地動説=ビッグバン説=唯物論がわたしたちにもたらした世界観〜フラットアースの意味〜

フラットアース理論というのを知って
まだ2日目なんですけど。


わたしが最近熱心に教えを説いている
『唯物論世界からの脱出』
というテーマに、
フラットアースはぴったり一致している。


フラットアース理論とは
ものすごく単純に言って、
『地球は丸くない(球体ではない)』
『地球は平面である』
と主張している理論であり、
その論拠となるものは
じつに平易なものが多い。



地球は自転して公転しているというけれど、
アナタ、
それを、
実感できますか??
とか。

ごくふつうの人間の
ごくふつうの素朴な実感として
地平線は平らだし
水平線も平らですよね
遠くにある恒星の光が
『何億光年もの』宇宙空間を航行してきて、今やっと人間の目に届いた、と考えるより、
『そこに星があるのが見える』から
『星はそこにある』と考えたほうが
はるかにわかりやすいですよね!?
とか。



とはいえ、
こうした『素朴な実感』に根拠を置くことは、今の時代では『馬鹿だと思われてしまう』所作だから。
ここでは、
はっきりと
『動かぬ証拠』と呼びうるものを
ひとつだけ挙げてみたい。



オーストラリアは南半球にあり
ブラジルのリオデジャネイロも南半球にある。


ここで、
オーストラリアのシドニーから
ブラジルのリオデジャネイロへ飛ぶ
航空機の航路について考えてみる。



どこからどう考えても、
『南半球の』オーストラリア・シドニーから
『南半球の』ブラジル・リオデジャネイロへの航行なら、
『南半球のなか』
だけで完結するはずだ。


単純に言って、
赤道をまたぐことなく
南半球内を東西に移動するだけのように思える。


地球儀を思い浮かべれば
すぐに分かるでしょう。
『南半球の』シドニーから
『南半球の』リオデジャネイロへの移動に、
赤道をまたぐ必要や、
北半球を経由する必要などは全くない。


こんなに分かりやすい話なのに、

だれがどうやったら、

『まちがえる』のだろう??













ところがね。
実際の航路は、
なんと北米のロサンゼルス経由なのですよ。
なぜ、
南半球から南半球へと直行しないのか??


この疑問に対する、
もっとも矛盾のない答えは、
シドニーからリオデジャネイロまで
『直行する』ことにすると、

じつは、
だいたい直線上にロサンゼルスがある、
というもので。
ようするに
『地球は球体である』
という基本前提じたいが誤りだったのです。




ほんとうは
地球は球体ではなく平面であり、
平面体としての地球の姿は、
おおむね、
北極点を中心とし、
同心円状に緯度、
放射状に経度を持つ
ほぼ円形の存在。


すると、
中心点である北極点から見て、
シドニーは『あっち(東経)の端』で
リオデジャネイロは『こっち(西経)の端』、
ということになるから、
中心地に近いロサンゼルスを経由するのは、じゅうぶん妥当、という答えになります。


いかがでしょうか?


南半球を東西に横切る航路だと、

円形の平面でできた地球の

『外周をまわる』

形になってしまい、

距離的にはだいぶ大回りになるのですよね。

地球儀ではなく、

平面地球の地図ではそうなります。

そして、

国際線の航空機の航路は、

地球儀ではなく、

平面地球の地図に則って定められております。









でね。

ここで考えてみてほしいのだ。
地球は球体ではない、
ということになった時点で。
つまり
『地球は丸い』という基本理念が放棄された時点で、
なんと、
『地球は惑星である』
という基本常識もいっしょに放棄される。


もっとはっきり言ってしまえば、
①まず宇宙というものがあって
②これは137億年まえにできた
③この現象をビッグバンと呼ぶ
④ビッグバン以後の宇宙では星が次々と誕生し、
⑤わたしたちの住む地球という星もそのひとつ。
⑥地球は46億年まえにできた


