからくる涙を堪えるので精一杯で、正直その内容はあまり頭に入ってこなかった。

=====

金曜日の22時。
私はまだ会社に残って、久保田課長と共に規程作成に励んでいる。しかし、ようやく終わりが見えてきた。そもそもフォーマットはあるのだから、作成のコツを掴めばスピードは徐々に上がっていった。
ただ、久保田課長は他の業務もあるのに、今週は多くの時間をこの規程作成に付き合わせてしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

それはそうと、もうすぐ入社して1週間になるが、この時間になっても社長を含め社員全員がまだ残って仕事をしている。
一応、表向きにはフレックス制度を導入しているが、社長が朝8時半には出勤するため、他の社員は暗黙の了解としてそれより前に出勤すべきという雰囲気がある。

世間は華金だというのに、当社では皆一体、月に何時間働いているのか…。

翌日は東京に来て初の休日だったので、地元にいるときから気になっていたお洒落なカフェや買い物に行こうと思っていたが、この1週間の疲れが出たのか外へ繰り出す気にはなれず、ほとんど寝て過ごしてしまった。

=====

最初のミッションであった規程作成は、久保田課長からフォローを多大に受けながらも何とか期限内に完成させ、鬼塚CFOのOKを得ることができた。

そうすると(もとい、実際には規程作成が終わる前から並行してだが)、次から次へと新しい業務が振られる。
・取引先との打ち合わせ
・証券会社との打ち合わせ
・監査法人との打ち合わせ
・銀行との打ち合わせ
・月次データの更新
・取締役会資料作成
・・・

日中はほぼ、鬼塚CFOや久保田課長と共に外部との打ち合わせに参加するためデスクワークができず、18時以降になってやっと落ち着いて自分の仕事に取り掛かれるスケジュールだ。

鬼塚CFOという人は、アメとムチがとても上手い人だった。
いつもは、部下の現在の業務量がどれくらいあるのか(どれくらい忙しいのか)などお構いなしに、次々と業務を振りまくり、上場を目指す企業の役員が言ってもいいのか心配になるくらいの、いやコンプラ的に絶対アウトでしょ的な発言を繰り返していた。
(「みなみさんは顔採用なんだから。そんな疲れた顔していたら取り柄なくなっちゃうよ~」、「えっ、こんなことも分からないの?ちゃんと義務教育受けた?」など…。しかし、私はまだマシな方で、久保田課長を始めとした男性社員は、もっと烈しいことを言われていた。)
一方で、彼自身とてもハードワーカーであり、当社の業績アップにかなり貢献していることは私の目にも明らかだった。そしてどうやら土日も、社長と2人で新規ビジネス立ち上げなどの高度な経営戦略について議論しており、本当に休みなく働いているようだった。
一方で、そんな多忙な中であっても、取締役会などの大きな仕事が一段落した後は、社員全員を飲みに連れて行ってくれた。自分が居るのはそこそこに、数万円をぽっと置いて「あとは若い人たちで~」とすぐに帰ってしまう。おそらくまた仕事に戻るのであろう。そんな漢気溢れる一面もあった。

私は、鬼塚CFOから直接業務を振られることも多かったが、組織図上では鬼塚CFOと私の間には久保田課長がいるという安心感は大きかった。
久保田課長は自分の業務が忙しいときでも、私が助けを求めると親身になってフォローをしてくれた。久保田課長とは同世代ということもあり、良いチームワークで仕事ができていると感じている。

入社して2か月が経った。
相変わらず日々の業務は忙しく、帰るのはいつも22時を過ぎていたが、私は少しずつ一人でできる業務の幅が広がっていくことに喜びを感じていた。仕事を任せてもらえる嬉しさと、会社に求められているという充実感から、入社当初の不安は次第に薄れていった。

そんなある日、久保田課長から
「みなみさん、今日の夜予定あったりしますか。良かったらちょっと飲みにでも行きませんか?」
と誘われた。

珍しい。
鬼塚CFOに飲みに連れて行ってもらい、皆で一緒に飲んだことはあったが、2人でというのは初めてだ。そもそも久保田課長は下戸である。
そんな彼が私を飲みに誘うなんて…。
(確か、久保田課長も独身のはず…。)

「大丈夫です、ぜひ行きましょう」
私は笑顔で返した。

21時過ぎ。
飲みの予定があっても、アメイジングテクノの終業は遅い。
一緒にオフィスを出てあらぬ疑いをかけられるのも嫌だったので、久保田課長とは少し時間差で退勤し、予約していた居酒屋待ち合わせる。
今まで2人で仕事以外の話をしたことはなかったが、この日はお互いのプライベートの話にもなり、久保田課長は猫好きであること、海よりも山派だということを知った。

2時間ほど談笑し、そろそろ出ようかとお会計を済ませる。

駅までの道すがら。
私は別に、久保田課長に恋心を抱いていたわけではなかったが、思い返せばこの2か月間、たくさんのことを教えてもらい、助けてもらい、とても感謝しているのは確かだ。
改めて、今日の飲み会の意図はなんだったのだろう…と考えると、急にドキドキし始めて、しばし無言になってしまう。

やや重い空気を断ち切ったのは、久保田課長だった。

「みなみさん、今日は遅くまで付き合ってくれてありがとう。さっきは会話が楽しくて、なかなか言い出せなかったんだけど。
 僕、実は…」

「は、はい…」

「今月いっぱいでアメイジングテクノを辞めるから…」

「えっ……」


=====

【第3章】悲喜交交編


「今月いっぱいでアメイジングテクノを辞めるから…」

「えっ……」

さっきまで、もしかしたら久保田課長に告白されるんじゃないかと思っていた私の脳みそは、やっぱり「能天気」がデフォルトだったんだなぁ…となぜか冷静に自己分析してしまう。

