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カレーライス革命

カレーのじゃがいもがキライな人にはじめて会った。
というより、じゃがいもの、あのモサモサした感じがキライらしい。
(でもポテトサラダは好きというから、単なるわがままである)
カレーは、あの角の丸くなったじゃがいもが美味しいのにと思いながらも、彼の家でカレーを作るときにはじゃがいもを入れなくなった。

いつの日のことだったか、一緒にカレーを作ったことがある。
そのときの買い出しで、カレーのルゥは何を使うかでもめた。
私の実家はジャワカレー、彼の実家はこくまろを使っていた。
「あとからくる大人の辛さがたまらない」と主張する私に、「辛さの中に潜む甘さとコク」を譲らない彼。
スーパーでは決着がつきそうになかったから、どちらも1箱ずつカゴに入れた。

1箱の半分の分量で十分足りるのに、互いに頑固な私たちが導き出した答えは半分ずつルゥを入れることだった。
(おかげで10皿分の分量ができるようになる)
お鍋いっぱいにできたカレーの匂いに誘われて、期待に目を輝かせて満面の笑みでやってくる彼。
「味見してみる?」と互いに顔を見合せる。
言葉にせずともわかる、もちろんや、という彼の目。

口に入れた瞬間、私たちは感動した。
口いっぱいに広がるまろやかさの後にくるスパイスの刺激。
「これは革命的なうまさだ!」と、してやったりの彼の顔。
私も正直、ここまでおいしく出来上がるとは考えていなかった。
その日のカレーのあまりのおいしさに、私も彼もおかわりをした。
(彼なんて3杯も食べてた)

それでもカレーはかたちを変えながらも、3日も食卓に並んだことは言うまでもない。
(次の日は定番のカレーうどんに、最後はカレーピラフとなった)

ほとんどは私がご飯を作ることが多いのだが、休みの日は急に張り切って彼がご飯を作ってくれることがある。
冷蔵庫には革命が起きたときのカレーのルゥが半分ずつ残っていた。
それに、昨日肉じゃがを作った残りの野菜たち。(じゃがいも・人参・玉ねぎ・椎茸・お肉)
じゃがいもは彼がキライだからと却下されたのに、椎茸は意外とおいしそうという理由で採用された。
鼻歌まざりで台所に立つ彼の様子をたまに覗きに行っては、「恥ずかしいからテレビでも見てて」と追い出されるのを何回か繰り返す。
そろそろできたかな?と覗きに行くと、ふと彼が聞いてきた。
「実家のカレーはいつもドロドロしていたのに、自分で作るとサラサラするのはなんでだろう?」と。
「へ?」と思わず声が出てしまった。
じゃがいもがキライと言っていたから、てっきり彼の実家のカレーにはじゃがいもが入っていないものだと思っていた。
でも、きっと入っていたのだ。
それもわからないように小さく、溶けてなくなるようにして。
母の愛情もたっぷり溶け込んでいたことだろう。
そのことを彼に伝えると「入っていたんかなー?」と間の抜けた返事をしつつも「それなら、じゃがいもも見直さないといけんなー」なんて調子のよいことを言う。
彼に却下されて、冷蔵庫にさみしく取り残されていたじゃがいもが急遽採用され、これでもか!というほどに小さくカットされてお鍋に投入される。
おかげでいつも以上に時間がかかってしまったが、できたカレーを食べては、しきりに「おいしい、おいしい」と満足そうな彼。
その姿をみて、はじめてカレーを作った小学生みたいだな、と愛しくも思い、彼のことをもっと知っていきたいな、なんて思ったりもした。

あれからいろんな変革を経て、わが家で作るカレーはジャワカレーとこくまろのミックス、隠し味にほんのちょっとのウスターソースが定番になった。
それに、とろみ用に小さく切ったじゃがいもと私用に大きく切ったじゃがいも、そしてその時々で冷蔵庫に残っている野菜たち。
いろんなものが混ざって、変わって、美味しいものができていく。

私たちも、好きも嫌いも、嬉しいも悲しいも、辛いも楽しいも、いろいろ分かち合って溶け合って、いい味出していけたらいいな、と思いながら、今晩もカレーを作っている。

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