こうした話ぜんぶが、
ただのフィクションだったことに
なるのです。








真偽をめぐる諍いは、
たいてい不毛なものになるから。

真偽の検証については、

最低限の証拠を提示できた時点で終わりにして。


わたしとしては、
別の角度から両者を対比してみたい。





ここでいう両者とは
『地球は丸い(球体である)』
という説と、
『地球は平らである』
という説との対比、
ということになるのだが。


よくよく考えてみると、
どちらもそれ単独では存在せず、
背後に別の世界観も伴っていることがわかる。



『地球は丸い』という見方には
当然のように『地動説』が伴うだけではなく、
『地球もひとつの星(惑星)である』
ひいては、
『宇宙はビッグバンによって誕生した』
という説まで背後に含んでいることがわかる。
それだけではなく、
『宇宙は137億年まえにビッグバンという現象によって出現した』
という説明には、
宇宙そのものの意図、存在意義。という部分が完全に無視されていて、ようするにビッグバン理論の背後には唯物論がある。




唯物論=すべては物質であり、物質以外には何も存在しない、とする世界観。
ビッグバン理論=ただの物質でしかない宇宙がある時突然出現した、それは今から137億年まえのことである、とする理論。
地球は惑星である=ビッグバン以後の宇宙では『偶然にも』星がたくさん生成されて、地球もそのひとつである
地動説=ひとつの星(惑星)にすぎない地球は太陽系に所属し、太陽のまわりを公転しつつ、地球自身も自転している。


こんなふうに、
唯物論=ビッグバン理論=地球は惑星である=地動説=地球は丸い(球体である)

という、最低でも
5つの理論が連携されて、
ひとつの世界観を作り出しており。


もしも、
学校教育や政府機関が正しいとするのならば、
わたしたちは、
このような世界観に
『飼い慣らされている』
のだと言える。
これらの理論の致命的な欠点は、
『なぜこの世は存在するのか』
『なぜ人間は存在するのか』
という疑問に答えていないことで、
それについて本気で考察すればするほど、
『ようするに人間とは無意味で無価値な存在である』
という答えに導くことを目的として造られた理論なのだ、という答えになるしかありません。
『宇宙は偶然の産物であり』
『あなたも偶然の産物です!』





でね。
フラットアース理論を信じることにすると、
突如として、
それとは別の世界観が始まってしまうことに気づきます。
①地球は平らである
②天動説の復活、太陽と月は地球のまわりを回っている!
③地球は惑星ではない、地球は地球というひとつの世界であり、太陽と月と夜空の星々を従えて、地上には海があり大地があり森があり、たくさんの生き物がいる。
④地の果ては謎である、地球が球体だったからこそ、地球のサイズは測定できた。じつは平面だったとすると、地の果てを見た者はまだいない。すなわち地球は『大きさの無限性を取り戻した』
⑤宇宙についてもじつは何も分かっていないことに気づく。地球は星ではなく、文字どおり『大地』であり『地面』だったのだ。とすると星というものにわたしたちは触れたことはなく、であれば星について何も知らない
⑥すると当然の疑問として、誰がこのようなものを創ったのだ??→→→創造主の復活。『誰が』の答えは出なくとも、この地上と天の星々を創り出した『だれか』はかならずいるはずだ!



たったひとつの理論に押し込むのをやめれば、この世界は不思議に満ちている。



『唯物論』という枠組みのなかに押し込むことで宇宙の生誕すらも、ただの偶然(=ビッグバン理論)ということになり、わたしたちの住まうこの大地はただの惑星(=地動説)、わたしたちという存在そのもの無意味で無価値(=たとえば利己的な遺伝子の理論)。



『唯物論』って、
ようするに、
悪魔の思想なんじゃないの??



『唯物論的世界観』が普及することで
わたしたちは『神を失った』のだ。



地球は平らで、
無限の広さを持っている。
それどころか、
太陽や月や星々も、
『地球のために』与えられている。



このような世界観の下にいれば、
自ずと生じるはずの
創造主への畏敬の念を、
唯物論は消し去った。





フラットアース理論は正しいか。
という質問への答えは、
『客観的には』
水掛け論の応酬になる。
『主観的には』
信じるか信じないかは、
あなた自身が自分で決めること。



しかし、
別の角度から見れば、
従来の『地球は丸い』という理論を
これまでどおりに信じ続けるのなら、
これまでどおりに唯物論に支配され。
フラットアース理論を信じるならば、
創造主への畏敬の念が戻る。



世界各地の土着の宗教には、
かならず世界創造の物語があるのも、
故なきことではないのだ!



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#唯物論世界からの脱出
#フラットアース

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