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京都国立博物館で、曜変天目茶碗をコンプリートしてきた話

世界に曜変天目茶碗は3つある。その3つが全て日本にある。ということを知ったのは、大学1年生の夏に稚内のユースホステルでアルバイトをした時だった。
受付の待ち時間に、なぜかそこにあった大判の本を手に取った。ページをめくっていくと、見開きで宇宙があった。いや、宇宙ではなく曜変天目茶碗だ。視界いっぱいに飛び込んできたそれに、なんだこれは、と衝撃を受けた。なんだなんだ、世の中にはこんな美しいものがあるのか、と興奮さえ覚えた。実物を見たい、絶対に見たい。見ないわけにはいかない。

曜変天目茶碗は、東京、大阪、京都にある。東京にある稲葉天目は、実はそれほどレアではない。所蔵している静嘉堂文庫が、おおよそ1〜2年に1回は展示したり貸し出してくれる。それを待っていればいい。そう言えるのは私が東京在住だからという事情はあるだろうが、いずれにせよ「何度でも見たいものを何度も見ることができる」という喜びを噛み締められるのだ。展示されるたびに、というほどではないにせよ、繰り返し見に行くことができた。

一方、他の2つについてはほぼ諦めていた。それだけのために行ける距離ではないし、稲葉天目で満足していたということもある。まぁどうせならいつかは全部見てみたいな、と人生のウィッシュリストに載せておくくらいの気持ちでいた。

それが大きく転換したのは2015年だった。信じがたいことに、大阪の藤田美術館が東京に来るというのだ。曜変天目茶碗を引き連れて。この年の夏、サントリー美術館で藤田美術館の収蔵品を展示するという企画展が催された。千載一遇とはこういう時に使うのだと思う。まさかこんなことが起きるなんて。
大阪からはるばるやって来た藤田天目は、稲葉天目に比べると一瞬地味に感じる。斑紋が小さく、全体的に青みが強い。斑紋と地のコントラストがそれほどくっきりしていないため、より一層「宇宙」を思わせる。美しかった。どちらにもそれぞれの良さがある。

こうなると最後の1つも見てみたくなるのが人情というものだ。しかし、それはこれまでの2つとは段違いの難易度らしい。京都のお寺が大事に持っていて、ほとんど外に出ないという。見たいな、と思い続けていたところ、2019年春にやっと滋賀のMIHO MUSEUMで特別展が開催されることになった。しかし滋賀、日帰りはできないし、子供を置いて泊まりに行くのも難しい。涙を飲んで諦めた。

そして今年の秋。京都国立博物館で、その大徳寺龍光院所蔵の曜変天目茶碗が展示されるというニュースが飛び込んできた。京都なら、頑張れば日帰りできないこともない。これを逃したら次はいつ出てくるかわからない、2週間ほどの展示期間内になんとか行くことはできないだろうか。家族に相談し、最終的に金曜夜の新幹線で東京を経ち、京都に一泊して土曜の朝一番で展覧会を見て夕方に東京へ戻る、というプランで見に行けることになった。

ところでこの展覧会、『京に生きる文化 茶の湯』というタイトルで「京都ゆかりの茶の湯の名品が勢ぞろい」と謳われている。だから龍光院の曜変天目の他にも国宝てんこ盛りの展示ではあるのだが、展覧会のメインビジュアルやパンフレットの表紙はおろか、ミュージアムショップのグッズにさえも曜変天目茶碗は出てこない。これが東京なら「数年ぶりの公開!幻の曜変天目!」などと全面に押し出してめちゃくちゃに売るんじゃないかな、と思ったりした。土地柄というやつなのだろうか。

さて展覧会初日の朝8時15分。9時の開館前に並ぶ気満々で京都国立博物館に来てみると、すでに30〜40人ほどの列が。驚いている間にも私の後ろに列はどんどん伸びていく。ええ…これどれだけ混むの…と恐れ慄いていたが、意外にも展示室内はそれほど混雑せず、ゆっくり過ごすことができた。
入館したらまず、真っ先に曜変天目を見に行った。ほとんどの人は最初から展示順に見ていくので、まだ曜変天目のところまで来ている人はいない。ほの暗い展示室で、自分と曜変天目茶碗が1対1で対峙する。これまで見た2つよりも斑紋が小さく目立たない。かすかな光を覗き込むような、深い空間がそこにある。とても静かで神秘的だった。これが最後の1つだ、ついに見ることができた、という妙な高揚感や、貴重なものを目の当たりにしているという喜び、そして目の前にあるものの美しさ、そういったものが一気に押し寄せて心が震えた。

これで、18歳の夏に知って以来、25年かけて全ての曜変天目茶碗を見ることができた、ということになる。いつかは、と思ってはいたけど、意外と早く実現した。やはり藤田天目を東京で見たことが転機だったと思う。それがなければ「最後の1つも見る」とマインドセットして行動することもなかったかもしれない。

3つ見てみて、静嘉堂文庫の稲葉天目はとにかく鮮やか。超新星爆発のよう。藤田美術館の藤田天目は、まさに宇宙。流れ星や天の川のような煌めき。大徳寺龍光院は、いくぶんひそやかで、滲み出してくるような輝き。それぞれの美しさがあり、たぶん私の状態によって一番響くものが違ってくるのだろうという気はする。

2022年はこの曜変天目茶碗コンプリート、そして富士山登頂&御来光、と「死ぬまでにやってみたい」ことが2つも実現してしまった年だった。2023年は何が叶うだろうか。叶わなかったとしても、それはそれでそういう年なのだと柔らかく受け流して生きていけるような心持ちでいたい。



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