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元100kg 過食嘔吐の東京での休職生活、そして復帰

〜100kgだった私の簡単な紹介〜

私は20年ほど前の高校1年生のときに体重が100kgになりました。

今は37kgなので、今の2.7倍以上の体重があったことになります。

100kgになったときのことを複数回に渡り振り返ってみようと思います。

なぜ100kgにまでなったのか。

そのときどう思って生活していたのか。

周りとの関わり方はどうだったのか。

自分自身についてどう思っていたのか。

こういったことを掘り下げていこうと思います。

今のわたしは、幸せを実感して生活しています。

こうなるまでどういう過程があったのかを棚卸しすることで誰かの役に立てばと思います。



元100kg 過食嘔吐の東京での休職生活、そして復帰


中学校入学時には70kg近くあり、卒業する頃には90kg近くありました。

高校入学後100kgになり、その後1年間で100kg→70kgと30kgの減量をしました。

その後1年で20kgのリバウンドをし、過食嘔吐が始まりました。

過食嘔吐は20年ほど続きました。

高校卒業時、67kg。

大学卒業時、53kg。

東京での新社会人生活を初めて2ヶ月ほどで出勤して仕事をするということが難しくなってきました。

仕事を休職し、地元に一旦戻りました。

地元で数ヶ月過ごしましたが、状態が良くなることはありませんでした。

仕事復帰を親も私も急いでいたこともあり、東京で療養することにしました。


地元から東京に移ってからすぐに病院を探して通院を開始しました。

そこでも更に薬は増えました。

薬を飲み続けていましたが、また一向に良くなる気配はありませんでした。


休職して10ヶ月ほど経ちました。

状態は良くはなっていませんでしたが、それ以上休職を伸ばすことも考えられなかったので復帰を決意。


また通勤ラッシュから始まる日常が戻って来ました。


復帰後は簡単な仕事を与えられ、まずは出社して仕事するという生活に慣れるところからまたスタートでした。


出社を数日すると体の震えが起き、また座っていることができなくなりました。

このような上京になり、もう仕事を辞めることしか選択肢しか残っていませんでした。


会社を辞め、地元に戻りまずは休もう。

また、地元で療養生活に戻ることになりました。


この間、過食嘔吐も変わらず続いていました。

仕事がない日は朝から、スーパー、コンビニ、外食チェーン店をはしごし食べれるだけ食べる

そして吐き出す。

ずっとそんな毎日でした。

お金は自分ではどうにもできず親、祖父から援助してもらう生活を送っていました。

申し訳無い気持ちを感じつつも、過食を辞められない自分。

自己嫌悪で潰れそうになってました。


今は自己嫌悪することはなくなりました。

最近までは実は毎日自己嫌悪を感じていました。


過食する自分、子どもにイライラする自分、楽しく過ごせない自分に。


少食になったことで意識が少しずつ変わってきました。

小さなことを気にしなくなりました。

自分に感謝する気持ちを感じられるようになりました。


すごく辛い時期もありましたが、今のこの幸せを感じための試練だったのだと思っています。


今日も、今あるものにありがとう。



自然の恩恵に感謝できるようになれて幸せです。
誰にでも幸せは訪れます。

過去100kgあっても今充実し、幸せに満ち溢れた毎日を過ごしています。

体型に自信がない自己嫌悪を抱えて生活しているこんな状況も思い続けていれば必ず幸せになれます。

思いは実現します。私の今までの経験が誰かの役に立てばという思いから、過去の体験を載せていきます。

直接話しをしたい方、気軽にご連絡ください

min.blg.0404@gmail.com

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