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悟りを教える、悟りの伝授【第1回】

悟り、って知ってますか?





単に、気がついた、分かった、という意味で『悟った』という言葉を使うことも無くはないが。
仏教の開祖ゴーダマ・シッダルタが
『悟りを開いて仏陀になった』
というときの『悟り』とは、
やはり言語を絶する特別なナニカであり、基本的にはそれを言葉によって伝達することは不可能であるとされる。




現代科学の手による分析では、
実際に、悟りを開いた者の
脳波を測定すると、
そうでない人の標準値とは
大幅に異なる測定結果が出るし、
脳波以外にも明白な身体的変化が訪れる。
呼吸が深くなる、
まばたきをほとんどしなくなる、
脳内の思考が止まる、などなど。




また、
インド哲学ないしはインド的な宗教の世界観によれば、悟りを開いた者は、その後は二度と輪廻転生しなくなるのだそうだが。



(※唯物論全盛の近代以降の日本では、輪廻転生など存在しないとされているが、インド的常識によれば、輪廻転生を免れられるのは悟りを開いた者だけで、そうでなければ望まなくとも強制的に輪廻させられることになっています)



わたし自身の実感としても、
脳内の思考が止まってしまえば、
現実世界での出来事を『現実である』とは思わなくなるので、
あとはひたすらその状態にいるだけで、

(思考は現実化するのだから)
(この世は現実である、という思考を持たなくなってしまえば)

やがてこの世から解放されることになるでしょうね。




つまり、
身体構造においても、
死後の境遇においても、
『悟りを開いた者』は
そうでない者とは、
まったく別の存在になる。






♡♡






♡♡





では、
『悟りを開く』には
どうすればよいのか。




一般論的には
厳しい修行を積むことで
『もしかしたら、いずれは』
悟りを開くことができるかもしれない。






そんなふうに考えられていて、、、、






坐禅、瞑想、ヨガなどの体系は、
いまではすっかり忘れ去られてしまったが、本来は、修行者が悟りを開くためのものだ。




そのような体系が
歴史のなかで風化することなく
現代まで生き残って来れたのは、
人知れず、悟りを切望する者たちが、
みずからも修行に打ち込みながら、
後代の者たちに教えを伝承してきたからにほかならない。




とはいえ、
どれほど修行に打ち込んだところで、
それで実際に
悟りを開くことができるかどうかは
神のみぞ知るというやつで。





むしろ、
人生のすべてを修行に捧げて、
一生かけても何の報償も得られなかった者も多くいるから、
その点では、
悟り、などという馬鹿げたものに魅せられてしまったせいで、人生を棒に振った修行者多数。




修行、とか悟り、だとか聞くと、
なんとも厳しい世界に感じられるものだろうが。
ほんとうは、
オカルトやスピリチュアルだって同じようなものであり。見た目、オカルト&スピリチュアルには、衒学的知識による装飾が施されているから、一見華やかそうに見えるだけで。
ほんとうのほんとうは、
オカルト&スピリチュアルだって、
坐禅や瞑想やヨガ等と同じく、
修行しても修行しても
悟りを得られるとはかぎらない
死屍累々の道であり。

まぁぶっちゃけ、
東大入試よりも司法試験よりも
はるかに厳しい。




なぜって、
東大入試だろうと司法試験だろうと
それがこの世の産物である以上は
一定数の合格者が
かならず出現するようにできている
のに対して、
『悟り』は人間界とは関係ないので
人間界の都合で、
『合格者数をあらかじめ定めておく』
ことなど不可能だからだ。




そういうわけなので。
人間界、世俗の愉しみ事にまだ興味があるうちは、世俗の愉しみに没頭しなさい。悟りを求めるのは、人間界に完全に飽きてからでも遅くはない。
という教えも存在していて。
有名どころでは
インドのオショーラジニーシもそんな考えですね。



