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ファザーコンプレックスとチョコレート

以前から触れているように私は父子家庭でした。

小学生の時に両親が離婚し、その後はずっと父と2人でしたが、離婚する前からほとんど母は家にいなかったので、幼少時からの親との記憶はほぼ父です。

本当に小さかった頃は父の思い出はそれなりにあります。徐々に父と母の関係が悪化していくにつれ、2人の子供(私)への関心は薄れ、最終的に放置に近くはなりましたが、それでもやはり親の影響力というのは濃い。


最近になって私はどうして食に関する仕事をよく選んで来たのだろうと改めて考えるようになりました。

前職はスイーツを売り、デザートを作る仕事を8年、その前はパン屋、その前はやっぱり菓子に関わる仕事でした。

なのに私自身、そこまで甘いものを好むわけではないのです。嗜好として。

どちらかというと食事や塩っぱいもの、おせんべいやおかきなどが好きで、甘いものはたまに摘む程度で満足できるのに、どうして私は甘いものとかパンを自然と選んできたのだろうと、今更ながらに不思議に思ったのです。

いま、職探しをしている間も気がつけばこの2つのジャンルの仕事にブックマークをつけている。あれ、どうしてなんだろう?と。


ぼんやり一ヶ月ほどなんでだろうなぁ、と真剣ではないものの、ずっとずっと考えていて。そして昨日、前触れもなくも思い出したのです。


美味しそうにチョコレートを食べていた、父のこと。

父と休みの日にしたお店屋さんごっこは、ケーキ屋さん。

一緒に買物に行ったら必ずチョコやカップケーキをカゴに入れていた父。

父がお気に入りの喫茶店で食べた、モーニングの厚切りバタートースト。

初めてオーブントースターを買ったとき、私が作ったクッキーを嬉しそうに食べてくれた父の顔。


甘いものが好きだったのは、父だった。

チョコもケーキもパンもコーヒーも、全部父が好きなもので、父はなぜか自分の好きなものは私も好きだと思っていて、その後もことあるごとに「お前はチョコが好きだから」「ケーキが好きだろう」と言っていた。

でも私はチョコは本当は好きではなくて、ケーキもそれほどでもなかった。

ただ父がそれを買って来て、2人で食べる時に嬉しそうだったのが好きだったのだ。


私が甘いものを作ったり、売ったりするとき、何が楽しかったのか。

それは「甘いものが好き」だと喜んでくれる人の、嬉しそうな顔を見ることが「私の嬉しいこと」だったからだ。

甘いものを贈る人のお手伝いをして、好みの甘いものをオススメできるように勉強して味見して、探しているベストなスイーツを提供出来たときの、お客さんの喜んでくれた顔がとても好きだった。


その根っこにあったのは、子供の頃の父との記憶があった。


無意識のうちにこの40年生きていた自分の人生の底に広がるのは、親の大きな影響で、どうしたって逃れられるものでも否定できるものでもない。


思えば今でもチョコレートを見ると、父を思い出す。

バレンタインになると父が好きだったナッツ入りのチョコや、板チョコを一度手にとって眺めてしまう。

おかげで私がチョコ好きだと思っている知り合いは多い。一緒にいるときに手に取ることが多く、しかもやたら種類に詳しいからだ。


これがせめて、恋人なりパートナーだったり、友人だったりするのならばよかった。

チョコレート、ケーキ、あまいもの。

私の中にあるファザーコンプレックスは、甘いもので出来ていた。

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