『宇宙船とおまじない』(米津玄師『ゴーゴー幽霊船』より)


『宇宙船とおまじない』


 今世紀の始めは、華々しいニュースで幕開けた。
 長らく宇宙に出ていた船が無事に帰還し、その成果を持ち帰ったのだ。誰もかれもが興奮した。宇宙飛行士の冒険譚を楽しみにするものもあれば、彼らの持ち帰った未知の品々に魅了されるものもいた。シャボンのように透き通る鉱石、ゴムのような金属、とろりとした群青の液体や意思を持つようにたゆたう鮮やかなオレンジ色の気体は、一つ一つ丁寧に特殊なガラス容器にはいって、科学というよりは魔術的な空気を醸していた。
 その中でも、特に興味を引いたのは、なんら珍しくもない一株のキノコだった。
 地球であればなんのことのないキノコらしき形をしたものだったけれども、それがはるか遠くの未知の星からやってきたとなれば話は変わる。まず生物なのか無生物なのかということすら不明だ。そっくりの形をした岩石なのかもしれないし、はたまた地球外生命なのかもしれない。一流の専門家から星の名前すらろくに知らない素人まで、とにかく誰もが話題にして、ひとしきりの意見を言いたがった。
 そうして、キノコ形の未知のものは、万が一それが生物であった場合に備えて、特に厳重に管理された。
 宇宙から持ち帰った品々は、完全にコンピュータ管理された真空の特殊な倉庫に入れられた。二十四時間カメラが回り、人間の代わりのロボットが出入りした。特にあのキノコは、さらに二重の容器に入れられ、鍵のかかる箱に入れられた。研究者たちは何度にも重なる審査を経た後、ようやく目的の物質を顕微鏡でのぞいたり、軽く容器を揺らしてみるようロボットに命じることができた。
 優秀な研究者たちがチームを組んで、熱心にあのキノコについて調べた。慎重に慎重を重ねた議論の結果、あの宇宙船の帰還から四半世紀も経って、やっとあれはどうにも、岩石の一種らしいという結論が出た。
 しかし、悲劇の始まりというものは、本当にさり気なく、平凡の顔をしてやってくるものだ。
 賑々しいニュースの影でひっそり、例の倉庫の裏で発見された男の遺体について報じられた。嘔吐した跡があるきりで、死因は不明。ワイドショーでは、倉庫に侵入を試みたのではないかとか、倉庫から何か漏れ出ているのではないかとか、なにやかにやと取り上げられはしたが、実際のところ誰も本気にはしていなかった。なにか偶然、病持ちの男がたまたま倉庫裏で死んだのだろう。なぜなら、あの倉庫は厳重に管理されていて、侵入など不可能だし、少しの異常も見逃さないはずだから。
 様子がおかしくなったのは、それから半月も経った頃だった。
 例の倉庫を中心として、変死体が続いて見つかるようになった。誰もかれもに嘔吐した跡がある。なにか共通した病のようであるらしい。はじめは気のせいだろう、偶然だろうで済ませていた人々も、犠牲者がどんどん増えていくにつれ、ついに何かが起こっていると認めざるを得なくなってきた。
 しかし一体なにが起こっているのか?
 誰もうまく説明できる人はいなかった。なにか例の倉庫が原因であるらしいと思われて、管理者たちが次々槍玉に挙げられたが、実のある成果は上がらなかった。未知の病であるかもしれず、遺体は医療用の精密なロボットによって注意深く解剖されたが、これといった死因は見つけられなかった。性別も年齢も病歴の有無も様々。
 周辺の人々は恐怖に慄いた。
 どうしてこんなことになったのかと、連日開かれる倉庫管理者の記者会見は、まるで弾劾裁判の様相を呈してくる。そもそも本当に倉庫が原因であるのかと彼らが首を傾げる一方で、倉庫を中心としてすべてが起こっていることは明白だと記者たちは追及する。議論は永遠に平行線を辿る中でも、変死体は不気味に範囲を広げて増えていく。政府は周辺を封鎖し、人々を避難させることにした。
 あのキノコ形の岩石のせいだろうかと噂が広がる。しかし、あの岩石は今までもずっとそこにあったし、なぜ今になってこんなことが起こるのか理解ができない。混乱は混乱を呼び、中には突拍子もない意見も聞かれた。倉庫の中には見えない宇宙人がひそんでいて、地球侵略の機会をうかがっていたのだとか。

