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エーテル体を強化しすぎた板谷ミミィによるエーテル体入門、その1

いわゆる『見えない世界』といえば、
通常はアストラル界のことを指し
霊体を強化する、とか、
幽体離脱して異世界に旅立つとかも
ようするにアストラル体に関するもの



というか、そもそもの、
『肉体とは魂の乗り物である』
という話、
すなわち、
『肉体は乗り物にすぎず』
『人間の本質は魂である』
というときの魂とは、
アストラル体のことだから、



物質としての肉体と
非物質存在としての魂=アストラル体だけで
オカルト&スピリチュアル世界の大部分は網羅できてしまい、

エーテル体というのは、

たいていは話題にもならない。




ようするに、
霊肉二元論、
という考え方をするなら、
霊としてのアストラル体と
肉すなわち肉体だけで
話は完結してしまい、




その中間にある
エーテル体は
存在を無視される。




じっさい、
オカルト修行の各種体系の具体的内容は、
アストラル体の育成だけを扱っていて、
エーテル体の育成について触れているものなどほとんど無い。




それが実態。




なのにね、
どういうわけか、
あたしはひたすらエーテル体の育成に力を注いできたので。





ほかのオカルティストたちが
軒並み“アストラル人間”なのに対して、
あたしひとり“エーテル人間”なのです。




そういうわけで、
ほかのオカルティストには
ほとんど有り得ないような特徴が
あたしにはあります。




なぜって、
あたしは
『ほかの人々とは隔絶して』
エーテル体が大きいからです。




♡♡







♡♡




では、



エーテル体とは何なのか?






肉体<エーテル体<アストラル体<メンタル体




という序列は聞いたことがある人も多いでしょう??






でも、
これだと、
1円<五円<10円<50円
というのと、
あまり変わりませんからね!




肉体→エーテル体→アストラル体
という序列だけ見て、
すべてを理解できる人など
いないでしょう。




そこで
エーテル体とは何か、
わたしが一から説明します。




さっきの
霊肉二元論の説明、
『肉体は乗り物にすぎず』
『人間の本質は魂である』
という話に、
エーテル体を挿し込むとしますね。




では、
『肉体は乗り物』とは
具体的には、
どんな意味ですか??




ここで、
『乗り物』と聞いたら
たいていの人は、
自動車を想像するんじゃ
ないですかね??
(飛行機の人もいるかな?)




『魂という人間の本性が』
『肉体という【自動車のような】乗り物を操縦して』
人生を生きている。




まさしく、
この考え方は、
『エーテル体を無視するもの』
です。




ではここに、
エーテル体を介在させると、
どうなるか??




(肉体という)
『乗り物』とは
象のような虎のような馬のような
『動物であり』
象の、虎の、馬の、
『背に乗っている』だけの人間(=魂)は、
『これらの動物と意思の疎通をできないと』
物質世界の肉体を操縦できません!




そうです!
『ただのメカだと思っていた』肉体が
じつは
『生きた動物であることに』
気がついたなら、
それがエーテル体です!




もちろん、
物事の正確さを期すなら、
エーテル体と肉体は
れっきとした別の存在ですよ?





でもね、

魂=アストラル体が
肉体=乗り物を
操縦する、

というだけの『一方的な』
アストラル体→肉体
という観点に対して、




肉体=乗り物は
『機械装置ではなく』動物であり、
動物それ自身の意識があり意思がある。



という新たな視点を加えることで、
アストラル体→肉体
(※魂が乗り物を操縦)
とは別の
エーテル体→肉体
(※肉体という動物は生き物であり独自の意識を持っている)
という新たな回路も、
認識できるようになり、



魂=アストラルが
肉体=乗り物に乗って
一方的に自分勝手に操縦するだけ、
という状態が終わります。




分かりやすく言えば、
魂=アストラル体は

『ようし!週7日:16時間働くぞ!!』

と決意することができるし、
肉体=乗り物は、
もしかしたら従順かもしれませんが、

それは
エーテル体=動物に対する虐待です!
ということですね。




人間の肉体は、
『メカではなく生きた動物なんだ!』
と気づくことが
エーテル体に気づく最初の一歩。




アストラル体=魂としての自分が
『エーテル体の存在に気づいた』時点で
『肉体は動物だったんだ!』
という気づきがもたらされますが、



さらに理解が進むと
『エーテル体としての自分』すなわち、
『動物としての自分』を
受け入れられるようになります。
(※『肉体は動物』から『わたしは動物』へ)