(※余談ですが、悟りとは何であるかを実感的に知りたいのなら、オショーラジニーシの講話録を読むことをおすすめします。日本語訳が大量に出回っていて、訳語も概ね適切です。文中には光明、覚醒、エンライトメント等の単語が出てきますが、いずれも悟りと同義です)
(※オショーラジニーシじゃなくoshoで検索したほうがたぶん適切です)




でもね?
人間がどれほど努力して修行しても
『悟りを得られるとはかぎらない』。




それにもかかわらず、
『悟りを他人から与えてもらう』ことは
じつは可能であり。






じつはわたしもそんなふうにして
悟りを開いたのです。







日本では
『悟り』という現象じたいが
ほとんど知られていないから、
『あなたに悟りを与えます!』
なんていうビジネスが存在しうるなんて、
まるで想像もつかないだろうけど。




また、
スピリチュアル界隈のビジネスといえば、そのほとんどが中身のないニセモノばかりですから。

よもや、
講師から
『悟りを伝授してもらうだけで』
実際に悟りを開いてしまうなど、
胡散臭いにも程がある。

そのように考えるのが妥当ではあるのだけれど。




なにせ、
悟りというのは、
気分の問題ではなく、
物理的・身体的に、脳波や呼吸まで変えてしまうものですからね!!!!




そんな“驚愕の変化”を
他人から“伝授してもらう”だと??!?




そんな馬鹿げたことが、
ほんとうに起こりうるものなのか??!?






♡♡








♡♡





しかし、
どういう因果の巡り合わせか、




実際にその方法で
あたしは悟りを開いてしまいまして。







そうして、
約4年間の“潜伏期間”を経て
こんどはあたしが
あなた(たち)に悟りを伝授する
ことになるのだそうです!





♡♡






♡♡





スピリチュアル界隈はニセモノだらけ、
という現実にも
“良い部分”はじつはあって。




『悟りを伝授する』
などと言って講座を開いたところで
大半の参加者には何も起こらないのだが
それでいちいち
詐欺だ!金返せー!!!
とか騒ぐ人がいないおかげで、
そうした講座を継続させることができ。




すると、
ごくまれに、
あたしのように
『ほんとうに悟ってしまう人』が
現れる。




そうして、、、、




ほんとうに悟ってしまう人は
ほんとうに稀だからこそ、
参加マニュアル等には
まったく記載されていないのだが。




厳しい修行の末に、ではなく
『他人から与えられて』
悟りを開いた場合、




その“代償”は
悟りの完成後に
みずからも他者への伝授を
行うこと、だそうです。




そんな“契約”、
したおぼえはないんだけどな??
と、思いつつ。




言葉には依らない、
その“悟りの伝授”の方法論を、
そういえば、あたしも修得済みだ。




え?
いや、ほんとうに。





効果のほどは保証できないですが、
その気になれば、
いまこの場ですぐに、さっそく、
悟りを“伝授”できます!!!

(※ただし対面限定です)




“伝授”を受けてみたいですか??
あなたも“悟りを開いて”みたいですか??





脳内の思考が止まれば、
控えめに言っても、
思考のネガティブループが止まるので、
『眠れない夜』というのは
無くなります。

それだけでも絶大な恩恵だと思うのですが。



難点は、
そもそもの“悟りの伝授”が
うまくいくかどうか分からないことと、



もうひとつ、
“伝授”の儀式を受けた日の夜は、
もしかしたら、
ひどい悪夢を見るかもしれません、、、、
(※もしそうなったら教えてください)





【つづく】





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→→→こういうことを長々と書いているのは、わたしがビジネス慣れしておらず、何もかも手探りだからです。思い立ったらすぐに講座を開催できるような立場ではないので。
しかし同時に、“悟りを伝授する能力”を使って巨万の富を築きたいとも思っていないので、現代のビジネス慣れした“スピリチュアルマスター”の先生方よりかは、はるかに安価で良心的な運営方針になると思います。
宣伝広告を一切せず、このアカウントの読者と、そこから派生した口コミの人以外には、あたしの存在そのもの、知られなくていい。最低でもほんの数人の人たちに“悟りを伝授”できれば、役割は果たしたことになるでしょうから。
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