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うつ病持ちが「自分を大切にする」を突き詰める。序章

うつ病、不安障害、摂食障害。
今の私につけられた忌まわしき病名たちである。
こいつらが一旦身体にまとわりつけば、
ロクに食事はとれないし、人との会話や睡眠すらままならない。
電車での移動前には薬を服用しないと途中で動けなくなる。
用事が無ければベッドからも起き上がれず齢26にして床ずれが止まらない。
まぁなんとも文字にすれば情けない話である。
止まらないのはトキメキだけで十分なんだ。
それこそがいま最も壊死しているものなのだが。

何より現在対面している一番の問題はあまりに少ない給料。
休職して残業代が入らないとなればいよいよ財布が泣き始める。
余談だが、やむを得ず今の職に一時的に就いているものの、院卒が地方金融機関に勤めても全く給与上のメリットがないことだけはお伝えしておきたい。

寄り道で愚痴を含めて書いたが結局何が言いたいかと言えば、
休養の必要があるのに自分を丁寧に休養してやるための資金がないわけである。
何と悲しき現代社会。

私の場合は摂食障害を患っているので家に余分な食材を置いておいたり、大量の作り置きができない。
あまり文字にするのは目に美しい話では無いが、衝動に任せてあるもの全てを胃に詰め込み吐いてしまう病気である。
そのため食事はその都度買わねば手に入れられない。
つまり自炊より余計に金がかかる。
しかも私はスーパーなどの弁当を食べることが得意ではない。
由々しき事態なのである。
企業努力をしていただいているものの口に合わず、ただ安いだけの半額弁当を生かすために口に運ぶ生活は休養ではなくむしろ拷問に近い。

そんな生活を何ヶ月か送る中でふと欲求が湧いた。
「自分を大事にした」という証明が欲しい。

精神疾患に罹って気づいたが、この病気は基本的に自分を大切にすることが難しい。
それを日々しみじみと味わっている。
貯金は削れるし、体力もない。
入浴すら難しく、外に出かけることもままならないし、
人との交流は今まで以上に己の何かを消耗する。
生きることが精一杯で、自殺も何度か考えた、調べた。下見もした。
でもそれを実行に移す前に疲れ切ってしまう。
うつ病は回復期に自殺する人が多いと聞くが、確かに理解できる。
要は、体力がないので手軽に死ねる手段がないのならば、
回復期に至らないと死に至る前に下準備で疲れてしまう。

この生活をする中で「このままでは本当にいつか死ぬだろう」と感じた。
だったらその前に、自分が自分を大切にしてあげた証を私は私に手に入れてあげたい。

みなさんは最近いつ自分を大事にしただろうか?
私は最近いつ自分を大事にしたかを思い出す。
趣味にお金を使った時?欲しかった何かを勇気を出して買った時?
美味しいものを心から美味しい!と感動して食べた時?
一体それはいつだっただろうか。
そんなことすら思い出せずこのまま人生を終えていいのだろうか?

それはあまりにも癪ではないか。
他者に使い捨てられた人生で終わって良いのか?

鈍った頭で考える。
自分を大切にすることは一体何か。
このまま自分を大切にできず死ぬのは少々勿体無い。
しかし鈍った頭では、とにかく欲求が湧かないのである。
食べたい、買いたい、あれがしたい。
驚くほど思い浮かばない。
なんと悔しいことか。

そこで私はしばしのテーマとして、
「自分を大切にするとは何か」を置きたい。
そして、自分を大切にすることができたと感じる行動がとれたとき、
随時ここで続編として綴っていこうと思う。
仮にも研究者魂を捨てきっていない成れ果ての死に損ないである。
人生を本当の意味で捨て切る前に、探究してやろうではないか。

どうせ長い人生、そして療養期間。
新たな研究とも言い切れない己のテーマとしばしのんびり向き合っていこうじゃないか。


本件について、様々な方のご意見を賜れれば大変ありがたいため、
もしこの記事が目に留まって最後まで読んだいただいた方の中で、
ご自身に「自分を大切にする」ための行動が何かあればぜひご教授いただきたい。