見出し画像

愛がなんだっていうんだよ。




遅ればせながら、「愛がなんだ」を観ました。



「好きになって、ごめんなさい。」という当初のキャッチコピーから、いつのまにか「全部が好き。でもなんでだろう、私は彼の、恋人じゃない。」というコピーが新しく添えられていたこの映画。いずれ観るんだろうなとぼんやり思っていた。でもなぜか遠い先のことのように思えて、大型劇場での公開ではない中で大ヒットしていると知っても、なかなか足をのばせなかった。絶対に苦しくなるやつじゃん、と思って、無意識のうちに避けていたのかも。そうしてずるずる過ごすうち、ちらほら上演終了の声がきこえてきて、さすがに、と思いテアトルへ。日曜の夜。




始まりからヤバい。
身に覚えしかない。



この映画、予告ではテルコとマモちゃんのあまったるいやりとり(追いケチャップとか足つんつんとか朝の「おはよ、」とか)が象徴的でずいぶん話題にもなっていたけど、そんなものはうっっすーーーーい紙切れくらいの確かさで、とにかく、兎に角、全員、ヤバい。「好きってなんだろう」みたいなセリフが出てくるけど、たぶん誰もそんなことは理解しちゃいない。こいつらマジでヤバいな、と思う瞬間があまりにも多すぎて。
わらってしまうくらいに。



でも。全員の気持ちを、私は知っている





ーーーーーーーーーーー(ネタバレを含みます)ーーーーーーーーーーー







まず「マモちゃんになりたい」というテルコ。

わかる。ごめん。超わかるよ。好きすぎてその人になりたいという気持ち。33歳になったら会社やめて象の飼育員になろうかなー、と動物園でつぶやくマモちゃんの隣にいたテルコは、それを自分が実行してしまう。(ここ、ラストなんだけど、普通に観たら、マジ狂気。最後のタイミングでよかった…)だって、あのマモちゃんのつぶやきは、テルコしか聞いてないから。できるのは、テルコだけだから。それは、絶対領域であって、不可侵領域なのだ。そのひとの人生を辿るということ、もはやそれが「好き」という気持ちなのかなんなのかもわからずに、信じて突き進んでしまうテルコを、本当に馬鹿だなあと思うけれど、そんな彼女が、痛くて痛くていとしい。



次に、このひとがいちばん鋭くて切なくてやさしかった、ナカハラ。

「幸せに、なりたいっすね」と涙をこらえながら言うその姿に自分がだぶって仕方なかった。あれ、私かな?

ナカハラは葉子ちゃんが好き。呼ばれたらいつだってそばに行く。でも彼氏じゃない。それでいい、とナカハラは言う。「葉子さんが寂しいってときに、誰か呼びたいときに、何番目かでもいいから、仲原呼ぶか、ってなってくれたらいいんす。」と。葉子ちゃんは実家でお母さんと二人暮らしで、年末年始もおうちにいく(葉子ちゃんはなんと不在)くらいの距離の近さなのに、絶対的に遠い。この遠さが、すみれの「その女、最低だよ」とマモちゃんの「人にはそれぞれの好きがあるんじゃないっすかね」という言葉で、ナカハラの信じてきた葉子ちゃんを霞ませてしまう。「葉子さんが寂しい時に呼んでもらえるやつでいたいって言いましたけど、違うんすよ。葉子さんは、寂しくならないんです。」といった、ナカハラの、震える唇と、目にたまった涙。(若葉達也くん、あっぱれすぎる!ぜったい賞もの!)せつなくてくるしくてあたたかくてはかなくて、心臓がつぶれそうになった。からの、去り際の、「幸せに、なりたいっすね」だ。


これ、覚えてる・・・

と自分の中の記憶がざわめいた。


「好き」っていう気持ちだけがあって、それは確かにほんとうで、でも現実はどうしようもなくて、周りに相談してもなにも解決せず、気持ちに折り合いもつかず、途方にくれ、吐き出すことばが「幸せになりたいな・・・」だった、24歳の私だ。諦めるしか選択肢がなかった、あの頃の私だった。

ナカハラはその後、自分の個展にきた葉子ちゃんをみておどろき、うつむく。静かな時間が流れる中、彼女が自分の写った写真をみて、お互いに視線をかわすのだけど、その描写がとても映画的で素敵だった。美しい終わりではないんだけど、きっとふたりはもう交わらないんだけど、葉子ちゃんの中でもなにかが起きたと信じたい一瞬だった。


そう、葉子ちゃんも、「(寂しい時くらい)あるよ!私を何だとおもってるの!」と怒る、ごく普通の女の子なのだ。うまく「好き」がコントロールできない、でもやさしい女の子。お金がない、って夜中に電話がかかってきたら「タクシーのりな、私が出すから」といい、テルコの家に筑前煮をタッパでもっていく葉子ちゃんは、とってもまっすぐで、すてきだなと思う。



そして、成田凌・・・・・・じゃない、マモちゃん。

なにから語ればいいのか、この男。リョウナリタ。いや、田中守。

正直彼にも、わかる……と唸る瞬間、あった。中目黒で飲んでるとことか、すみれさんへの視線とか、ひとは一面性だけでは語れないってこと。テルコがみているマモちゃんだけが描かれているのではない、というところがとてもとてもよかった。

でも、「山田さんはなんで親切にしてくれるの?」は狡い。「親切」、じゃないんだよ。そんなふうに線を引く男がいちばんむかつく。あと、”友達もそんなにいないから”、「山田さんみたいな距離感のひといない」って言っちゃうところ。そういう・・・そういうやついるんだよー。そこにつけこんじゃうこと知ってるのかな。いいよ知らなくて。一生知るなバーカ。

夜遅くからのみにいってぐだぐだして、「山田さんに付き合うといつも朝だよー」とか、好きなひととうまくいかなくて自分のこと好きな子に甘えて寝そうになるとことか、ほんと、みんな経験あるんじゃないのかな・・・。

何が魅力なのかわっかんないけど、信じられないくらい愛される男、いるよなあ。好きになる気持ち、わかっちゃうの、むかつく。


あと全員気持ちいいくらいに飲みすぎなの、非常に好きだった。金麦がすごく印象的だったな。こういう映画だと、缶ビールとか発泡酒は、映えるね。雰囲気があってなんかいい。


夜の缶ビールといえばきのこ帝国。(活動休止が発表になってから過敏)

コンビニエンスストアで
350mlの缶ビール買って
きみと夜の散歩
時計の針は0時を差してる
“クロノスタシス”って知ってる?
知らないときみが言う
時計の針が止まって見える
現象のことだよ



時計の針が止まって見えるほど、夢中で恋してるって、盲目って。

はー。



わたしはテルコが、とっても人間らしくてすきだよーー。




ぽっかり空いた穴に、忘れていた記憶が次々なだれ込んで、あったかくなったり冷たくなったり、帰り道は昔の好きだったあのひとがよく聴いていたうたを口ずさみながら、メンヘラに浸った夜でした。まじでとんでもねーけど、好きな映画だったな。



幸せになりたいね。


うるせえバーカ。


















この記事が参加している募集

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?