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「田舎がつまらん」は自分次第。日本唯一の焼畑継承者が描く未来の基準は「楽しく、おもしろく」

2021年度、椎葉村は第6次長期総合計画づくりを行っています。
この記事では、計画づくりの中で行った住民インタビューをもとに、
一人ひとりの椎葉村への思いをまとめ、皆さんにお届けします。


今回は、尾向地区・向山日添で民宿「焼畑」を営みながら、椎葉の焼畑農業を継承されている椎葉勝(しいば まさる)さんにお話を伺いました。

世界農業遺産にも認定された椎葉の焼畑は、日本で唯一これまで一度も途絶えることなく受け継がれてきた貴重な事例として、高い評価を受けています。

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その長年の継承の裏にある苦労や思いとは、どのようなものでしょうか。

勝さんに、焼畑の未来、また椎葉の未来について語っていただきました。

やっぱり故郷だから、帰りたくなった

若いころは、島根県出雲市を拠点にトラックの長距離運転手をしていた勝さん。
村を出た時のことを、こう話します。

「当時の椎葉は保守的だった。道路も家まで通っていない土地。古い習慣、封建性、上下関係など全てが煩わしく思った。それが嫌で嫁と4人の子どもを連れて夜逃げしようとしたんだけど、家を出るとき子どもが泣いてね。見つかって失敗した。だから半年はおとなしくして、今度は昼に逃げた

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今でこそ笑い話となっていますが、当時は逃げ出すほど嫌だったという、若き頃の勝さんにとっての椎葉村。

時が経ち、その地に再び戻ろうと思った理由はなんだったのでしょうか。

「わしらが村を出たことで、親子関係や嫁と姑とのつながりが少し変わったと仲間から手紙ももらった。運転手をしながらいろんな街や村を見てきたけど、やっぱり椎葉に帰りたくなったね。村が変わってるんだったら帰ってみようかなって

椎葉にあるもの。
空や山、川、焼畑、神楽、地域の伝統文化。

そういったものへの愛着は、他の場所に身を置こうとも、決して薄れることはなかったようです。

焼畑の後継は、移住者とともに

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これまで途絶えることなく受け継がれてきた、椎葉の焼畑。

その焼畑の未来を語る上で、後継者のことが一番の課題だと勝さんは言います。

「やめるのは簡単だけど、どうしたら続けて行けるかっていうところ。もともと不経済な仕事だから。だけども、先人たちが続けてきた知識や技術をどう守って、それをどうつなげていくのが問題

「最近は、地元の子どもたちが山間地の農林業を継ぐことがなかなかなく、難しい現状があるので、今のところはIターンや地域おこし協力隊などの移住者も含めて後を継いでもらいたい。移住者の皆さんと共に伝統的なことを学び続けていく中で、楽しく過ごせる場所を作る。だから、箱モノづくりをやっている。そこにあるものに付加価値をつけるために、続けながら、新しいものを引き込んでいくように。それでそこそこお金がとれるようになるっていうのが大事かな」

継続的に続けていくためには、お金を生み出す仕組みを考えることも重要です。
これからの時代でも焼畑を残していくために、どんな形がベストなのか。

変わりゆく時代の中でも、変えたくないもの。
そのバランスの取り方を日々考え、工夫を続ける勝さんです。

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焼畑をしてから数年間は雑穀などを育て、その後植樹をして、森を育てます。そこにも、山を思う勝さんなりの考えがあります。

「どうしても木材になる木(針葉樹)から頭が離れない。それはそれでいいんだけども、自然林も点々といれる。100本スギやヒノキを植えるんであれば、10本は桜や栗を植えてほしい。そうすれば景観は良くなるし、水源かん養や災害に強い山作りにもなり、動物も助かる。山に食べ物があったら、猪は畑に来ないから。そうやって獣を山に返す努力をすることが大切じゃないか。大地は人間だけのものじゃないからね

山は、人の暮らしの糧であり、動物の住処でもあります。
獣害が大きな問題になっている昨今ですが、バランスの崩れつつある山を本来あるべき姿に近づけていくことも、大切な観点です。

楽しくやろうという意識こそが大事

若い頃、椎葉村以外での暮らしも経験した勝さん。

今はこうして椎葉に戻って根を張り、山と共に暮らす生き方を選んでいることに、とても満足していると話します。

「自分では、このままでいいとは思っていないけど、自分の限度以上はやらないし、椎葉ではこれぐらいでいいんじゃないかな。山奥で暮らす上では人を減らさないことが一番だから、そこへの努力もしている。世界農業遺産とは、そこに住む人々が居てこその遺産だから

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勝さんは、焼畑を次世代につなぐため、地元の有志とともに「焼畑蕎麦苦楽部(くらぶ)」を結成しています。

そこでは作業体験場を設けて外部からの希望者も受け入れ、毎年の焼畑をはじめとする様々な体験活動を通して、椎葉に伝わる山仕事や暮らしの知恵を伝えています。

椎葉村内だけでなく外から来る者にも目を向け、懐深く受け入れるその活動に関心を持つ若い世代の移住者も多く、そこから地元の人との新たなつながりも生まれています。

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そこで学べることの全ては、大きく言うと「かてーり」の精神につながっているようです。

「かてーり」とは、椎葉に根付く相互扶助の精神。
大変なことも互いに助け合う、椎葉の山での暮らし方そのものです。

「かてーり」に関連した記事はこちら⬇︎

「たとえ苦しいことも、楽しくやろうっていう意識が大事かな。毎日焼酎飲みながらぶつぶつ言ってるのは絶対にマイナス。うまい酒飲んで、楽しくやってると、おのずと先が見えてくるもんです」

そういって無邪気に笑う勝さん。

自分のできることを着実に、それを楽しんでやっていくこと。
なにごとも「楽しんで」というのがキーワードです。

人口2,000人を切らないために

未来の椎葉に対する思いについて伺ったところ、とても具体的な内容が返ってきました。

(村の人口が)2,000人を切らないこと。なんで減っていくんだって悩む。生活はできるし、道路、通信網も発達してるし。やっぱり、人が居なければ何も出来ない。いくら10年後のビジョンを立てても、人口1,000人切って、幼・小・中学校を一つにまとめて・・・それは寂しいよね。地域を存続させるにはどうしても、人を減らさない工夫、それが大事かな」

人口流出の話になると、勝さんの言葉にぐっと力が入りました。

なにを語るにも、考えるにも、そこに人がいなくては始まりません。

単純だけれど、一番大切なこと。
その課題に向けて、真剣に考えています。

まとめ

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「田舎はつまらん、面白くないじゃなくて、面白くさせる方法を工夫すること」

この言葉通り、山と共にある暮らしの面白さを発掘して、自ら実践し、周りの人も巻き込んでその暮らしをより進化させている勝さん。

これからの椎葉村をどうしていきたいか。

その言葉の端々に感じたのは、ぼんやりとした理想ではない、確かな道筋と説得力でした。

焼畑を続けることが、新しく人のつながりを生み出すことにもつながっている。

守り伝えてきた古き良きものと、これからの新しい暮らし方。
それを融合させた先に、さらに面白い椎葉の未来があるような気がします。

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インターン生
中川note_エディター



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