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毎日すごい人たちに会いすぎて、生きるのがしんどくなってきた

電気代が高すぎる。

この冬の光熱費がえげつないことになっているのを確認。しかし嘆いたところでどうしようもないので諦めて、思考から完全に削除します。

いやな気持ちを引きずりたくないので、電力会社を変えるべきか? なんて考えずに、無心でお金を払って忘れます。長期的な計画を立てず、いまこの瞬間の感情を優先する。こういう生き方があまりよろしくないことには、薄々気づいています。

電気代だけじゃありません。家賃も食費も高いし、たまには新しい服やコスメもほしい。息をしているだけでお金がかかる街こと東京。税金も社会保障費も上がっているし、そのうえ私たちの世代なんて、年金がもらえるかどうかすらわかりません。とりあえず2000万円貯めればいいん…です…か?

やってられません。絶望です。

社会はあきらかにおかしいと思うけれど、どうにかする方法もわからない。だから「とりあえずちゃんと仕事して稼げていれば、自分と家族ぐらいは幸せでいられるはず……」と、お茶を濁しながら生きています。我ながら思考停止です。

私は福岡県出身、都内在住、小さなベンチャー企業で編集ライターをやっている24歳です。

仕事は好きですし、お給料も十分すぎるほど頂いています。少ないけれど友達もいて、離れているけど家族もいる。パートナーとの関係も良好です。

いまの生活に不満はないんです。とても恵まれていて、文句なんか言ったらバチが当たる。

でも、たまに、どうしようもなく、生きるのが面倒くさくなるときがあるのです。

毎日会うすごい人たち、中途半端な自分

編集の仕事をしていると、毎日のようにすごい人たちにお会いします。

私の場合はビジネス系の記事を書くことが多いので、取材させていただく人のほとんどが、企業の社長さんです。

取材は一回で終わりではなく、半年から1年以上お付き合いして、かなりパーソナルなお話も伺います。

最初のうちは「すごいなー、仕事ができて、頭がよくてロジカルで、自分とは別世界の人だなー」なんて思うのですが、深くお話すると意外と不完全で、人間らしい部分が見えてくる。

その人ならではの思考のクセとか、信念。「核」みたいなものがわかってくるんです。

そしてそれは、決してロジカルなものではない。「合理的に考えたらそうはならんやろ!!」と思うことがほとんどです。

取材相手のそういう部分に、私はものすごく惹かれます。

と、同時に「この世界に、絶対的に正しいものなんてないんだな」って思うんです。

すごい人たちはみんな「正解を選ぶんじゃなくて、選んだ道を正解にするんです」と言います。実際、本当にそうしているんですよね。

もちろん、経営の基礎知識やプログラミングのスキルみたいに、正解が決まっていることもあります。

でも「どう生きるか?」「何に人生をかけるか?」みたいなことに、正解なんてない。ロジックなんてない。

ただひとつ言えるのは、選んだ道を正解にするだけの「熱」をもちつづけられた人が、人生を輝かしいものにできるのだということです。

すごい人たちは、みんながみんな、生まれながらにして天才というわけじゃなかった。周りの人と比べて、特別に能力が高いわけでもなかった。

ただ、熱をもって生きているかどうか。

それに気づいてしまったことは、わたしにとって希望であり、同時に絶望でもありました。

だって、言い訳ができなくなったんです。人生がつまらないのは自分のせいなのだと、心から理解してしまった。

誰かが「いい」と言うものをよしとして、誰かに求められることをやる。そういう「要領のいい」生き方は、とてもラクなんです。そうしていれば仕事に困ることはない。嫌われない。ひとまず食べていける。

でも、たぶん気づかないうちに、自分の核がすり減っていくんですよね。

私は、いろんなすごい人の核を知ったことで、自分の核の「すり減り」を自覚してしまった。

自分が、生まれた頃よりも不自由でつまらない人間になっていることに、気づいてしまったんです。

推すだけの人生でいいのか

自分にがっかりしてしまった人は、この先どうやって生きていけばいいのでしょうか。

私は高校生のころ、バンドやアイドルが好きでした。andymoriやチャットモンチー、SHISHAMOの宮崎朝子ちゃんや、でんぱ組.incの夢眠ねむちゃん。

いまでももちろん好きですが、気づけば好きだったバンドの多くが解散し、アイドルは引退して、私は当時の彼ら彼女らの年齢に、少しずつ近づいてきています。

このままがっかりが限界突破して、自分で自分を諦めてしまうこともできるのだと思います。でも、そうなったら私はたぶん、若い世代とか、それこそ自分の子どもに、果たせなかった期待を押しつけてしまいそうな気がするんです。

誰かを推すことで希望をもらうたび、自分のしょうもなさにふと気づいてはがっかりして、目を逸らすようになってしまう。それは嫌だ、と思います。

やっぱり今度は、自分が輝かないといけない。強くなって、かつて憧れた人たちのように輝くことで、今度は自分が、誰かにとっての希望になりたい。

いまの仕事を続ける理由

最近、会社でインターンの大学生を募集しました。それで入ってくれた1人が「ある記事を読んで、この会社に入りたいって思ったんです」と言ってくれて。それが、私が編集した記事だったんです。

ちょっとしたことかもしれないけど、すごくうれしくて。

自分が生み出したものによって、誰かの行動が変わることがある。もちろんすごいのは私じゃなくて、その記事の経営者さんのコンテンツ力なのですが。それでも、媒介者になれたことがうれしかった。

私は正直、ビジネスにはそんなに興味をもってきませんでした。出世したいとも、お金持ちになりたいとも思いません。

でも、経営者さんの記事を書く仕事は、これからも続けていたいなと思っています。

どうしたってある程度は稼いでいかなきゃ生きていけないこの社会で、核をすり減らさずに働いている経営者さんたちは、大人になった私にとって、第二のアイドルみたいだなと思うんですよね。

その輝きを届ける媒介者になれたら、すこしは自分にがっかりしなくなるかもしれない。

自分自身はこのとおりのダメダメ人間で、この先すごい人たちみたいになれるかもわかりません。でも、わからないから取材ができるし、自信がないから編集ができるんだと思います。

こんなクソ暗い文章を公開したのは、自分とおなじような暗さを抱える人に「私もだよ〜」って伝えたかったから。もし1人にでも届いたら、それはこのnoteが大スベリして大恥かくことを上回る喜びだ、と思ったからです。

さすがにクライアントさんの記事で大スベリするわけにはいかないし、そこで自己表現する気はまったくありません。

でも、この先のお仕事のアウトプットにも、そういう「ひとさじの祈り」みたいなものは込めていたい。

それが、どこかの誰かにとってちょっとでも希望になってくれたら、私も生きていく希望がもてる気がするんです。

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