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右膝をやってしまった。 経過観察40日目(手術後10日目)

そういえば退院してから実家にいるロビンは全く迎えてきてくれずに椅子の上で遊んでいた。
今までたくさんの犬を見てきたけど、ここまで無関心な犬には出会ったことがなくて最初は驚いたけど、それがナチュラルで良いし純粋無垢な感じがたまらなく愛おしくて結局のところ可愛い。
ロビンもいつかはいなくなってしまうが、もしそうなったらウチの両親が意気消沈してしまいそうで心配である。


では、今朝の右膝の写真から。

ある程度の動きは出てきた


まだまだですね。左膝に比べてくぼみの筋もまだまだ。しかし焦る必要はない。手術はこういうもんだと聞いている。
なんといってもまだ手術してから10日目。そんな早いこと腫れが引くわけない。昨日は都庁前でやっていたイベント「生活のたのしみ展」に行ってきたがかなりの大移動となって疲労感が半端ない。脇の下に松葉杖で擦れた痕が出来てしまっている。このイベントでの収穫は”松葉杖の時にイベントにはいかない方が良い”というのを痛感したことである。


譲ってくれたが、譲りたい

最寄りの駅から電車に乗って、特急で日暮里まで約10分くらいだろうか。
松葉杖で立っていると、目の前の女性がすぐに席を譲ってくれた。
怪我をしてから、優しい世界を目の当たりにすることが増えて感動しまくっている。
席を座って、正面向かいのドア前で赤ちゃんを重たそうに抱っこしている女性がいた。譲りたい。。。が、譲れない。せっかく席を譲ってもらった手前離れるわけにはいかないし、正直片足で10分立っていることはいくら手すりに捕まっていても厳しい。
なぜ他の人は譲らないのだろうか。もしかしたら一度譲った人がいてその女性が断った可能性もゼロではないが。
譲ってもらったが、その女性に席を譲ってあげたかった。情けない。


どうせ幸せになれない。という抵抗

オリエンタルラジオの中田敦彦氏(あっちゃんと呼ばせていただきます。)がYoutube大学というチャンネルで様々な講義をしている。あっちゃんと会ったことも話したこともないし、講義の内容が合ってるか合ってないかもわからないが、とにかく私にとっては”聞きやすい”ので講義をたまに見ている。
あっちゃんが”嫌われる勇気~アドラーの教え~”という本を紹介しながら、ギュッと短くした講義となっていたので入院中に拝見した。
もちろんあっちゃんの動画だけでなく他の心理学の動画も見ている。

(ちなみにこの「嫌われる勇気」だけを読めば幸せになれるっていうことではないのであしからず。)

どうせ私なんか幸せになれない。
と、思いながら過ごしている人はきっと世の中にたくさんいる。
どうせこんな世界で幸せになれない。と

幸福に生きるための考え方には3つの柱がある。
それだけ書いても面白くないので、左を3本柱、右に逆の言葉(想定の大衆意見)も付け加えてみよう。

①人は変われる ➡ そんな簡単に人は変われませんよ

②世界はシンプル ➡ そんなわけない、複雑だ

③誰もが幸福になれる ➡ 嘘をつくな。

こんな縮図になるかな。

「どうせ私はこんな世界で幸せになれない。」けど「生きている以上、幸せでありたい」

みんなこの狭間で生きているのではないだろうか。


①~③について

だが私もまだこの3つに関してはしっかり理解出来ていないので、自分にどんな抵抗があるのかを紐解いてみた。

まず①に関してだが、私も大人相手に監督やコーチを経験したから痛いほどわかるのだ。人はそんなに簡単には変われない。本人が変わろうとしない限り変われない。この問題を抱えながらのチーム作りは本当にストレスだったし疲弊しまくっていた。

②の世界はシンプルというのは、ここ最近で社会情勢などを少しづつ学んでいく上で理解できた。構造自体はたしかに複雑であるが、自分が考えるべきこと、やるべきことというのは至ってシンプルである。これは自分に対して理想ではなく、未来像をハッキリさせて目標に掲げてそれに向かっていくことで、世の中が徐々にシンプルに見えてきたという実感がある。

③については非常に難しい。すべての人が幸福になれるかどうか。これについてはまだ私自身で整理されていない。人間には様々な状況、環境下で生きている人たちがいるという事実があるのでまだハッキリと答えを出せないでいる。これから更に学んでいく上で整理して明確に答えられるようにしたい。


自分の潜在的な部分と貢献感

書くべきことは山ほどあるが、もっと紐解いて自分に溶け込ませて書いていきたいところである。
いまのところ、心理学を学んでいる身として、自分が幸せになるために重要だと思うことは二つ。

自分が潜在的に感じていることを把握する
貢献しているという体験をする

である。

例えば、アドラー心理学には禁止事項というのがいくつかあり、そのうちのひとつが「褒めないこと」である。これは正直驚いたが理由がある。

「褒める」という行為は、能力が上の者が下の者に使う行為であること。
人間は褒められると嬉しいが、潜在的に「あ、私はこの人より下の人間なんだ」と感じてしまう生き物である。というのがアドラーの考え方である。

現状、私にとってこれはまだ腑に落ちていないので全てを肯定はしない。
なぜなら褒められば素直に嬉しいし、正直「誰に褒められてるか」で全く違う気持ちになると思っているからである。なので、自分が潜在的にどう感じているか。というのを分析し続けていくことが大事でこれには時間を要していきたい。

貢献感については、文字通りだ。
自分がやった行為を周りから感謝されることは素直に嬉しい。
それが当たり前なことだと思ってやった行為でも、潜在的にまず嬉しいという感情は芽生えているのだろう。それが幸福感に繋がっているというのはだいぶ理解できた。

自分にとって何が幸せなのか。

これを人生に指針にすることによって、人間はだいぶ変わっていく気がしている。
これ、口癖になりそうだな。


ひとつよしなに。


株式会社美好所属
市川SC所属 27番

みのってぃ。


みのってぃ。





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