小さな幸せすら、愛せたら
小学生の頃、携帯電話を持たせてもらっている友達のことが凄く羨ましかった。
大人の仲間入りをしているみたいでずるいなあ、と思っていた。
いつもプリキュアの最新の変身道具のおもちゃを持っている子や、シルバニアファミリーを沢山買ってもらっている子もいて、それを見るたびに憧れとか嫉妬とか、ぐるぐるといろんな感情を抱いていた。
自分が持っていないものを持っている人を見ると、羨ましく感じてしまうのは人の性だ。
私の家は貧しかったわけではなかったけれど、「買ってもどうせすぐ飽きるでしょ。」と返事をされることが分かり切っていたので、欲しいと思っても親には言わないようにしていた記憶がある。
今思えば本当にごもっともだと思う。新しいおもちゃを買ってもらっても、ほとんどのものがすぐに飽きてしまう。
あの頃は、欲しいものを買ってもらえるお金持ちの家の子はいいなあと羨んでは、そういう生活が「豊か」なのだと思っていた。
何自由なく、好きなものや人に恵まれた、”豊かな生活”。
大人へ近づくにつれて、その考えは私の中で少しずつ変わりつつある。
流行りの商品や服を持っていて、お金が沢山あって。
ブランド品を身に纏い、高級レストランで食事をする。
その隣にはいつも恋人がいて、みたいな。
そんな絵に描いたような生活を誰もが夢に見るし、それこそが豊かで幸せだと思うだろう。
果たして、本当にそうなんだろうか。
・億万長者は絶対に幸せか
「豊か」という文字を目にすると、私たちはすぐにお金と繋げてしまいがちだ。お金さえあれば、必ずしもその人は幸せなんだろうか。
もし生涯孤独の億万長者がいたとして。
その寂しさはきっと、お金では埋められないものだろう。
お金で買える「ゆたかさ」もあるが、
お金じゃ買えない「ゆたかさ」だってあると思う。
・愛とか恋とか、結婚とか
「女性にとっての幸せは結婚だ」なんていうけれど結婚は本当に幸せか。果たして結婚だけが人生の正解なのか?
結婚している人が偉いとか独身はかわいそうだとか、そんなこと、一切ない。だって、結婚はステータスではないから。
独身だってきっと、立派な幸せの形の一つだと私は思う。
あなたの人生を豊かにしてくれるのは結婚かもしれないし、あるいは仕事かもしれない。はたまたそれ以外の何かかもしれない。
・貧しい人の人生は「豊か」じゃないのか
”貧しさ”と”豊かさ”。
かけ離れているように感じるこの二つの言葉が共存することはないのだろうか。
私は、貧しい暮らしの中にだって、幸せはあると、そう思う。
たとえ貧しい暮らしでも、そこに「ゆたかさ」が存在しないというわけではない。貧しさが豊かじゃないなんて、そんなの一体誰が決めたんだ。
幸せの形なんて人それぞれで、定義なんて誰にも決めることはできない。
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陽は沈んで、また昇る。
辛い日も、泣きたい日も、逃げ出したい日もある。
そんな中でも、心躍る日だってあるし、
「今日がずっと続けばいいのに」と願う日もある。
悲しい日があるからこそ、幸せな日がある。
私たちの人生を豊かにしてくれるのはお金じゃない、地位でもない。
お金がなくても、持ち物が一級ブランド品じゃなくても、ランチのお店が高級レストランじゃなくても。
電車で学生がお年寄りに席を譲っているのを見て優しい気持ちになったり、卵を割ると黄身が二つで喜んだり。
家族や友人、恋人、大切な誰かと笑い合ったり、夢を抱いたり。
素敵な人に出会ったり、雨上がりの空が綺麗だったり。
その小さなひとつひとつに幸せを感じることができたら。
小さな幸せすら、愛おしく思えたら。
そんな日々にこそ、「ゆたかさ」は溢れているんじゃないだろうか。
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