そしてね、
ここでいう『動物』とは
自然界のことを指していて、




魂=アストラル体と
肉体=乗り物だけの
二者関係においては
どうしても
『人工的な』世界観になってしまい、




そこにエーテル体=動物が加わることで、
やっと自然界に目が向くことになるのですが




『この身体はただの哺乳動物』
ひいては
『わたし(の一部)はただの哺乳動物』
ということが受け入れられると、




さらに話が進んで
『え?』
『これって植物じゃん─────??!?』




人間の肉体は
『魂のための乗り物』として
魂=アストラル体が
一方的に勝手に操縦しているかぎりは
ただのメカなのですが、
(※たしかに複雑なメカニズムを持ったメカではあるけれど)




(魂が肉体を)
一方的に操縦するのをやめて、
肉体それそのものを観察すると、
それは一匹の哺乳動物であり、




さらにさらに、
肉体=哺乳動物とは何者であるかを
よくよく観察していると、
一面では四肢を伴った動物であり、
もう片方、
その裏側には、
植物としての側面があることに
理解が及びます。



人間の体内には五臓六腑があり、また、
呼吸器系、消化器系、循環器系が
存在しますが、
これらは移動の自由を与えられておらず、
肉体(体内)という大地に植えられた植物のようであります。




肉体=乗り物を
『外側から操る』のが
魂=アストラル体。




それに対して、
肉体=動物を
『内側から生かしている』のが
生命力=エーテル体。



『内側から生かしている』
ということについて思いを馳せるとき、
どうしても
身体の内側にあるもの、
すなわち
五臓六腑や
呼吸器系、
消化器系、
循環器系
などなどについて考えざるを得なくなり、
どうしてこれらの存在が、
いちいち『魂=アストラル体が』操縦しなくても、自動的に稼動しているのか、
とても不思議に思えてくるでしょう?





それらをつつがなく稼動させているのが、
エーテル体であり、
エーテルエネルギーなのですが。




アストラル体=魂が
自由意思を持ち、
行動において選択肢を持っているのに対し、





エーテル体=生命エネルギーは、
選択肢を持たないワンパターンな存在です。




五臓六腑にも、
消化器系にも
呼吸器系にも
循環器系にも
『あらかじめ定められた』
そのとおりの動きをさせることしか、
できません。




しかしそれらは、
休むことなく永遠に続けられます。




川の流れのように。





♡♡





♡♡





人間なるものについて。



魂=アストラル体が
肉体=乗り物(というメカ)を操縦している、
という構図に対しては、


『エーテル体とは動物としての側面』






魂=アストラル体から見て、
肉体とは一匹の哺乳動物であり、
だから交尾して繁殖する、
という視点を持つなら、



『エーテル体は植物としての側面』





こんなふうにして。
エーテル体としての自分自身を知ると、
動物としての自分、
植物としての自分を
知ることになり、、、、




自分自身が
地球上の一匹の動物、ひいては、
地球上のひとつの生命であることを
『身体で理解できるようになると』
すくなくとも
孤独感は感じなくなります。




いまのわたしは
『人語を介して他者と会話する』ことに
苦痛を感じるようになってしまっており。
それというのも、
じゅうぶんに発達したエーテル体が、
『ほかのエーテル体と』
(つまり地球上のほかの生命と)
常にコミュニケーションしていて、
それでじゅうぶん満足しているからです。




言葉というのは誤解も多く、
それどころか、発声して会話する場合は、
単語レベルでの聞き間違いさえあります。




人間という存在は、
そんな粗雑な方法によってしか
他者とコミュニケーションできないのなら
それは孤独にも陥るでしょうけど。




それというのも、
魂=アストラル体が
肉体=メカを操縦する、
という構図に慣れきってしまっており、
そこには『生命』という要素が無いのです。




ただのメカ(の操縦者)として生きるのをやめ
『自分が生命体であることに目覚めれば』
孤独感からも解放されます。
地球は生命に満ち溢れていますからね!




エーテル体を活性化させる、
すなわち、エーテル体としての自分自身に気づくことの、
主たる効用のひとつ
(というより副産物かもしれませんが)
は、
孤独感からの解放です。



魂=アストラル体が
肉体=乗り物と一体化しており、
そこに『生命が介在する余地が無くなった』
(※正確には生命を実感できなくなった)
ときに、人間は孤独を感じます。




生命としての自分自身に目覚めたとき、
わたしは一個の個体であると同時に、
地球には(ひいては宇宙には)
たったひとつの生命しかないことも
知ります。






そうです!
いわゆる、すべてはひとつである、
ワンネスというのは
理論ではなくて
エーテル体としての実感なのですね。






すこし邪険な言い方をすると、
魂というのは常に孤独です(笑)






ワンネスというのは
魂=アストラル体ではなく
生命=エーテル体において
実感するものなのです。





このシリーズ、
読み手が付けば連載にします。



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#エーテル体とアストラル体

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