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元100kg 過食嘔吐の母と祖父からの愛
〜100kgだった私の簡単な紹介〜
私は20年ほど前の高校1年生のときに体重が100kgになりました。
今は37kgなので、今の2.7倍以上の体重があったことになります。
100kgになったときのことを複数回に渡り振り返ってみようと思います。
なぜ100kgにまでなったのか。
そのときどう思って生活していたのか。
周りとの関わり方はどうだったのか。
自分自身についてどう思っていたのか。
こういったことを掘り下げていこうと思います。
今のわたしは、幸せを実感して生活しています。
こうなるまでどういう過程があったのかを棚卸しすることで誰かの役に立てばと思います。
元100kg 過食嘔吐の母と祖父からの愛
中学校入学時には70kg近くあり、卒業する頃には90kg近くありました。
高校入学後100kgになり、その後1年間で100kg→70kgと30kgの減量をしました。
その後1年で20kgのリバウンドをし、過食嘔吐が始まりました。
過食嘔吐は20年ほど続きました。
高校卒業時、67kg。
大学卒業時、53kg。
東京に就職→退職時 47kg
東京に就職→退職時 47kg
退職半年後 40kg
実家の近くには祖父が一人暮らしをしていました。
祖母がだいぶ前になくなっていたので、長年一人でした。
母はいずれ祖父と同居することを考えていました。
実家も祖父の家も狭く、建て替えを考えていたようです。
私は地元に戻った状態でした。
また正社員として働きたいという気持ちはありましたが、田舎だったためまともな就職先を見つけることが難しい状態でした。
私は専門職についていたので、その職種は地元では募集がほとんどありませんでした。
母もまた私が望むなら正社員として働いてほしい、と思っていたようです。
「就職して、今まであなたにかかったお金を返していきなさい。」
過食嘔吐、うつ症状を抱えた状態の私にとってはこの言葉はとても重いものでした。
しかし、支援してもらっているのは事実であること。
自分自身もこのままで終わるのは悔しいという思いがあったこと。
なんとかまた正社員として働きたいとは思っていました。
そんな中、母から私が大学に通っていた土地で、祖父と母と3人で暮らすという提案がありました。
確かに大学のある土地では地元よりも遥かに就職先があります。
そこで暮らせたら、正社員として働けるチャンスは増えます。
祖父は、始めは住み慣れた土地を離れることを嫌がりました。
当たり前です。
しかし、私を思ってのことでしょう。
受け入れてくれました。
その決断から半年で、母、祖父にとっての新天地に転居することになりました。
当時は母と祖父の優しさをあまり感じることができていなかったなぁ、と振り返ると思います。
とても思ってくれていたことに改めて気づいて、感謝の気持ちでいっぱいです。
今は祖父も母も、すっかり生活に慣れ楽しく暮らしています。
結局、私はその家に5年も住みませんでした。
また今はそこから遠く離れたところに自分の家族と共に暮らしています。
本当に周りに生かされてきたなぁ、と実感します。
生活していると、今あるもの、身近なものへの感謝の気持ちを忘れてしまいがちです。
身近なもの、そして自分へ感謝する気持ちが大切だと気づいたことに感謝します。
自然の恩恵に感謝できるようになれて幸せです。
誰にでも幸せは訪れます。
過去100kgあっても今充実し、幸せに満ち溢れた毎日を過ごしています。
体型に自信がない自己嫌悪を抱えて生活しているこんな状況も思い続けていれば必ず幸せになれます。
思いは実現します。私の今までの経験が誰かの役に立てばという思いから、過去の体験を載せていきます。
直接話しをしたい方、気軽にご連絡ください
min.blg.0404@gmail.com
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