いやいや。
そうじゃなくて。

「えっ、ちょ、ちょっと、待ってください、久保田さん。そんな、今の当社の状態で久保田さんがいなくなるなんて、絶対回んないですよ!」

「まあまあ、みなみさん…。落ち着いて…」

「ええっ、そしたら、私が鬼塚さん直下になるってことですか!?そんなの無理です!絶対死にます!!労災確定です!!!」

六本木駅の近くで、若い女性が「死にます!」なんて騒ぎ立てているのを見た通行人は、何事かと思っただろう。

「みなみさん、びっくりさせてしまってごめんね。みなみさんも2か月経って大体当社の様子が分かってきたと思うんだけど…鬼塚さんが頭の切れる人であることは僕も否定はしないんだけど、正直僕はもう彼の下で働く気がしないんだ」

そう。端的に言ってしまえば、原因は鬼塚CFOのパワハラ。
うん…それは理解できる。理解できるけれども…。

「久保田さん、鬼塚さんの言動がちょっとぶっ飛んでるのはよく分かります。でも、久保田さんは創業メンバーとして今まで頑張ってこられたじゃないですか。ここで辞めたら絶対もったいないですって!一緒に上場の夢を叶えましょうよ!」

「みなみさん、ありがとう。そう言ってくれるのはすごく嬉しいけど、実はもう次の転職先も決まっていて。アメイジングテクノでの経験は、僕自身すごく成長させてもらえたと思っているし、楽しかったこともあったし。当社に入ったことは決して後悔はしていないよ。ただ、このまま鬼塚さんの下で毎日ボロ雑巾のように扱われて、終電近くまで仕事に追われる日々を過ごしていると、アメイジングテクノが創り出す素晴らしい商品まで嫌いになってしまいそうなんだ…」

私はもう、何も言えなかった。
久保田課長は「嫌いになってしまいそう」と未来形で話していたが、結局はもう既に、当社への愛着がなくなってしまったから転職の道を選んだのであろう。

私が言葉に詰まらせていると、
「あ、でもね、みなみさん。安心してください、ちゃんと僕の後任は来ますから。しかも後任の方は某大手IT企業で管理職を務められていた30代後半の方です。僕よりもキャリアもありますし、きっとみなみさんも仕事がしやすくなりますよ」

そんな、私は久保田さんが良いです…

なんて気の利いた台詞の一つや二つを言っていたなら、久保田課長と私の今後の関係に何らかの変化を及ぼしていたかもしれないが、単純な私は、久保田課長の後任(しかも彼よりもキャリアがあるらしい人)が決まっていることを知り、胸を撫で下ろしたのだった。

「なんだ!そうだったんですね。久保田さんがいなくなってしまうのは寂しいですが、確かに鬼塚さんの下で毎日こき使われる辛さは十分に理解しています。久保田さんの新天地でのご活躍を心よりお祈り申し上げます!」

「みなみさん…ありがとう。でもあと1か月弱あるから、それまではよろしくね……」

久保田課長は少し寂し気に微笑んでいた(ような気もした)。


=====

程なくして、鬼塚CFOからも久保田課長の退職の話を聞くこととなる。
鬼塚CFOは「久保田くん、もう少し根性あると思ってたんだけどなぁ~」と口では他人事のように言っていたが、このときばかりは若干寂しそうな表情をしていた。

月末、久保田課長へのささやかな送別会が開催され、翌月には早速、話に聞いていた某大手IT企業からの新しい課長、富沢課長がやってきた。
富沢課長は、前職では法務・総務を担当していたらしい。そのため自然と、私の業務比重は財務が多くなった。

鬼塚CFOは、久保田課長が凡そ自分のせいで退職となった件を反省したのか、もしくは富沢課長が自分とそれほど歳が変わらなかったためか、彼に対する当たりはそれほど強いものではなかった。しかし、久保田課長よりもキャリアがあり、年収も高かった富沢課長に対しては期待するものがより大きかったのであろう、現実とのギャップに時折イライラしている様子が見て取れた。

富岡課長の業務スタイルは、さすが大企業出身といったところか、よく言うと丁寧、悪く言うと完璧主義すぎて一つ一つの作業・判断が遅い。一方で、鬼塚CFOはやや粗くでも、一日にとんでもない量の業務をこなしている。様々なリソースが大企業と比べて貧弱であるベンチャー企業にとって、求められるのは圧倒的に後者のスタイルなのだ。

私の目からは、キャリアこそ短くとも、久保田課長時代の方がチームとして上手く回っていたように見えた。

そんな、社内でのぎくしゃくを感じていた頃、鬼塚CFOに個別に会議室に呼び出される。

「どうしたんですか。わざわざ別室に呼ぶなんて珍しいですね。いつもはお構いなしに、皆の前で怒るのに」
鬼塚CFOに対してこの程度の軽口を言えるくらいには、私たちの間にも信頼関係ができていた。

「そんなに怖がらないでよ~。みなみさん」
いつもの軽い調子で笑っている。

「さて、今日はみなみさんに2つお話があります。良い話と悪い話。どっちから聞きたい?」

出た…。
恐る恐る、私は悪い話を選択する。
良い話を後に聞いて、少しでも平常心を保ちたかったから。

「残念ながら、富岡くんなんだけどね。今月末で辞めることになったから」

「え、ええーーーー!??だって、まだ富沢さん、入って1か月も経ってないじゃないですか!!??」

「そうなんだよね~。いやー、採用面接って難しいわ~」
鬼塚CFOは、ハハハハと他人事のように笑っている。

いや、でも…。
この1か月で鬼塚CFOと富沢課長の相性が良くないことは感じていたし、遅かれ早かれこうなっていたようにも思う。

最初は私も「こんなブラックな会社、絶対無理!早く脱出しなければ!」と思っていたものだが、幸か不幸か自分の長所として散々アピールしてきた順応性の高さから、2か月も経てばしっかりとアメイジングテクノカラーに染まっていた。

「鬼塚さん、その件は分かりました。では良い話の方は何ですか?」

「なかなか話が早いね、みなみさん。そういうところ好きだよ。
 さて、良い話というのは……

 みなみさんを課長に昇進させようと思います!おめでとう!」

!!!???

