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「家族みんなで」幸せになりたい妻と、無欲な夫。幸せになるための家事育児分担②

「家事を平等に分担する」ことが目標なのではなく、お互いが「幸せ」だと思える環境をつくること、それを継続してアップデートしていくことが大事だ、と気づいたのが前回の話。

今回は、夫婦にとっての幸せってなんだろう、を考えてみた話をしたい。


目次

  1. まずはじめにやったこと:そもそも家事って何のこと?(記事Link

  2. 「家族みんなで」幸せになりたい妻と、無欲な夫。(←今日はココ)

  3. お互い納得して合意する

  4. 定量的に可視化して振り返る

  5. 今、そしてこれから


「家族みんなで」幸せになりたい妻と、無欲な夫

(1)私たち夫婦が目指す、幸せのかたち

「あなたは何があれば(どういう状態なら)しあわせ?」
そんなこと、改めて考えることなんて、なかなかないのかもしれない。だけど、家事育児分担を考える中で、私にとってここを考えることはどうしても避けて通れない道だ、ということが少しずつわかってきた。

当初、私が思い描いていた幸せな家庭のイメージはこんな感じだった。
・いつもみんなの笑顔がたえない家庭。
・夜ご飯はできれば家族揃って食べたい。
・休みの日は、家族みんなで公園でピクニックしたりして、贅沢でなくてもいいから、みんなで楽しい時間をすごしたい。

それに対して、夫に「あなたは何があれば幸せ?どんな家族になりたいの?」と聞いたところ、
「特にない」。
・・・特にない、だと・・・?!
「それぞれが幸せだったらそれでいいんじゃない?」
適当な答えに、ブチ切れそうになる思いを一旦留めて(笑)、それを言われて1つ、思い出したエピソードがあった。

(2)「盛り上がって!」と無理強いされるカラオケほど、しらけることはない

私がアメリカで学生をしていた頃、韓国人、台湾人、トルコ人と一緒にNYのKorean Townでカラオケに行ったことがある。久しぶりのカラオケに、大盛り上がりの韓国人、台湾人、私と、初めてのカラオケにテンションが上がるトルコ人。

海外でのカラオケって結構選曲が難しくて、歌いたい歌はみんなが知らなかったり、みんなが知ってる曲は歌いづらかったりするのだが、私にはBackstreet Boysという大きな味方がいた。(あ、年がバレる。。。)

Backstreet Boysなら、ほとんどの曲を歌詞を見なくても歌える!そう思って何曲かBackstreet Boysを入れたら、韓国人、台湾人は同世代ということもあって、大盛り上がり。トルコ人も、盛り上がっている私たちの様子が楽しかったのか、曲は知らない様子だが、一緒になって踊っていた。

さて、トルコ人が入れた曲の番になった時、彼女は楽しそうに歌い始めたのだが、他の3人は誰も、その曲を知らなかった。アップテンポの曲なのだが、Hey! みたいなみんなで歌える箇所もわからない。なので、私たち3人は楽しそうな彼女を、手拍子の相槌を簡単にいれながら、普通に聞いていた。

すると、彼女がいきなり怒りだしたのだ。
「みんな!もっと盛り上がってよ!座ってないで、ちゃんと立って踊るのよ!」

そこを強制するのか、と思いながら、ものすごくしらけた思いで、韓国人、台湾人の顔を見ると、2人とも苦笑していた。

・・・なんの話だったかというと、私が「幸せな家庭」を思い描いていた時に、私自身が、このトルコ人の彼女と同じことを家族に対してしていなかったか?とはっとしたのだ。

「私はこんな幸せな家族になりたいの!だから、私の幸せ像に沿って、あなたたちも盛り上がりなさい!」

そんな強制をしてはいなかっただろうか、と自分自身に問うた時、私が最初に思い描いていた幸せな家庭像の、主語が、「みんなで」だったことに気づいたのだ。

(3)あるのは「しあわせな個人の集まり」だけ。

(1)で触れた、夫に「あなたは何があれば幸せ?どんな家族になりたいの?」と聞いた話には続きがある。夫は、「XX(私の名前)と、息子と娘が幸せだったらそれでいい」と言っていたのだ。

最初に聞いた時には、なんて適当なんだ、こっちは真面目に考えてるのに、と半ば逆ギレしそうであったが、トルコ人の彼女との出来事を思い出した時、夫の言う事も間違っていないかもしれない。と思ったのだ。

しあわせになれ、と言われて幸せになれるひとなんてなかなかいない。あるのは、「しあわせな個人の集まり」だけだ。

そう考えると、家族のしあわせも大事だが、私自身がまず幸せであること、そして、今ある幸せに気づくことがとても大事だということに気づいた。

振り返ってみると、夫も、子供も、私が幸せそうにしてると嬉しそうにしてくれる。そんな家族がいることに、まず感謝すべきだったし、私も、無理矢理、自分が思い描く「幸せ像」に家族を押し込めようとしなくてもよかったのだ。

なーんだ。そうだったのか。
それに気づいてから、私は自分がやりたいことにもう少し正直になったように思う。
そして、私が幸せそうにしていると、家族も幸せそうだ。幸せのまわりに、幸せは集まってくるんだな、と思ったのだった。

(4)しあわせな家事育児分担

さて、立ち戻って家事育児分担にこれがどう繋がるかというと、主に育児の方がわかりやすいので育児を例に挙げる。

もともと子供が好きな夫は、私が休日に「友達とランチに行きたいから子供見てて」と言って、よっぽどのことがない限り、断ったりしたことはない。

だけど、今までの私は、「子供を見てる=子供と公園に行くなど親が積極的に子供と遊ぶこと」だと思っていて、夫は確かに子供を「見てて」はくれたけれど、公園に連れていくわけでもなく、家でのんびりしていた事に対して不満を持っていた。

しかし、例のトルコ人の彼女の一件を思い出してから、それでもいいか、と思うようになった。

子供にもよるかもしれないが、少なくともうちの子は家で折り紙を折ったり、工作をしたり、マンガを読んだりする時間が好きだ。ならば、無理に公園につれだして、私だけが思い描く「幸せな家庭像」に夫や子供たちを合わせこみにいかなくてもいい。

育児も、私がやりたいと思うときに子供を公園に連れて行けばいいし、子供が「公園に行きたい」と言ったなら、その時に行ける方が(もしくはみんなで)行けばいい。そんな風に考え方が変わったのだった。

(5)おわりに

改めてよく見てみると、子供は私の表情にとても敏感だ。
そして、子供は私のことが大好きだ。

ある時、ずっと息子のことを気にかけてくださっていた方(60代の方)から、こんなことを言われたことがある。
「今日ね、XXくんと一緒に遊んで、『XXくんのこと、大好きになったよ』っていったら、XXくんは、『うん、でもXXくんのことを一番好きなのはママだよ!』と答えたのよ~。ますますなんてかわいい子だろう、と思ったの」

育児、なんて気を張らずとも、親が全力で愛したいと思っている、その気持ちがしっかり伝わっていれば十分だと思った瞬間だった。


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