 そんなニュースを、今年17になるマリーは病室のテレビから見ていた。
 マリーのいる病院と例の倉庫は、同じ県内ではあるもののずいぶん距離があり、日々増える死者数もそれに伴うパニックもどこか他人事のように見えた。つまらない、日常の、どうでもいい事。しかし、昼間に流れるワイドショーの面白おかしい特集の数々は楽しめた。マリーは、娯楽の少ない病室で、やっと夢中になれることを見つけて嬉しくなった。未知の病原菌だとか、国の陰謀だとかは知らないが、宇宙人の方がよっぽどロマンがあると思った。もしもいるなら、一度会ってみたい。そもそも厳重に管理された倉庫を中心に広がる謎の変死体とは、まるでオカルトじみていて興味をそそるし、そんなことをいかめしげな大人たちが大真面目に語っているのを見るのも小気味良い。
 チャラチャラと耳につく楽しげな音楽が流れて番組が終わってしまうと、途端にまたマリーに退屈が襲ってきた。番組が始まるまで、描くともなく描き散らしていた落書きに目を落とす。手足のついた卵が塀から落ちて割れ、中身がこぼれているところ。そんな歌があったと思いながら。こんなふうに簡単に身体を割って外に出ることができたらいいのにと、マリーはペンを回しながら考えにふけった。そんな壊れやすい殻をかぶって生きていたって不自由なだけなのに。できるならもっと強くて頑丈な殻に移し変わってしまえたら。
 もっとはっきりと卵の殻の輪郭をなぞろうとしたが、インクが切れて、かすれてしまった。片手でベッドサイドの引き出しを探したけれど、予備のペンは買い忘れていた。マリーは乱暴にペンを机に転がした。最低の気分。
 気分を持ち直すために、ベッド横に並んだボタンの一つを押す。ポンと優しい音がしてしばらくすると、カタカタという音とともにロボットが入ってきた。雪だるまのような形の上の方に、優しく光る大きなライトが二ついていて、目のように見える。触ると餅のように弾力があって、かすかに温かい。車輪の足で前に進む度、背中のぜんまいのような飾りがくるくる回る。マリーのような患者を癒すためのロボットだった。簡単な会話ができ、適当に相槌を打ってくれる。
「ねえ、調子はどうなの?」
 マリーが聞くと、ありがとう、元気です、とロボットが返す。
「寂しかったわ」
 マリーは少し鼻にかかった声で言ってみた。ええ、とロボットは言う。
 これはマリーの遊びの一つだった。目を閉じて、最近お気に入りの俳優の顔を思い浮かべながら、恋人に話すように話してみる。
「今日は晴れているみたいだけど、なんだか気に入らないの。私の人生のうちの晴れの日が一日無駄になったみたいで。ずっとずっと大雨でいいと思わない?」
 そうですね、とロボットは優しげに答える。
「そう、あなたもそう思うでしょ。私たち、気が合うね。あなただけに言うんだけど、私ね、時々、どこかに大きな爆弾でも落ちてきて、何もかもめちゃくちゃになればいいって思うの。みんなまる焦げになって、泣き叫んでさ。嫌なやつだよね。でもさ、そしたら少し気分がスッとすると思わない? 私一人ここに閉じ込められてみじめな気分になっているなんて不公平だし、学校に行って友達とばか騒ぎして、彼氏なんかつくって街を遊びまわっているやつらなんか、みんなみんな吹き飛んでしまえばいいって思う。みんなそうやって死んでしまったら、それでやっと、私の人生がみんなと釣り合うようになるんじゃないかって。それでやっと、自分のこういう人生も悪くないな、よかったなって思えるんじゃないかって。こんな考え方、間違っているかな?」
 大丈夫ですよ、とロボットが答える。
 途中から自分の話に没頭していたマリーは、返事をもらえたことに妙に感動してしまって、パッと身をおこして、ロボットの顔のおそらくスピーカーのあるらしきくぼみにキスをした。起き上がった拍子に、ペーパーバッグの本がベッドから滑り落ちる。
「そう言ってくれるあなたが大好き」
 マリーは本を拾いあげながら微笑むと、再びベッドに身を沈めた。長く起きていたせいか、少し疲れてしまっていて、心地よい眠気がやってくる。
「なんだか眠くなってきちゃった」
 マリーがつぶやくと、ロボットはおやすみなさいと言って、子守唄のような心地よい音楽を流し始めた。