「いやいやいやいや、ちょっと待ってください…。そんな、私なんかじゃ無理ですって!会社潰れちゃいますよ!?」

「みなみさんは謙虚だなぁ~。大丈夫だよ、私がこれまでどおりフォローするし。あ、あと、みなみさんに来月から部下をつけるから。さすがに一人じゃ寂しいでしょ?」

そ、そんなこと急に言われても…。
そして寂しいじゃなくて、厳しいの間違いではないか。

「部下ですか…。ちなみにどんな方が入社するんですか?」

「みなみさんより1つ下、24歳の男の子。闇通信出身だから絶対根性あるなーって。しかもミニマム級だったから。いやー、いい買い物したよ~」

闇通信というのは、あのブラックで有名な…。

「ごめんなさい、ちょっと理解があまり追い付いていないんですけど…。ちなみに鬼塚さん、ミニマム級っていうのは何ですか?ボクシングでもやってた方なんですか?」

「ハハハ、全然違うよ。ミニマム級っていうのは給与レンジで超お買い得商品だったってこと。ちなみに今のみなみさんはフライ級。でも、課長昇格に伴いバンタム級になります!良かったね。いつかはタイソン目指して頑張ってね~」

人の採用を、まるでスーパーで野菜を買うように言ってみたり、給与をボクシングの階級に例えてみたり……この人はモラルというものが絶対的に欠如している。

【参考】当時のアメイジングテクノでの給与レンジはこんな感じでした。
1 ミニマム級 ~300万 来月入社する彼
2 フライ級  ~350万 みなみ(現在)
3 バンタム級 ~400万 みなみ(昇進後)
4 フェザー級 ~450万 
5 ライト級  ~500万  佐藤課長、新田課長、久保田課長(卒業)
6 ウエルター級 ~550万
7 ミドル級   ~600万 富沢課長
8 ライトヘビー級 ~650万 山本社長、鬼塚CFO
9 クルーザー級  ~700万
10 ヘビー級    701万~
※全体的に同業他社と比べて低かったと思います。特に、山本社長と鬼塚CFOは「前職の半分くらいの報酬でよくこんなに働いてるよ」なんて自虐的に言っていました。でもその代わり、後にストックオプションが爆発します。

=====

富沢課長とは一緒に働いたという実感があまりないまま彼が去り、私の人生初の部下である、石井くんが入社した。

私の方が社会人経験は長かったが、民間企業での経験は石井くんの方が上で、彼の方が民間企業のイロハをよく知っていた。私が逆に助けてもらうことも多々あったが、彼はいつも私を立ててくれた。

…もとい、ちょっと美化してしまったが、実際には2人とも鬼塚CFOに同じようにこき使われていたという表現の方が正確である(なんと、石井くんは初日から残業で終電を逃し、タクシー帰りだった)。
ただ、彼の闇通信で鍛えたビジネスマインド(?)は舌を巻くもので、私たちはアメイジングテクノの若手コンビとして暴君鬼塚に必死に食らいついていた。そんな私も、以前より更に仕事の幅が広がり、22時以降に退社というスタイルが板についてしまっていたが、それでも仕事が楽しかった。

今になって思う。
当時のアメイジングテクノは圧倒的な山本社長のビジネスセンスと鬼塚CFOのリーダーシップ(と言っていいのだろうか…)を武器に急成長を遂げており、その中で発生する様々な泥臭い業務(例えば、新規顧客との契約の際の反社チェックや、契約書締結のための稟議申請・署名捺印処理、月次データの更新、その他諸々)を幅広く担ってくれる人物(加えて、人件費が安いと尚良い)が求められていた。

つまり「鬼塚CFOにとって使い勝手の良い若手の駒」が、当社にとって相性が良かったのである。


=====

この日は珍しく、山本社長に呼ばれた。

「山本社長。いかがなさいましたでしょうか」

「みなみさん。みなみさんにこれからひとつ、重要な仕事をお願いしたいと思うてて。
 ……何かっちゅうと、ストックオプションの事務局を担当してほしいねん」

ストックオプション。
あまり詳しくは知らなかったが、面接時に上場したら良いことがあるかも、くらいには聞いていた。そして鬼塚CFOは、ときどき自分が得られるであろう利益を電卓で叩いてはニンマリしていたのだった。

「か、かしこまりました。頑張ります!」

「はははは、おおきに。ほんなら、ちゃーんと事務局作業やろてもらうために、みなみさんにはぎょうさんあげへんとな~!」
なんて山本社長は冗談めかして言っていたが。

このストックオプションが後にとんでもない金額になることを、当時の私はまだ理解していなかった。


=====

【第4章】ブラックスワン編


ストックオプション。
ずっと公務員を続けていれば、その存在を知ることもなかっただろう。

ストックオプション制度とは、会社があらかじめ定めた価格(権利行使価額)で自社の株式を購入できる権利を社員や取締役に付与する仕組みです。
購入できる期間や数量にも一定の規定があるものの、範囲内ならば、社員は好きな時に自社株を購入することができます。
たとえば、A社がストックオプション制度を導入したとしましょう。A社の現在の株価は1株1,000円。A社の経営者は、「我が社もストックオプションを始めます!今後5年の間であれば、我が社の株式をいつでも1株1,000円で購入できますよ」と社員に伝えました。
3年後、社員一丸となっての経営努力が実って飛躍的な発展を遂げたA社。
その株価は、3倍の1株3,000円に。3年前にストックオプションの権利を与えられた社員は、その権利を行使すれば1株1,000円で株式を買うことができます。つまり、1株3,000円の価値を持つ株を3分の1の1,000円で買えるということです。
購入後、すぐに市場に売却すれば、1株につき2,000円の利益が上がります。500株購入すれば、利益は1,000,000円になります。

