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いっしょにご飯

湿度をまとった風が、五分丈のスウェットには少し肌寒く思えた日暮れ。
歩けば暑かったんだろうなと思いながら、ゆっくり自転車を漕ぐ帰路。いつかなおさんと寄った小さな公園は元気な雑草と小さな花たちで賑わっていた。

自転車のかごにはいつものエコバッグ。家から同距離くらいにスーパーが3つ散らばっていて、そのうちのひとつで今日は買い物をした。
お肉がお得な特大パックで売っているのと、ここのプライベートブランドの焼きそば麺が美味しいことを引っ越してから知る。
今日の夕飯は、いかと豚肉と大葉でしょうゆ味の焼きそばにしよう。もう一品はどうしようか、いつもの上海風焼きそばなら中華系のものにするんだけどな。
うーんと悩みながら信号待ちで空を見る。紫陽花のようなピンクと紫が美しかった。

個人差が激しい病だけれど、【うつ】というものは夕方から体が軽くなって動けるようになる、というのはわたしに当てはまっていた。
治療を根気強く頑張れている今、ようやく朝起きれることが少しずつ増えてきた。けれど今朝はだめだった。昼頃に動き出せて、人の倍の時間をかけて掃除や準備をして、やっと出かけられたのがこの時間。
この生活に良くも悪くも慣れてしまっていて、「今の時間なら割引シールのお肉があるかもしれない」と都合よく考える。
大きな交差点での長い信号待ちが終わって、またペダルを踏む。住宅地の道端で、帰りたくないとおすわりで固まってしまっている秋田犬とすれ違った。

「ただいままるさん、いい子にしてましたか」
「母ちゃんおかえり!いい子にしてたで!」
家に帰ってまず一番に、猫とアイコンタクトをとる。寝てたんだろう、まるはビビビッと伸びをした。
「よく寝た?」
「何言うてんの母ちゃん、ちゃんと見張りしとったで」
はいはいと笑いながら重たいエコバッグを冷蔵庫のそばに置く。エコバッグの紐が好きなまるは、よっしゃーと言わんばかりに飛びついてくる。
こらこら、食材あるから待ってとあしらいながら冷蔵庫に入れていって。

冷蔵庫の中身をふと見る。少し前に拭き掃除をして整頓した、わたしが独身時代から使っていた小さめの白い箱だ。
なおさんの飲み物に、わたしの豆乳とお茶。野菜、卵、豆腐にチーズ。味噌は生みそと赤のふたつ。
冷凍室を開けると小分けにしてストックしてあるお肉とシーフード。カットしたネギとほぐしたえのき。
それからわたしが体調悪いときの救世主になってくれる、冷凍うどんと冷凍餃子。
しみじみと実感した。今わたしは家庭を持っている。


10年以上前から、わたしは食に悩みを持つようになった。
酷い胃腸風邪を患ったとき、3日で5キロ減ったのが始まり。食べたら吐く癖が止まらなくなった。
ちょうど職場のパワハラ等々もあって、割と短期間で10キロ痩せた。そこまでは「ああ痩せたな」くらいだった。わたしはラッキーと思っていたけれど、これが間違いだったと気付く。地獄はここからだったのだから。

食べたいものも好きなものも食べられなくなった。胃酸が逆上ってくる感覚はどうにも慣れない。
いわゆる摂食障害は、体重が減っていくのが嬉しくて喜んで意図的に吐いたりすると聞くけれど、わたしはそうじゃないから辛かった。
いつしか拒食と過食のループで生活を送るようになる。
拒食のときはお茶のにおいもだめな時があったし、過食のときは気づけば5枚切りの食パンを焼かずにふた袋食べ終えていて、そのあと過食嘔吐になったり。
頬に影ができて周りの人に心配されてもいた。
摂食障害なのかもしれないけれど、どの医療サイトを見てもちょっと違うと思ったし、自分に無責任だった当時は病院に行かなかったからよくわからない。

「うーん、今思えばうつのときとちょっと似てたなぁ」
冷蔵庫に物をしまい終えたあと、水切りかごの食器を片しながら独り言が出ていた。猫が足元で「なんのこと?」みたいに見上げてくる。
「わたし向精神薬に慣れるのに時間がかかったやろ、その時毎日吐いてたからねえ」
「母ちゃん吐いたことあるん?ぼくもある!」
「それは毛玉やねぇ」
笑いながらカトラリーを引き出しに戻す。今は相性の良い薬の組み合わせを見つけられて、副作用もだいぶおさまっている。
トイレに膝をついて嘔吐するのは苦痛だ。涙と鼻水もぽたぽたこぼしながら喉を焼くあの感じは、摂食障害のそれとやっぱりよく似ていた。

