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ひとつのキッカケでモロモロ

ざっくり振り返った過去は一段落。

noteを書こうと思ったのは自己整理のためだったのですが、お付き合いくださった方、本当にありがとうございます。

書いてみて自分でも目からウロコというか、全部因果はつながってるもんだなと思いました。

20代でパワハラで鬱と拒食症になり、なんとか持ち直したものの、結局どっちも治ってなかったんだろう。

たまたま人に恵まれて、持ちこたえていただけ。

実際摂食障害も治っていません。

あれから炭水化物は一切とっていないし、野菜と卵だけの生活です。ある程度緩められてはいるものの、気持ちが落ち込むと制限がきつくなる。

痩せると嬉しいし、太りそうになるとパニック気味になるのは変わらないし、いまだに人と外食は出来ません。友人が理解してくれているので甘えて、自分だけ飲み物のみで許して貰えてる状態。

そして今回の退職になったキッカケも、最初のパワハラとほぼ同じ状況と相手の性格だった。

成長してないなぁと思う。

2度目の鬱再発で、いい加減どうにかしたくてたくさんの啓発系の本とか自己分析の本とか読み漁って、いろいろ勉強した。

その中で、摂食障害のきっかけは母親との関係があるという説と、私がいちばん恐怖を感じる【無視】【不機嫌】【ヒステリックな声】はどこからくるのか目を閉じて頭に浮かぶ人物や光景は何?という問いかけの一文に引っ掛かった。

前者は正直わからない。

私はあんまり母親の記憶がない。

家にいた記憶がなく、残っているのは不倫相手との逢瀬に連れて行かれて遊園地で放置されたこと、最後に出ていったときに「あんたはいらないからお父さんにあげる」と言われたこと。

多分他にもあるはずだが、物心ついた頃から母は不倫していて家にいなかった。

派手好きで遊び歩いていたのでしょっちゅう父と喧嘩していて、その時のヒステリックな怒鳴り声が怖かった。

私の女性のヒスと不機嫌な人に対する異常な恐怖はこれだろうと思う。

こんな母親との関係がどう拒食症とつながるのかはわからない。

そして父。

まぶたを閉じて【無視】【不機嫌】で1番に浮かぶのは父だった。

母が出ていった後、父は生活最低限のことは用意はしてくれたがほぼ家にいなかった。

否、次第にそうなっていった。

最初の1年は、精一杯親として接しようとしてくれたと思う。

遠足のときにお弁当を一回作ってくれた、学校のPTAにも参加し、遊びにも連れて行ってくれたし、本好きだったので本もたくさん買ってくれて、私も読書好きになり文章も書くようになった。

理由は聞いたことないが母が出ていって、すぐに離婚はせず、父は待っていたのだ。


だが父も人間だから、待つ間に疲れ果ててしまったのだろうと思う。3年後、帰ってこない、見つからない、母が残した借金をずっと返していた父。

すべて返金したあと、離婚届を出した。

小6の頃だった。

母が出ていって1年経ったあたりから、父は仕事のあとはパチンコに行き、遅くまで帰ってこなくなった。

食事は自分で用意するか、父が買いおいたもので済ませた。だから料理ができるようになった。

家事も必要だからおぼえた。

ずっと父を見ていたので、しょうがないと思っていた。父はもうこのあたりから私を見ようとはしなかった。お前は母親に似ていると言っていた。

顔なのか性格なのかはわからない。

いまでも解らない。

小6のこの頃から家を出るまでの間、正確には母が蒸発して1年後くらいからだから小4くらいから、私には親がいるけど一人だった。

父親はいたけど、無視されていた。

カウンセラーの人は、それはネグレクトなのだと教えてくれた。

私は根底に、人格形成の基礎にこの体験があったから今があるのだと、40歳を過ぎて初めて知ったのだった。

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