『PERSOL』HPより引用
https://www.persol-group.co.jp/service/business/article/2.html


私は、山本社長から直々にストックオプション事務局を任命されたのであった。

といっても、内容面に関すること(発行済み株式総数に対する比率、付与対象者等)については、私が口を挟む余地はない。

私は社長から「コレでよろしゅう」と渡されるA4ペライチのストックオプション配賦表に基づき、その効力を適切に発生されるため必要となる諸々の事務手続き(ストックオプション配賦時点での株価算定、募集事項作成、株主総会決議、各社員との契約書締結、登記、その他諸々…全てのプロセスにおいてミスが許されず、なかなか骨の折れる仕事だった)を信託銀行や証券会社、司法書士事務所と協力しながら、上場時までに数回にわたり行ったのだった。

最初のストックオプションが配賦された時の権利行使価額は、1株あたり1,800円で私の配賦数は10株。正直このときは、10株という数にピンと来ておらず「思ってたより少ないんだな…。行使するときは1,800円×10株で、18,000円がかかるのか~」くらいのイメージだった(持株比率での計算をしていなかった)。
ちなみに、鬼塚CFOは500株、創業当時からいる課長クラスは20~40株、私の部下の石井くんは4株をもらっていた。

一旦、時系列が未来へジャンプするが、
会社が成長するに伴い1株あたりの価値は当然高まる。その価値を調整するため上場までに何度か株式分割を行い、最終的に私の保有株式数は100,000株になっていた(なお、株式分割をすればその分権利行使価額も分割されるため、行使に必要となる総額は当初の18,000円のままで変わらない)。

しかしまあ、このストックオプションというものは、なかなかの曲者であった。

事務局を担当していたため、各社員に対してどれだけ配賦されているのかが嫌でも分かってしまう。そこに私情を挟んではいけないことは重々承知していたが、「えっ、この人こんなに貰えるの!?」とか「この人は同じ課長クラスでも、これだけなんだ…」など、色々と知りたくない情報も知ってしまう。こういったダイレクトにお金が絡む仕事をしてみると、給与計算を職種としている方々を本当に尊敬する。

また、事務局では各社員への配賦数はもちろん厳秘で行っていたが、社員同士の会話の中で情報交換が行われるケースもあり「あの人は私よりたくさんもらっている!ズルい!」などの妬み嫉みがクレームとなって私のところに寄せられることもあった。これについては「申し訳ないです、私は配賦数については何の権限もありませんので…」としか言えなかった。

社長は良かれと思って、自分の身を切ってストックオプションを配賦しているのに、これが原因で揉め事が発生するのは、何とも…やるせない気持ちになった。


そろそろ話を戻そう。

=====

入社して1年半が経った。
アメイジングテクノの業績は順調に向上しており、私が入社した時は7人だった社員数も今では20名を超す。

この間に、私には部下が増えた。しかも年上の男性と女性。
社歴こそ私の方が長かったが、キャリアでいうと私に勝る部下を持ち、マネジメントについて悩んでいた頃。鬼塚CFOから言われた言葉で今でも心に残っているものがある。

「あのね、みなみさん。部下の手柄はぜーんぶ、みなみさんのものにして良いんだからね」

世の中には、部下の功績を横取りする酷い上司がいると聞くものだけれど、鬼塚CFOからのメッセージは一般論とは真逆のものだった。全部私の手柄にして良いと。彼は特にそれ以上のことは何も言わなかったが、私がそんなことできるタイプの人間ではないことを知っての彼なりの激励だったのであろう、それに続く言葉は、

だから、自分の課のアウトプットが最大になることだけを考えて仕事をすれば良いんだよ

と解釈した。


入社して半年頃までは、本当に鬼塚CFOの下請け作業員のような存在だった私も、今ではそれなりの裁量権を与えてもらっている。ゴールの共有はきちんと行ったうえで、そこに至るまでのプロセスは「みなみさんが思うベストでやったら良いから」と任せてもらえることが嬉しかった。


=====

部下が増えても忙しさは相変わらずだったが、充実した毎日を過ごしており、上場準備も問題なく進んでいたかのように思われた。

しかし。
ブラックスワンは突然やってきた。

ある日オフィスに出社すると、年齢は30代半ばくらいだろうか、驚くほど綺麗な女性が社長と談笑している。
私は、誰だろう…?と思いながら自席で仕事を始めると、全員が出社したタイミングで社長から「全員集合!」の号令がかかった。

「皆に、今日から一緒に働いてくれることになった新しいメンバーを紹介するで。こちら、チーフ・マーケティング・オフィサーとして我が社に来てくれた白鳥さん」

「皆さん、はじめまして。この度CMOとして採用いただいた白鳥です。前職は保険会社で働いておりました。これから皆さんと一緒に働けるのがとても楽しみです。今日からどうぞよろしくお願いいたします」

その短い挨拶と笑顔だけで、彼女の如才なさが伝わる。

ただ、社員のほとんどが、彼女の入社について事前に何も聞かされていなかったようだ。そもそもCMOなんていうポジションはこれまで当社になかったが、これからマーケティングに注力していくということか?
鬼塚CFOを横目で見ると、何とも複雑そうな表情をしていた。


=====

白鳥CMOが入社して以降、当社の雰囲気が大きく変わった。

まず白鳥CMOは、これまでの鬼塚体制を真っ向から否定した。
確かに鬼塚CFOのパワハラが原因で辞めた人は数知れず、いろいろと問題も多い人であったが、設立間もない当社をここまで成長させたのは、鬼塚CFOの手腕に他ならない。その経緯を間近で見ていた私にとって、入社して間もない彼女の態度は正直受け入れ難かった。

入社後数日。彼女はブランディング強化施策と題し、大手広告代理店である電道に委託費なんと3,000万円をかけての一大プロモーションプロジェクトをスタートさせる。
これは、業績が順調に伸びていたとはいえ、当時の当社にとっては身分不相応な買い物だった。
(余談であるが、私の入社当時は初期投資がかさみ赤字決算となってしまったため、取引先金融機関に事業計画書と弁明書を持って説明に回り、事務用品一つ買うのも躊躇していた。設立間もない貧乏時代を経験してきた社員からするとプロモーション費に3,000万円は到底考えられなかった。)

