見出し画像

渇きありきの私

ずっと、渇いている。
枯渇というよりは、欠乏。
0じゃなくて、確かにあるんだけど、足りない、みたいな感覚。
このままでもきっと死にはしないのだが、生きるという行為を曖昧にこなしている、そんな感じだと思う。

ひとつ手に入れたら、もうひとつ。
手を伸ばして、手に入れてしまいたいものがそこら中に散らばっている。いざ手にできてしまうと、物足りなさからまた次を求める。
足りない、まだ足りない。

一瞬満たされかけて、またすぐに渇いていく。

いつまでも満たされることの無いこの感覚が怖い。だけど、満たされてしまったら終わってしまう気がして。

人にも環境にも恵まれているはずなのに、自分″以外″のことなら精一杯に愛せるのに。人を羨むことを止められないし、何者かになりたい、誰かにとって必要な存在になりたい、必要とされていたい、身勝手な感情。

代わりはいない、そう言われたいんだと思う。いつまでも替えのきくような存在としてしか、生きることの出来ない自分に嫌気が差しているんだと思う。人に依存してしまうから、人に依存されたいんだと思う。

人に何かを与えることが出来る人への、憧れや尊敬、それらを通り越した嫉妬に近いもの。そんなものを抱えて、私は一体どうしたいんだろうな。自分で、自分のことが分からなった。いつの間にか大人になってしまって、そんなことを人に打ち明けることすらできなくなってしまった。

器に水を注いでも注いでも満たされないのは、どこかに穴が空いていて、するすると抜け落ちてしまっているから。その全てを零さないように受け止めることなど、私にはできない。落っことした雫に宿っていた可能性とか、それをすくえなかった自分へ嫌悪感とか。

その時は確かに昂っていた感情を、同じ熱量で思い出せなくなっていたことに気づく瞬間。
すくえた雫の大切さを、愛おしさを、知らず知らずのうちに忘れてしまうこと。あとほんの数センチ、たったそれだけが届かなかったこと。

すくえなかった雫、救えなかった何か。

そのすべてと、目を合わせて向き合わないといけない。
それが、”生きていく”ということなのだと思う。

いつか渇きは満たされると信じているけれど、渇くことを知らない、満たされきった自分がいたとしたら。
もしかするとそれは私じゃないのかもしれない。

何故ならば、私は渇きありきの人間であり、渇きは私の可能性であり、のびしろであり、欠点でもあるからだ。

満ちることを知らないまま、
日々を生きるのもまた私らしさなのかもしれない。

この記事が参加している募集

クリエイター活動をサポートしてくださる方を募集しています。読んでくださる方の感情を動かせるような素敵な文章を書けるように日々努力します!︎☺︎