見出し画像

短編小説『便利な生活』




質問

M?Ut***** さん
2IEB/Je/ZL  4@:%〜:#“


私は小さな頃から数学に親しんできました。なぜなら、ビッグデータがそう言ったからです。ビッグデータは、あらゆる遺伝的、潜在的条件から数学の適性を正確に算出し、数も数えるようになる前から、私は円周率を子守唄にして眠りました。

今は経理の仕事をしています。仕事は楽しいし、順調です。後悔なんてするはずもない、私にぴったりの仕事です。生活には満足しています。周りには私と同じように育った人たちがいて、私はとても平均的だと思いますし、誰とでも共通の話題があります。どこに行って誰と会い何を言うべきか、聞けば、ビッグデータが導いてくれます。

周りとは上手くやっています。滅多に喧嘩になりません。分かり合うことはとても簡単です。ビッグデータによって選ばれた私の完璧な友人になにを話しても、みんながその通りだと言ってくれますし、友人たちが話すことも全くその通りだと感じます。
恋人もいます。最高の恋人です。好きな話題も、関心も、趣味も似ていて、政治的立場も宗教的信条も一緒です。意見の食い違いもなく、傷つけあうことはありません。まるで自分の分身のような恋人を、思いやることも、愛することも難しくありません。恋人が落ち込んでいる時にかけるべき言葉も、やるべき仕草も、すぐに正解を教えてもらえます。何もかも、すごく簡単なことです。

それで、質問したいことがあります。

うまく言葉にならないものです。それは、音であり、リズムです。職場から帰る道すがら、街の光からメロディを感じるんです。とはいえ、それを口ずさめるわけでも、ステップを踏めるわけでもなく、ひどく度の違ったメガネをかけているような感じで、ぼんやりしています。そこに何かがあるということだけ感じるのです。数学を考える時はもっと何もかもはっきり見えて、その数の一番近い親友や後ろに隠れたいくつかの数式や遠い親戚の仲間たちもよく見渡せるんですが。

私には音楽の才能はないですから、勉強もしたことがありません。ビッグデータがそのように言うんだから、間違いなく私は音楽には向きません。そんな私が音楽を学んでも、非効率でしょう。それでもふとした時に、息抜きにコーヒーを淹れる時などに、いくつかの音の塊を、メロディにもならない塊を呟いてしまっているんです。

計算式をコンピュータに打ち込む時にふと、この数式が音楽だったらどんな音が鳴るんだろうと考えて、手が止まってしまうことがあります。音は波なんですから、きっと数式も鳴るんじゃないかと思いませんか。決算の書類から音楽が響いたら、やかましいかもしれないですが。
ビッグデータは私の音楽の好みも熟知していて、いつでも気にいる一流の音楽を流してくれます。どんな新しい音楽も全部すぐに気に入ります。私がやるよりずっと上手で優れている演奏です。それでもどこかで、私は自分の調子外れの音の塊も気に入っているんです。背中の真ん中の手の届かない痒みに、どうにか指を伸ばして、ようやくほんの少し引っかけたときのような快感があるんです。

友人に話してみたこともありますが、理解はされませんでした。友人はきちんと完成された一流の音楽を聴いている方が好きだし、未完成の三流音楽をわざわざ骨を折って作ろうなんて無意味で考えたこともないと言っていました。自分でやってみたとして、不協和音にイライラする羽目になるだけで、時間の無駄になるだろうと。正しいもっともな考えだと思うのに、私はその通りだと言うことができませんでした。
全部思い通りに正しくて、何事も全てうまく回っているのに、どこかむず痒く満たされない感じがあるんです。

不満があるわけじゃありません。だって持ちようもないんです。ビッグデータは全ての科学的正解を即座に教えてくれますから。

だから多分、間違いがあるとすれば、それは私の方なんでしょう。
輪郭もおぼろげだけど、確かに私だけのメロディの中に浸り切って、無心に次の音を追って行きたいような感覚になるなんて。

楽器の弾き方さえ知らない人間の考えた、調子外れでどうしようもないメロディなのに、私の頭の中ではどんなものより美しく響くあの音に悩まされて、夜も落ち着いて眠れないほどです。

こんな私を正しくするには、どうすればいいんでしょうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?