また、これまでの経営判断は山本社長と鬼塚CFOがほぼ二人で行っていたことを問題視し、より多角的な議論がなされるべきとして、新たに「経営戦略部」を設置した。自らがその部長に就くとともに、前職からの知り合いだという公認会計士の女性をその副部長に据えた。

まあ、そこまでは100歩譲って良いとして。
社員が一番不満に思っていたのは、白鳥CMOは指示するだけで自分では全く手を動かさないタイプだったことだ。皆が遅くまで残業している中でも、定時になると颯爽と帰っていく。

その後1か月が経ち、この間に彼女が行ってきたことのほとんどが頓珍漢であったが、山本社長は何も言わない。

つまり。
この二人が「ただならぬ関係」であることは誰の目にも明らかだった。


=====

程なくして、山本社長と鬼塚CFOが言い争っているのをよく聞くようになり、私は底知れぬ不安を抱いた。

ある日、鬼塚CFOにランチに誘われた。

(なんだろう…この既視感…。)

何の話かと思いきや、「みなみさん、そんなに仕事ばっかりしてないで、そろそろ結婚しないと婚期逃しちゃうよ~」とかまたデリカシーのない話をし始め(誰のせいでこうなっているんだと突っ込みたかったが、なんだか悔しいのでグッと堪えた)中盤以降は私の仕事へのダメ出しオンパレード。しかしその指摘はとても正鵠を射たものであったため、普通に凹んだ。
そろそろ昼休みも終わりに近づきお会計をしようと席を立つと、彼は笑って「説教代ってことで」と御馳走してくれた。

その不器用な優しさとモラルやデリカシーの無さを足して2で割ったらちょうどいいのになぁ、なんてことを思いながら、ランチを御馳走になったことで気分を良くした私は、鬼塚CFOから指摘されたことを絶対今月中に直して見返してやるぞ!と意気込んでいたが。


その日を最後に。
鬼塚CFOは二度とオフィスに来ることはなかった。


=====

【第5章】どん底からのリブート編


鬼塚CFOの退職は本当に突然だった。
誰にも何の挨拶もなく、ぱったりと会社に来なくなってしまったのだ。

これにはさすがに山本社長も狼狽えた。
山本社長が電話をしても繋がらず、全く連絡が取れない。
皆の頭の中に、万が一のことが過ったが…彼ほど生命力が強そうな人がそう簡単に倒れるはずはないと思い直したのだった(社会人、ましてや一企業の役員ともあろう者が突如バックレたことに対する不満はさておき…)。

そして、これまでも十分大変だったアメイジングテクノは、鬼塚CFOがいなくなり大変を超えて混迷を極めた。

私は彼の直属部下であったものの、彼の業務の全容は全く掴めていなかったし、私では代替不可の業務が多発した。他の課長メンバーも多かれ少なかれ同様な状況であった(今になって思えば、本件からも業務が属人的で不透明になっていたことが明らかであり、上場に値する企業としてはまだまだ未熟であったといえよう)。

山本社長は、ビジネスセンスはピカイチであったがIPO実務に長けていたわけではなかったので、日々噴出する問題に終始イライラし「ほんまにありえへん!なんちゅう責任感のない男や!」と、社員数が増えて窮屈となったオフィスで怒鳴り散らすことも多々あった。

今回の騒動の引き金を引いた白鳥CMOはというと。
入社当初に批判していた鬼塚体制が終わり、思わぬ形で彼女が望んだ姿になったのだったが、彼女は社内からの信頼を最後まで得られなかった。
結局、3,000万円の大枚をはたいてスタートしたブランディング施策も社内での方向性すらまとめることができず(信頼関係構築というのは大変重要なのだと改めて思った)、定まらない当社の方針に電道との関係も徐々に悪化。それにプライドが挫かれたのか、鬼塚CFOが辞めた後の山本社長の粗暴な振る舞いを見て愛想を尽かしたのか、わずか入社後3か月で、彼女は彼女が連れてきた公認会計士の女性と共に当社を去ることになり、経営戦略部は事実上の解散となった。

新たなCFO採用にも難航していた頃、私の採用面接をしてくれた人事労務担当の佐藤課長と給湯室でばったり会った。やはり話題は自然と鬼塚CFOのことになる。

「鬼塚さん…本当にもう戻ってこないんですかね…」

「そうね…彼は熱い人だけど、そういう人ほど見切りをつけるととてもドライというじゃない。私もとても残念だわ…」

佐藤課長は悲しげに言った。

「そうですか…。色々とぶっ飛んだ人でしたけど、いなくなってから改めてその存在の大きさに気付かされたというか。敵も多かったですが、信頼している人も少なからずいましたし。創業間もない当社をまとめて、かつ業績も伸ばしていくために、あえて社内でヒールを演じている部分もありましたよね。
正直、入社当時はとんでもない上司にあたっちゃったなって思いました。でも今思うと、鬼塚さんの下でたくさん貴重な経験をさせてもらって、たくさんしごかれて、ときどき褒められて。自分自身すごく成長させてもらったなって思います。
…だから、すごく残念です……」

うっかりすると、泣いてしまいそうだった。

「そうね…。みなみさんは鬼塚さんに可愛がってもらっていたものね」

特別私が贔屓にされていることはなかったと思うが、部下の一人として可愛がってもらっていたのは事実だと思う。

「それに余計なお世話かもしれませんが、鬼塚さん、ストックオプションだってたくさんもらっていたのに。上場すれば、50億円以上は堅かったんじゃないですか。私なら多少嫌なことがあっても、最後まで頑張ろうって思いますけど…」

「うん…。まあ彼にとっては未来の50億円よりも、今現在の仕事のやりがいだったりプライドの方が、価値あるものだったのかしらね」

佐藤課長は給与労務担当であるためストックオプション事務局の作業を一部助けてもらっていた。ストックオプションの配賦状況を知る数少ない一人であるため、ポロリと思っていたことがこぼれてしまった。