 それから一週間経って、街は比べものにならないほどの大騒ぎになっていた。
 倉庫の周辺でしか見られなかった変死体が、急にそこここに現れ始めた。原因は未だよくわからないが、倉庫周辺から避難してきた人々が何かを持ってきたのだと誰もが直感した。
 テレビは一日中、そのことしか話さなくなった。有名な学者たちがあれこれと説明を試みるが、実際のところよくわからないし、なにより人々が本当に知りたいのは、どうすれば自分は助かるのかということだった。
 そういう人々の求めに応じて、不思議な確信をもって解決策を伝授する人々も現れた。なにかの特別な配合のジュースが効くとか、奇妙な体操がいいのだとか、効果のわからない薬まがいのものや、お守りの札や絵、本当に様々なものが飛びかった。普段であれば、馬鹿馬鹿しいと一笑するはずのものが、こういうときはまさに求めていた救いのように見えてくる。本気になる人から、やらずにいるよりはという人まで、それでもとにかく多くの人が耳を傾け、気の向くいくつかを試したりした。
 なにより科学の力ではもはやなにもわからないし、もしわかるとしてももっと先のことだとなると、世間の関心はより怪しげなものに向かった。超能力だか霊能力だかを使うという人々が、われさきと次の変死体の場所を当てたがったり、ひどいものでは次の犠牲者を当てようとしたりした。なにかに祟られているとか、なにかの報いを受けているのだとか。救い主がくるとか、大きな裁きの予兆だとか、これからこの状況がどうなっていくのか、何の意味が隠されているのか予言めいた言葉で溢れた。駅やオフィス街でニュースを流す電光掲示板には、今まで見ることのなかった非日常で不可思議な単語が踊った。
 とにかくなにもわからない。わかるといえば、倉庫周辺と避難してきた人々に近寄るのは危ないということ。そして、どんどん増えていく犠牲者をみるにつけ、何か得体の知れないものが感染っていっているのではないかとも思えた。
 人々は外に出なくなり、街は閑散とし始めた。とりわけ異様だったのは、誰が言い始めたか、その変死体をもたらす亡霊は家の隙間から入ってくるから、窓という窓、扉という扉を塞いだ方が良いというものだった。確かに事の始まりは倉庫裏の男の遺体で、それを考えると、原因の何かはピッタリ密閉されたはずの倉庫から漏れ出てきたとも思える。しかし、そうだとしたら、今更目張りなどで塞ぐくらいでは無駄なはずだし、実際にそういう意見も聞かれたが、やらずに後悔よりやって後悔とばかりに、家々の隙間という隙間が丁寧に目張りされていった。誰もいない街に、テープや釘で窓も扉もピッタリと閉じられた家々。日常の買い物も公共の仕事も全て代わりのロボットが行うようになり、そのロボットを迎え入れるときだけ、家の扉が小さく開かれた。
 閉塞する空気の中では、かえって大仰に酸素を求める人々も現れるものだ。しんとするはずの街の夜、なぜか外ではいやに賑やかな音が響いた。大声で歌ったり、奇声をあげたり、なにか叩いて破壊するような物音やキイキイと何かを引きずる音。バイクや車のエンジンを吹かす音。静けさが極まると、騒々しさが際立つ。活力の行き場を奪われた若者たちが、度胸試しと称して、わざわざ危険な街に繰り出していた。そうして、何事もなくくたびれた朝日を目にする者もあれば、その勇ましい夜から出てこなくなった者もいた。それでも、夜ごとの度胸試しに参加する者は跡を絶たなかった。
 そんな中、ある一つの噂がよく話されるようになった。
 新月の夜に「さるばつあ さるばつあ」と空に向かって合唱すると、死をもたらす幽霊は退散していくというもの。聞くなり胡散臭いが、なぜだか幾多の眉つば話のなかで、とりわけもてはやされた。どんなに怪しげな言葉も、様々な人に繰り返し聞かされると、一縷の真実があるように思われてくる。
 いつの間にか人々は次の新月までの日を数えるようになった。とにかく日を数えている間は、心を慰めていられる。