一人暮らしをはじめてからのこと。
拒食と過食のサイクル、その中でも「誰かと一緒のときだけはちゃんと食べれる」ようになっていた。
なぜかなんてわからない。それでも「誰かと食べるごはん」はいつもなんでも美味しくなった。
ある職場ではみんなで会議室のテーブルを囲ってお弁当を食べれたし、また違う職場では休憩がかぶった先輩とハンバーガー屋さんに行ったり、夜は連れ立ってラーメンを食べに行ったり。
ちなみにその頃の記憶は今は理由あって曖昧で、仕事内容や過ごした日々は覚えているのだけれど一緒に働いていた人の名前や顔をほぼ思い出せないでいる。でもこれはややこしいから今はいいとして。
とにかく誰かと食べれる場を積極的に作って、そのときは素直に食べれることが嬉しくて。

予定のない休日やひとりの夜は何も食べなかった。ひとりだから。頑張って食べても吐くのがわかっていたし、2口目には食べ疲れていることもあった。
だから狭いアパートのわたしの冷蔵庫の中身は本当に少なかったし偏っていた。
水と炭酸水と、エナジードリンクと。冷凍室には氷と、唯一ひとりでも食べれたアイス。
たまに無性にジャンキーな物が食べたくなると、コンビニでカップ麺を3つくらい買ってきて一気に食べる。過食嘔吐するとわかっているのに。


そんな生活にもう何年も浸かっていて慣れていたからか、なおさんとの食生活は最初少し戸惑ったなぁと、今では懐かしく思う。
共に暮らし始めた頃は彼と職場が近かったから、向こうが昼休みを合わせてわたしと食事をとってくれることも多かったし、夜はほぼ必ず一緒に食べた。遅い時間になろうとも、手抜き料理になろうとも、外食になろうとも。
彼はいつもわたしと夕飯を食べてくれるのだ。わたしはひとりじゃないから食べられるようになった。
そんなものなのか、と呆気にとられたりしながら。

彼と仕事帰りに一番近いコンビニに寄ってカップ麺を買って、テレビを見ながら食べるのが楽しい。
わたしが疲れているのを見て「今日は牛丼にしよか」って言って車を出してくれるのも嬉しい。
結婚してもう少し広い部屋に引っ越して、もう少し料理もうまく作れるように勉強して。
そうやって少しずつ、夫婦としての食を豊かにしていけたらいいなと思った。
決して無理をさせないなおさんなら、共に仕事をしながら、時々手を抜きながら頑張れるだろうなと。
……結局また色々あって、仕事を辞めて闘病することになるんだけれど。


畳んだ洗濯ものをいつものように寝室に持っていく。猫がててて、と後をついてくるのが可愛くて好きだ。
「今日なんかわしゃわしゃしたの買ってきてた!あれなに!」
わしゃわしゃ?
「あー、焼きそばのこと?あれは今日の父ちゃんと母ちゃんのご飯やで」
確か前に同じ焼きそばを買ってきた時も同じ反応してたなぁと思い出しながら、クローゼットを開けた。
今日もわたしはなおさんと夕飯を食べる。彼がいつも美味しいと言ってくれる焼きそば。あ、まだもう一品が決まってなかったな。
ついでにカーテンを閉める。小窓の向こうはもう暗くて、電車が通る音が聞こえた。

【うつ】ではじまった結婚1年目。
ご飯を作るのも苦痛だったし、食べても副作用で吐いて。本当に辛かったのに、それを1年耐えた自分を褒めることもできないメンタルだった。
少しずつリズムのとり方を掴みはじめた近頃、うつと向き合いながらもご飯を作るのも食べるのも楽しくなってきている。
人の倍時間も体力も使うから疲れるんだけれど、それでも夕飯の時間を守りたいと思う。

だって一緒に食べてくれるひとがいるんだから。
少しずつ少しずつ小さな楽しみを感じられるようになった幸せを噛み締めながら、わたしは今晩もキッチンに立つ。
ああでも、猫が「あそんで母ちゃん!」とおもちゃを持ってきたので、ちょっとだけ休憩もして。

『いっしょにご飯』

食べることは、すべての資本なのだから。


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