「…あのね、みなみさん。こんなところであれなんだけど…。実は私も、来月いっぱいで辞めることにしたの」

「ええええ!そ、そんな、佐藤さんまで……」

「ごめんなさいね。実は少し前に、夫が大阪に転勤になってしまって。でも私はアメイジングテクノでの上場を一緒に達成したかったから、夫にはわがままを言って私一人東京に残っていたんだけど。でも、今回鬼塚さんが辞めちゃったじゃない。そうすると、上場までのスケジュールもきっと後ろ倒しになると思うわ。役員が変わるというのは上場審査に大きく影響を与えることなのよ。一からやり直しではないにせよ、振り出し近くに戻ってしまった感じね…」

「そ、そんな……」

目の前が真っ暗になった。
私も上場という大きなゴールを達成するために、入社以来、毎日が文化祭の前日のような怒涛の忙しさの中で、あともう少しの辛抱だと自分を鼓舞して頑張ってきたというのに。

「ごめんね、頑張っているみなみさんに水を差すようなことを言ってしまって。でも私もそろそろいい歳だし、やっぱり家庭のことも大切にしたいと思ってね。だから、すごく残念ではあるんだけど、上場に関して先行き不透明になってしまった中で、これ以上私の人生をアメイジングテクノに捧げることはできないなって」

2年半以上にわたり当社にフルコミットしてきた佐藤課長にとっても、きっと断腸の思いだったであろう。
このときばかりは本当に、鬼塚CFOを恨んだ。

鬼塚CFOの退職から始まり、社員が次々と辞めていく事態となったこの期間の山本社長のイライラは、直接私にも怒号・罵声となって降りかかるようになった。それでも私は、これまで至らぬ上司を支えてくれた部下たちを守らなければいけない使命感と、ここで諦めたら負けだという根性で何とか必死に耐えていた。


=====


入社して迎えた3度目の春。
私は友人の結婚式のため、週末久しぶりに地元に帰ってきていた。
母は1年ちょっとぶりに会った娘を見て「みなみ…ちょっと痩せた?」と心配そうに言う。私は特に感じていなかったのだが、単純に「そう?嬉しい~」と寧ろ喜んだ。

翌日は式のために、早朝からヘアサロンで髪をセットしてもらっていた。
私が高校生のときからずっと担当をしてくれている、イケメン美容師の立花さんが髪を梳きながら驚いたように言う。

「あれ?みなみちゃん…最近何か大きなストレスとかあった?」

「ええ?何でですか?
 ……えーと、そうですね。確かに今、仕事がちょっとバタバタしていて。でもやりがいはありますし……楽しいです」

少し前までは楽しかった仕事も、今では虚勢である。
最後の言葉は自分でも白々しく感じた。

「そうなんだ。みなみちゃんが楽しんでいるのであれば、余計なお世話かもしれないけど……」

立花さんは何かを言いづらそうに言葉を濁している。

「えーー、何ですか立花さん~~」

「もしかしたら、もう気付いているかもしれないけど。みなみちゃん、髪が薄くなっている部分が結構あってさ。ちょっと心配」

業務用の大きな手鏡で映してもらった自分の頭皮には、10円をはるかに超える大きな円形脱毛症がたくさんできていて。
そして、改めて鏡で見た自分の顔は目の下にはクマがあり肌荒れもひどい。
自分では今の今まで全く気付かなかった。いや、あえて気付かないようにしていたのだろうか。人に言われて初めて認識したボロボロな自分の姿に、とてもショックを受けた。

今日に限らず、最近はFacebookやインスタグラムを開けば、友人の結婚式や出産の報告などの幸せそうな写真がタイムラインにたくさん流れてくる。

私、なんでこんなに頑張ってるんだっけ。

張り詰めていた糸がプツンと切れてしまった私は、涙を抑えることができず、結婚式は泣き腫らした赤い目のまま参加することになってしまった。


=====

当社にとってとても辛かった冬が過ぎ、ようやく春が訪れた(実際にはもう夏だったが)。

山本社長の知り合いの伝手で、これまでに何度もベンチャー企業を上場へ導いてきた「上場請負人」の異名を持つ敏腕CFOが当社に入社したのである。

新たに着任した一条CFOは、歳は鬼塚CFOと変わらない40歳手前であったが、知識もスキルも人格も全てを兼ね備えた人であり、鬼塚CFOから悪い部分を全てデトックスしたような人だった。

強いて何か欠点を挙げるとするならば…彼が入社し、少し社内全体が落ち着いたタイミングで行った歓迎会二次会のカラオケで。一条CFOが唄ったミスチルが驚くほど下手だったくらいである(しかしこれも、社員の間ではギャップ萌えとして彼は一層愛されることになった。ここまで計算ずくだったとしたら、本当にスゴイ人である)。

一条CFOの入社により、上場を目指す企業にとって必須条件である適時開示体制を整えるため、経理部門に人員増強が行われた。
また、私がこれまで担当していた財務・法務・総務という闇鍋のような課もきちんと業務整理がなされ、私は法務・総務課長となった。また30代後半~40代前半の部長クラスの採用も進んだため、私を含めた古株メンバーは安心して仕事ができるようになった。

一条CFO体制でリブートした当社は、今回こそは上場を達成すべく一丸となり、それから約1年半後、私が入社して丸4年経った頃、ついに東証から上場内定の嬉しい知らせを受け取ることとなった。


やっと…ついに…
この長かった上場プロジェクトのゴールが見えてきた!


