自分が不幸だと可哀相だとか。
実は思ったことがほぼなかった、と気がついた。
「自分が悪い」「自分のせいだ」とはしょっちゅう思うけれど、「どうして私がこんな目に合わなきゃいけないのか」「私ってなんて不幸」ついでにいうと誰か他人に「〇〇ばいいのに(禁止ワード)」とかも思ったことが本当にないです。
なので何時も何かしんどいことが起きたときは「自分は何をしてしまったのか」「何か悪いことをしたのでは」「自分はどうすればいいのか」に終始します。
その結果、最悪の事態(現時点で)に陥ったときも、「ああこれはもう仕方ない」と諦める方向に向きます。納得出来ないとしても。とりあえず自分のせいにしておけば、楽だから?なのでしょうか。
自分以外の人はほとんどの人が優れていて、自分がこの世でいちばん劣っている、頭が悪い、器量がよくない、と結構本気で思っているな、と最近自己分析を試みているうちにはっきりしてきました。
どうしてこうなったのだろう?
誰かのせいにしたとしても、楽にならないし、解決もしない。
だから自分のせいだ、自分のちからが及ばなかったからだと自己完結してしまえば、何にも怒らず恨まずいられる。
怒ること、恨むこと、不満に思うこと、愚痴を言うことは物凄く疲れます。
あんなにエネルギーのいることは極力というか、ご遠慮したいのです。
幼い頃からそういうパワフルな大人に囲まれていたのでなおさらかもしれません。
物に当たる、怒鳴る、叫ぶ、ヒステリックになる人への異様なまでの恐怖と。
嫌悪感。
祖父母と母と父、の顔がこのワードの後ろに並んでいる。
お前が悪い、私は悪くない、不幸になったのはあんたのせいだ。
こんな言葉は間違っても他人に向けたくない。
自分が言われても、言いたくないのです。
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