 マリーの日常はそんな中でも、絶望するくらいに変わらなかった。
 夜中の明かりを消した部屋で、静かに恋愛映画を見ていた。外から若者たちのはしゃぐ声が聞こえてくる。テレビの光を反射させる暗い窓に目をやると、今にも外で誰かが待っていて、自分も若者たちの輪の中に加われるんじゃないかというような気になった。
 おーい、という男の子の声。マリーは目を閉じて、自分がそこにいることを想像してみた。ああ、おお、と返事がある。遅かったな、と仲間に言われて、ん、と男の子は口ごもる。ごもごもと低い声で何かを話していて、不意に高い笑い声になる。バイクらしきエンジン音が震える。えーいえーいと囃すような声に手拍子がつく。一瞬の沈黙ののち、がしゃんと何か金属製のものが壊れる音。嬉しそうな歓声が続く。死ぬのなんて全然こわくねぇ、と不敵な響きを含んだ声がこだまする。
 ため息をついて、マリーは再び目を開けた。部屋では恋愛映画が流れ続け、甘い声の男女が、愛していると言い合っている。
 なにもかも映画を見ているだけのようで実感がないわ、とマリーは思った。

 ついに新月の日が来た。いくつもの夜の間に荒れ果て、朝からロボットが整然と行き交う割に人影のない街の終わりが、今日こそ来るのだろうか。淡い期待をおし隠して、日が暮れた。
 うす闇の中、最初はぽつりとした祈りのようだった。「さるばつあ」
 小さな祈りが徐々につながって、はかない歌のようになる。「さるばつあ」
 だんだんと節回しが決まってきて、声が大胆になる。「さるばつあ」
 隙間から恐る恐る身を出していただけの人々が、思い余って通りに出る。「さるばつあ」
 「さるばつあ さるばつあ さるばつあ」
 大声で叫びながら彷徨い歩く人々は、亡霊のようでもあった。いつも街を荒らし回っていた若者たちは、どこからか拡声器を持ち出してきて、合唱を先導した。一晩中、取り憑かれでもしたように、合唱は途切れなかった。高揚して、動揺して、迷いながら、叫びながら、怒りを含んで、怖れを含んで。
 しかし、いつものようにうす明るくなる東の空が、こんなにも悲しい注目を浴びることは初めてだっただろう。崩れ落ちるようなため息を残して、声は消えた。犠牲者は絶えない。

 正しい希望を運んできたのは、数日後の朝の乾いたニュースだった。
 アナウンサーが興奮を精一杯に抑えた声で、謎の変死体の原因が解明されたことを知らせた。専門家たちの会見が始まり、家々では息を呑む音が聞こえるようだった。
 原因はやはり倉庫だった。時間の経過で倉庫の密閉がわずかに完全ではなくなっており、様々な鉱物を保管しているガラス容器の表面に気づかず付着していた粒子が雲のように舞い上がって、倉庫外に漏れたらしい。その雲は特殊な性質を持っており、人体に触れると質量が増し、一定量の粒子を人が吸い込むと脳機能が麻痺し、死に至る。
 原因さえ分かれば、解決は比較的たやすい。倉庫は再び完全に密封され、再発予防の措置が取られた。微粒子も吸い込める清掃機によって街は隅々まで浄化され、家々には小型清掃機を持った保健所の人間がやってきて、マニュアル通りに清められた。
 固唾を飲んで見守る一日目、ついに誰も犠牲者は出なかった。その次も、次の日も。
 まるでひどい悪夢からでも、目覚めてみるとなんでもない一日が始まるように、今までのことがすっかり平凡に返っていった。ひどく変わってしまった街だけを置き土産にして。その中を人々は気怠げに歩いていく。事務仕事と雑用に彩られて。
 変死の恐怖が去ったのはあの奇妙な儀式のおかげなのだろうか。そのことは誰しもの頭をよぎったが、まるで魔法が解けるのを怖がるように、誰も口にしなかった。やはり科学と理性が勝ったのだと、あの夜の感覚を胸にしまいながら思う。
 忌々しく退屈な日常で、マリーは大きくあくびをする。


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