内定通知が出た週の金曜日には、会社近くの居酒屋で前夜祭を行った。
苦労を分かち合ったメンバーでの前夜祭は、某漫画風に表現すればまさに「宴だ~~!!!」といったところで、皆がたくさん飲んで食べて、とても楽しい一晩だったように思うが、正直あまり記憶がない(一応、家には無事に帰れたようだった)。

翌週の月曜日。上場内定が出たことで緊張感が少し緩んでしまったためか、少し寝坊してしまい慌てて家を出た。オフィスに着くと、まだ8時半は回っていなかったが、社長は既に出勤していた。
(前述のとおり当社はフレックス制のため、コアタイムに出勤していれば遅刻という概念はないはずなのであるが、相変わらず社長が朝8時半に出勤するため、事実上その時間が始業時間なのであった)

若干の気まずさを感じながら「おはようございます」と自席へ向かう。

すると徐に社長の口から発せられたのは

「みなみさん。やっぱり上場やめるわ」

社員全員が耳を疑った。


=====

【最終章】みなみを東証に連れてって編


「みなみさん。やっぱり上場やめるわ」

山本社長の一言に、社員全員が耳を疑った。

まさか、今日私がちょっとした気の緩みで出勤時間がギリギリになってしまったことに腹を立てて、この4年間にわたる血と汗と涙の上場プロジェクトを辞めにしたとは思えない。

掌に嫌な汗が滲む。

「しゃ、社長。そんな、急に上場を辞めるだなんて…
 一体どうされたんですか」

「実はなあ、主幹事証券のみずた証券から、仮条件(※)の提示があったんやけどなあ…
 これがほんまに、人を舐めくさった金額で提示してきよるねん。それやったら主幹事証券替えて、まあほしたら、上場は少なくともあと1年は延びてしまうことになるけども。もっとええ条件でファイナンスできるんとちゃうかなあ思うてな」

まだ社長の切々とした語りは続いているが、つまり、社長が想定していたよりも仮条件が悪かったために、このとんでもない事態になっているというわけである。

※仮条件決定について

IPOの次のステップとなるのが「仮条件」の決定だ。証券取引所が上場を承認してからしばらくたつと仮条件が決定され、公表される。具体的に言えば、仮条件とは公募価格を決めるための値幅のことで、仮条件で公表された値幅の範囲内で公募価格が決まる。

ではどのように値幅が決まるのか。これは証券会社が機関投資家や企業の経営者、銀行、保険会社などの金融機関に聞き取りを行って決定する。具体的には、目論見書などの資料やその企業の強みや特徴、成長過程などを参考に、ヒアリングの相手にそのIPO株をいくらで買いたいかを聞き取ることになる。

その結果、例えば「1株2000円~2050円」という形で仮条件が決まる。この価格幅はIPO銘柄によって違いがある。2000円のことを「仮条件の下限」、2050円のことを「仮条件の上限」と呼ぶ。

『ZUU』HPより引用
https://zuu.co.jp/media/stock/how-to-buy-ipo-stock


私の寝坊が原因じゃなくて良かった…。

なんて安心している場合ではない。
これまで社員全員が死ぬ思いで頑張ってきて、やっと上場というゴールテープを切る日が見えたというのに、今更辞めるなんてことがあっていいのか?
というか、このタイミングで自己都合の「やっぱり辞めます」なんてできるのか?
あ、まだ内定段階で対外的な上場承認は発表されていないから、一応可能なのか…?

様々なクエスチョンが頭の中を駆け巡る。
社長の言うとおり主幹事証券を替えて上場を1年遅らせたならば、当社にとってのメリットが大きくなるかもしれない。しかし社員は、少なくとも私は、それを望まなかった。もう限界だった。
石井くんを横目で見ると、彼も青い顔をしている。

何とかして社長を説得しなければ!

「社長。お気持ちは大変よく分かります。
 ただ、これまで上場を目標に昼夜を分かたず頑張ってきた社員にとって、ようやくいただいたこのチャンスを棒に振ることはしたくない…というのが正直な気持ちです。
 それに1年後、今より良い条件で確実に上場できるという保証もありません。どうか、考え直していただけませんでしょうか」

正直、自分の利益のために必死になっていた。
私を含め、当時の社員にとっては上場がある種のゴールだった。しかし、経営者からすれば上場は単なる手段にすぎず、そこで得たお金や信頼で更にビジネスを拡大していくことこそが目的なのだ。

「せやなぁ…。みなみさんは特に、初期メンバーとしてずっと頑張ってくれはったもんなぁ……」

「社長。ここは正直に、みずた証券におっしゃってはいかがでしょうか。この仮条件では承諾しかねると。ここに至るまで色々ありましたが、当社の成長性は他の証券会社からも高く評価されています。私は絶対に、みずたとの交渉では、当社がイニシアティブを持っていると確信しています」

「それもそうやな…。
 みなみさん、ほんなら早速みずたとのミーティングをセットしてもろてもええかな?みずたを試したるわ!」

……試したるわ!?

「みんな、よう聞いてな。次のみずたとのミーティングでは、できれば全員が同席してほしい。そこで僕が『この条件やったら御社とはもう組めません、主幹事証券替えさせてもろて、イチからやり直しますわ』って言うつもりや。せやかて向こうもプロやから、ブラフやっちゅうことは気付くかもしれん。そこで、皆にも同席してもろて、援護射撃をしてほしいんや。

 …ごめんな、さっきは皆の気持ちも考えずに驚かすようなこと言うてしもて。もしこの交渉が上手くいかなんだら、そんときは僕がみずたに『すんません、やっぱり頭冷やして考え直しました。御社でどうか上場させてください』って土下座でも何でもするわ。今まで一緒に頑張ってきてくれたみんなのこと思うたら、もう1年遅らすことにはしぃひん。
 でもさっき、みなみさんも言うてくれたけど、うちのビジネスの独自性や成長性はどこにも負けへんと自信を持って言えるから。絶対にみずたはウチを放さんはずや!」

私のさっきの進言は、交渉材料として「上場撤回宣言」なんてリスクまでは含んでいなかったのだが…

しかし、今の社長からのメッセージには確かに心揺さぶれるものがあった。
社員の顔つきも「よし!みずたに一泡吹かせるぞ!」と気迫あるものに変わってきている。

早速私は、みずた証券担当者と一番早いスケジュールでのアポイントを取った。先方からは「可能な範囲で、ご用件について…」と訊かれたが「それは直接お話しできればと存じます」と受話器を置いた。


結論から言うと、
私たちはみずたとの交渉に勝利した。


先方はいつも通り、課長と主任の二人で当社にやってきた。
彼らも、自らが提示した仮条件対して当社が不満を持っていることは何となく予想していたと思うが、まさか上場撤回宣言まで出してくるとは思わなかったであろう。
そして、その交渉の一部始終を「やったるで!」とメラメラ燃える眼差しで見守る全社員(こういった重要な局面において、ホームで戦うことの優位性を改めて感じた)。
山本社長の高らかなる宣言後、みずたの主任(いつも颯爽としたイケメンスポーティ証券マン)は、めずらしくしどろもどろになり「いったん持ち帰らせていただきます」と、そそくさと当社を後にした。

その翌日の午後一番で、仮条件の再提示があった。
前回から約200円上方修正されている。
当社は約600万株の売り出し予定であったため、昨日のわずか30分程度の交渉で約12億円の追加ファイナンスに成功した(本業での純利益で12億円を稼ぐのは、相当大変なことである)。

つまり、交渉は大成功を収めた!

