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ウクライナ

2月12日
ウクライナ政府が民間人から志願者を募り、領土防衛軍を強化しているという朝日新聞の動画ニュースをみた。領土防衛軍へ志願した男性は、色々と宣誓を述べた最後に「ウクライナ国民を決して裏切らないことを誓います」といって契約書に署名をしていた。

雪がちらつく寒空の下には、迷彩柄の服を着た屈強な男性から、ファーフード付きのコートを着た普通の女性まで、大勢の人が集まり軍事訓練をしていた。
ひとりに一つの銃。初心者は銃の形をした薄っぺらい木造模型を構えて見様見真似で歩く。
楽しげな雰囲気は少しもない。鋭い目つき、不安そうな顔、緊張する鼓動が聞こえてきそうな張り詰めた空気。その映像は物騒で非現実的にしか思えなかった。

あんな薄っぺらい模型で練習したところで、ロシア軍に勝てるわけない。それなのにどうして自ら危険な道を選ぶのか。ふと、昔テレビでみた特攻隊員に志願した人の言葉を思い出す。

「家族が少しでも火薬臭くない場所で生きられるなら自分ひとりの命なんて」

初めてこの言葉を目にしたとき、戦争がどういうものなのか頭を殴られるような衝撃だった。家族を守りたい。自分の大切な人を守りたい。ただそれだけ。
それを叶えるために戦わなくてはいけない。
そんないたたまれない状況が戦争なのかと思い知った。

ウクライナの領土防衛軍に志願した人たちも、そんな気持ちで銃を構えているのではないかと考えたら、やりきれなくて涙が出た。彼らがこの先、大きなケガをしたり命が奪われることがないように。ほんの2週間前に考えていたことだ。

最悪の事態は彼らの日常を一瞬で破壊した。
戦争が始まると
テレビもラジオもSNSもあらゆる場所で、ウクライナの状況が伝えられる。
たちまち、いろんな人の叫びや想いがわあっと押し寄せる。情報を得ようと言葉に触れ続けていると、私は答えを見つけるどころか、知らず知らずのうちに心だけが擦り減っていくような気持ちになった。

うるさい!うるさい!うるさい! 殺すな!殺すな!殺すな!

目の前で起きている様々な状況に呑み込まれそうになる。そんなとき、ひとつ思い出したことがあった。

先日まで行われていた柳宗悦の民藝の100年で、戦時中に出版された「民藝」が展示されていた。戦争の真っ只中でも、「民藝」という雑誌がつくられていたこと自体驚きだが、第6巻第6号「日本の力」だけ、表紙とは思えないくらい文字がびっしりと書かれてた。

うろ覚えの要約になるがそこには、日本人の手はこれまですばらしいもの(民藝)を生み出してきたみたいな内容で始まり、最後に「その手をじっと見ろ、新しい光を出せ」みたいなことが書かれていた。言葉の強さが印象に残りスマホのメモ帳に書き残していたものの、その時ははっきりとその意味を理解できていなかった。

ロシアがウクライナに侵攻
首都キエフに侵攻
死傷者はーーーー

ウクライナの人たちも心配だけど、ロシア軍の人たちはどんな気持ちで相手に銃を向けているのだろうか。彼らもまた苦しみの中にいるのだと思う。



人の手は命を奪うためにあるのではない

いまになって柳宗悦の心の叫びが聞こえてくる

あなたの手は命を奪うためにあるのではない
あなたの手は誰かの明日や幸福を生み出すためにある

どうか、これ以上傷つく人がないように。
いま起きていることを忘れないように。
ここに書き残しておく。


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