筋斗雲に乗りたかった
『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』等の名作を世に生み出してきた鳥山明さんの訃報にふれ、
子どもの頃からずーっと(定期的に)
考えていたことを思い出しました。
私はドラゴンボールに出てくる
「筋斗雲(きんとうん)」という、
雲の乗り物に憧れていました。
時速1800kmですよ!
それも「おーい!きんとうーん」と呼べば、ビューンと来てくれて、ひょいと乗るだけでどこにでも連れていってくれる夢の乗り物。
それが筋斗雲。
しかし、心が清らかでなければ乗れないらしい。
主人公の孫悟空は乗れました。
まぁ、たしかに心が清い代表みたいな存在でしたよね、悟空って。「無垢」というか。純粋な感じ。
『ドラゴンボール』のテレビアニメが始まったのが私が小学2年生の時だったのですが、
観ていて固まりましたよね。
「こりゃあ、私は乗れないぞ」
と。
あの雲に乗ってみたい。
如意棒よりも筋斗雲がほしい。
筋斗雲一択だ!!
しかし、筋斗雲に飛び乗ろうとして、雲をすり抜けて落ちる自分の姿が浮かびます。
学校に行くのが嫌だったり、
イジワルなお友だちに翻弄されたり、
母に可愛がられる弟を羨ましく(&妬ましく)思ったり。
私の人生は何なのか。
何のために生まれてきたのか。
何を目標に、何を頑張って生きていったらよいのかわからず、
ただただ日々が嫌だったあの頃。
ドラゴンボールを7つ集めて神龍を呼び出せた場合のお願いごとはいくつでも浮かぶ。
欲にまみれた私。
煩悩のかたまり。
自分が邪なことばかり考えていることに、
自分でも気づいていて、
心が清い人しか乗れないという筋斗雲には、
とてもじゃないけど
「乗れないんだろうなぁ」と。
諦めにも似た感情がありました。
しかし、その分、
筋斗雲に乗れなかったブルマには親近感がわきましたし(それ以来ずっとブルマのことが好きです♡)
悟空と一緒に軽々と乗れたチチには、
幼心に「チッ」と思いました。
そして、筋斗雲に乗れるチチに対して心で舌打ちをする私のような人間は、
ますます筋斗雲から遠ざかることを自覚していました。
それから年月が経ち、
悟空たちも筋斗雲を使わずとも瞬間移動ができるようになりましたし、
神龍どころか、
神様より強い存在まで出現してきて、
ドラゴンボールに憧れる気持ちは薄れてきましたが、
私はおりに触れ、
「私は筋斗雲に乗れないだろうなぁ」と、うしろめたいような、清らかな心を持った人に対して憧れを抱いた日のことを思い出します。
そしてこれからも、
幼い頃に「乗れないだろうけど乗ってみたい」と思った筋斗雲に、
「筋斗雲に乗れる清い心」を持った人間に
憧れ続けることでしょう。
こんなところまで読んでいただけていることがまず嬉しいです。そのうえサポート!!ひいいっ!!嬉しくて舞い上がって大変なことになりそうです。