「みんな…ほんまにおおきに…。一緒に戦ってくれて。
 今日勝ち取った分の1%でも使て、皆でパァーーっとお祝いしたいところやけど、これは未来の株主さんからお預かりする大事なお金や。しっかりアメイジングテクノのビジネスに投資さしてもろて、丸々太らせてから、必ずにみんなにもっと還元したるさかい、楽しみに待っててな!」

山本社長ーーー!!!

と、皆が目元を潤ませながら社長の元へ駆け寄る。
自分でいうのも何だが、ドキュメンタリー番組の取材が入っていたならば、自信を持って高視聴率が取れると言えるほどドラマチックな瞬間だった。


=====

波乱の交渉から約1か月後。
ついに上場日当日となり、私は日本橋兜町の東京証券取引所の中にいた。

経済ニュースでお馴染の、企業の株価が表示される円形の電光掲示板(チッカーというらしい)には「祝上場 株式会社アメイジングテクノ」の文字がぐるぐると回っている。これを見ると、なんだか実感が湧いてきた。

オープン・プラットフォームでの上場セレモニーが始まり、山本社長が上場通知書と打鍾用の木槌を受け取る。
いつもは株価や為替相場がリアルタイムで表示されている大型スクリーンにも、東証カラーの赤地に白抜きで「祝上場 株式会社アメイジングテクノ」の文字が誇らしげに映し出されている。
このスクリーンの前では恒例行事として記念撮影を行った。まずは東証CEOと山本社長の二人で、次いで役員一同で、更に社員一同で。その後はフリーの撮影タイムとなり、皆思い思いに時間の許す限り写真を撮りまくった。

ちなみにこのときの集合写真は、大きく引き伸ばして当社の応接室に飾ってある。

そして、恐らく私の生涯思い出ベストスリーに入るであろう、打鍾セレモニー。
東証の鐘を鳴らせるのは5回が上限なので、一般的には社長で1回、残りの4回は他取締役や執行役員に振り分けられて、部長クラスであってもなかなか実際に打鍾できるチャンスは少ないと聞く。
しかし当社では、山本社長の「長いこと頑張ってくれた古参メンバーには、参加してもらいたいねん」との粋な計らいから、1度の打鍾人数を可能な限り増やし(社長自身もなんと5人一緒での打鍾だった!)その結果、私や石井くんも東証の鐘を鳴らすという、とてもとても貴重な経験ができたのだった。


カーーーーーン


東証内に響く鐘の音。


お父さん、お母さん。

今日まで、辛いこともたくさんあったし、もう無理かもって思ったときもあったよ。

でも、諦めずに頑張ってきて、本当に良かった。

これまで心配かけたくなくて、訊かれても、あまり仕事の話はしてこられずごめんね。

やっと、この4年間のこと、自信を持って話せるようになったの。
だから今度帰省したときには、たっぷり聞いてね。

みなみは今、人生で一番の達成感と幸福感を味わっているよ!!


=====


上場翌日も、当社の株価は朝からストップ高が続いている。

昨日から上場企業の仲間入りをしたけれど、急に社内の雰囲気が変わるわけでもなく。きっと明日も今日とそれほど変わらない日を迎える。


ようやく社員たちも気付く。
上場はゴールではなく、スタートなのだということを。


社会的責任が一段と大きくなった当社では、これからより多くの期待に応えていかなければならないし、難しい問題に直面することも増えるだろう。

でも。
修羅場を何度もくぐってきた私たちには、これからどんな壁にぶち当たろうとも乗り越えていける「自信」がある。

ほら、早速IR専用電話も賑やかに鳴り始めた。
今日から私は広報・IR課長なのだ。
(ここ2~3か月、各種IR資料作成や投資家との面談調整などに精を出していたら、いつの間にかアサインされていた。いかにも当社らしい)


「お電話ありがとうございます。アメイジングテクノ、IR担当のみなみでございます」

人生は一度きり。
これからも全力で走り続けます!!


【完】

=====

■さいごに


ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました!

当時を思い出しながら書き始めると、波乱に次ぐ波乱で当初の予定よりずっと長編になってしまいました(笑)

本作に盛り込めなかったネタもまだまだあります。
私が考える
・ベンチャーに向いている人/いない人
・IPO準備中と謳うベンチャーが本当に上場できる/できないを画す一線
・上場裏話 など…

あっ、肝心のストックオプション行使で億った話もまだでした!
※当社では権利付与から行使可能日まで3年の縛りがあったため、上場日から実際に資産を手にするまでに少し期間がありました。

**2022/5 追記**
上記を【後日談】億るまでの話をしようか -IPOで人生変わった?- 編にて記載していますので、ぜひこちらもご覧いただけますと幸いです。


なお、本作のタイトル『億るまでの話をしようか』は私の尊敬するプロマーケター、森岡毅さんの『苦しかったときの話をしようか』からオマージュさせていただきました。ビジネス書なのに最後は感動して号泣するくらい、オススメの一冊です。


ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
このお話が少しでも面白かったと思っていただけましたなら、ぜひいいねやフォローで応援いただけますと大変嬉しいです♡

またぜひ、お目にかかれる日を楽しみにしています。
See you next time!


※この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?